第4話:グミの笑顔
朝焼けの中、魔女の家にふっと一通の手紙が現れた。
少しだけ皺が寄った便箋には、震えた文字でこう綴られていた。
「――“アイツのこと”、忘れたいんです」
魔女はそれを読み終えると、手紙に指先で触れた。
「“アイツ”、ね。恋ではない……でも、似ている。これは、友情に近い痛み」
カバンの中から黒猫があくびをしながら出てくる。
「にゃぁ、朝から甘酸っぱいにゃ……グミみたいな記憶だにゃ」
魔女は微笑んだ。
「ええ。きっと、今日の記憶は“グミ”になるわ」
その依頼人、蒼空は高校一年生の男子だった。
放課後の校舎裏で、誰にも見つからないようにうつむいていた。
魔女は、制服姿に変身して声をかけた。
「こんにちは。忘れたい相手、どんな人だった?」
蒼空は驚いた様子でこちらを見たが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。
その“アイツ”とは、幼なじみだった。
性格は明るく、空気を読むのがうまく、よく一緒にいた。
でも中学の終わりごろから、どこか距離ができてしまった。
進路も違い、環境も変わり、会うことが減っていった。
「たぶん、ずっと好きだったんだと思う。でもさ、アイツが俺を“ただの幼なじみ”としてしか見てなかったのも、わかってた」
そう言って、蒼空は小さく笑った。
「そんな気持ち、もう終わらせたいんだ。何年も引きずってるの、馬鹿みたいだからさ」
魔女はうなずいた。
黒猫がそっと蒼空の肩に乗り、じっと目を覗き込んだ。
「忘れたあと、胸がちくりとすることがあるにゃ。それでも、消したいかにゃ?」
蒼空は、一度だけ迷うように目を閉じた。
そして、絞り出すように答えた。
「……いいよ。それでも。前に進みたい」
魔女は、蒼空の手をとって額に触れた。
「——あたたかくて、酸っぱくて、ちょっと泣きたくなる記憶よ。ここにおいで」
その瞬間、彼の心からグミのような色合いの粒が、ふわりと立ち上がった。
それはピンク、オレンジ、レモンイエロー。
色とりどりの思い出が、光になって魔女の手のひらに吸い込まれていく。
彼女はガラス瓶にその光を封じ込める。
中でグミのような半透明のお菓子がぷるぷると揺れていた。
「……はい、終わったわ」
魔女が手を離すと、蒼空は少し呆けたような顔をしていた。
「……? なんで俺、ここに……あれ、何で涙……?」
魔女はそっと彼の背中を押した。
「きっと“誰か”のことを忘れたの。でも、それでよかったのよ。きっと」
蒼空は、かすかに頷いてその場を去っていった。
その目尻には、涙の跡が残っていた。
魔女は瓶にラベルを貼る。
《記憶番号0786:高校一年・蒼空・幼なじみ》
「……これは、“自分を許すための記憶”だったのね」
黒猫が瓶の中を覗き込みながら言う。
「きれいな色してるにゃ。食べたら、ちょっと泣いちゃう味だにゃ」
「……ええ。でも、もうこの記憶は彼のものじゃない」
魔女は、ひと粒だけグミを口に入れる。
甘くて、少し酸っぱくて、歯に吸い付くようなやさしい弾力。
胸の奥がじわりと熱くなった。
彼女は目を伏せ、そっと呟いた。
「……私にも、あんな幼なじみが……いたような、気がする」
(第4話・了)