第3話:記憶を喰らう竜
その依頼は、封筒ではなく――天井から「燃えながら落ちてきた」。
魔女が軽く指を鳴らすと、空中に赤黒い炎が渦を巻き、そこから“焦げたような封筒”がぽとりとテーブルの上に転がった。
「これは……“特級案件”ね。久しぶり」
黒猫が毛を逆立てながら顔を出す。
「にゃにゃっ!? この魔力の質……もしかして“竜種”かにゃ?」
魔女は頷き、封を切った。
《依頼:暴走竜“ヨルゴ=リンドヴルム”の記憶を抹消せよ》
《場所:灰都セフィロム廃区》
《備考:記憶を食う能力あり/討伐ではなく、記憶の封印優先》
魔女はすぐに家ごと転移の魔法陣を展開した。ガタガタと家具が揺れ、黒猫がカバンの奥に隠れる。
「しばらく“戦場”の匂いを嗅がずに済んでたのにゃ……」
魔女は口元に薄く笑みを浮かべ、言った。
「私もできれば、静かにお菓子を作っていたいのよ。でも、生活費が足りないもの」
廃都セフィロムは、かつて記憶研究に特化した魔法都市だった。
だが数十年前、研究の暴走により崩壊し、今では禁域とされている。
魔女が到着すると、空は灰色に染まり、瓦礫と霧が街を覆っていた。
空気の中には、焼けた記憶のような“苦い焦げ香”が漂っていた。
「……記憶を喰う竜、ヨルゴ。人間の“罪”の象徴とも言われている存在」
黒猫が震えながら小声で返す。
「にゃにゃ……魔女協会の外であんなのと戦うにゃんて……割に合わないにゃ」
崩れた図書館跡に足を踏み入れた瞬間、空間が歪んだ。
ズウゥン……という低い咆哮とともに、空間の裂け目から巨大な影が現れる。
ヨルゴ=リンドヴルム。
煤に染まった黒鱗、目のない顔、尾の代わりに無数の記憶の糸を引きずる異形の竜。
「また“来た”のか……記憶の守り人よ……」
その声は頭の中に直接響いてきた。
「私の記憶に……“何度でも”触れるがいい……どうせお前も、私の中に沈む……!」
竜の記憶領域に魔女が侵入するには、自らの記憶の一部を代償にしなければならなかった。
——1ページ、また1ページ。
彼女の心から抜き取られる“自分自身の断片”。
しかし魔女はためらわず、それを受け入れる。
「あなたに沈むのは、私じゃないわ。あなたの“記憶の核”を、菓子に変えて瓶に封じる」
魔女は詠唱する。
「シルキア・リベリカ・グラス……記憶、顕現せよ」
瞬間、竜の体が金色の記憶光に覆われ、その中から少年の姿が浮かび上がる。
――それは、かつて研究都市を焼き払った張本人、“記憶魔術師”だった。
「忘れたい……全部忘れたかった……だから、私は“竜”になった……!」
記憶の断末魔が炸裂し、狂気と悲しみが混ざった魔力が爆発する。
魔女は一気にその光を掌へ収束し、叫んだ。
「記憶よ、甘くも苦くもなく、ただ静かに眠れ……!」
ズドォン――!!
魔法陣が竜を包み、彼の記憶核が砕けて、一枚のビタークッキーになった。
焼きすぎたようにひび割れたそのクッキーを、魔女はそっと瓶に収める。
《記憶番号:D-001 竜ヨルゴ=リンドヴルム/罪と忘却》
その瞬間、セフィロムの空から灰が晴れ、少しだけ光が差した。
竜の姿は消え、ただの静かな廃墟がそこに残る。
黒猫がカバンから顔を出し、ぽつりと言った。
「……にゃ。あんな記憶、誰だって抱えきれないにゃ」
「でも、誰かが引き受けなくちゃいけない」
魔女は瓶を胸元にしまい、帰還の魔法を唱えた。
帰り道の空に、一粒の星が流れた。
それは、誰かの罪がようやく静かに忘れられた、証だったのかもしれない。
(第3話・了)
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