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第7話:ショコラの罪

 真夜中、家の扉をノックする音がした。


 こんな時間に、直接の来訪者など滅多にいない。

 黒猫が警戒気味に耳を立てた。


 「……この魔力、ちょっと危ないにゃ。獣の匂いが混じってるにゃ」


 魔女は扉を開けた。

 そこにいたのは、黒いスーツに身を包んだ男だった。


 年齢は三十代半ば。背筋はまっすぐだが、目の奥がひどく濁っていた。


 「……“忘却の魔女”だな」


 「ええ。あなたが……依頼人?」


 男は頷いた。


 「——俺は、人を殺した」


 その告白に、黒猫が一瞬言葉を失った。


 魔女は、動じることなく椅子をすすめた。


 「記憶を、消してほしいのね?」


 男は座らず、ただ壁際に立ったまま答えた。


 「記憶の中で、そいつの“顔”が離れない。

  なぜあんなことをしたのか、自分でもわからない。……けど、許されたいとも思ってる」


 魔女は、ゆっくりと首を横に振った。


 「許しは、私の仕事じゃないわ。私は“記憶を抜き取る”だけ。罪が消えるわけじゃない」


 「それでも構わない。

  罪と向き合うために、俺は“そいつの顔”だけを消してほしい。……そうすれば前に進める気がする」


 魔女は静かに問いかけた。


 「あなたが殺したのは、誰?」


 男は答えた。


 「婚約者だった」


 静寂が落ちた。


 婚約者は、数年前に突然姿を消した。

 表向きは事故死、だが実際には口論の末、男が突き飛ばし、頭を打って亡くなったという。


 「……それをずっと隠して生きてきた。

  でも最近になって、何度も夢に見るんだ。あのときの顔が、声が、涙が……」


 「あなたが“本当に消したい”のは、その記憶じゃない。“後悔”よ」


 男はぎゅっと拳を握りしめた。


 「後悔は残していい。……彼女のことを忘れる罰を、受けたい」


 魔女はゆっくりと立ち上がり、男に向かって手を伸ばした。


 「あなたの“赦し”は、誰にも与えられない。

  けれど……その記憶だけが、あなたを縛るというのなら——私が預かるわ」


 額に触れると、記憶が揺れた。


 血のような光景。叫び声。流れる時間。

 優しかった日々と、壊れた最期の瞬間。


 魔女の手の中で、その光は黒く、濃く、粘りつくように形を変える。


 ——ビターショコラ。


 苦くて、甘くて、罪の香りが残る記憶。


 魔女はそれを丁寧に、冷たいガラス瓶に封じ込めた。


 男はしばらく沈黙し、やがて問うた。


 「……もう、思い出せないのか?」


 「彼女の顔も、声も、あなたの記憶からは消えたわ。

  けれど、あなたの心には“何か大切なものを失った痛み”だけが残る。……それが、償いとなるなら」


 男は一度だけ深く礼をして、静かに扉を後にした。


 その夜。

 魔女は瓶を手に取り、ほんのひとかけらだけ口に含んだ。


 「……苦い。けれど、確かに“愛”もあったのね」


 黒猫が問うた。


 「魔女さま……こんな重い記憶まで、全部ひとりで背負って……本当に、大丈夫かにゃ?」


 魔女は、目を伏せて答えた。


 「私は“誰かを許すことができない魔女”だったのかもしれない。だからこそ、忘れたのよ。全部」


 瓶にはこう記されていた。


 《記憶番号0789:男性・婚約者殺害/罪と愛/ビターショコラ》


(第7話・了)

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