第19話:ベッコウ飴と老女の微笑
古びた洋館の縁側。
魔女と黒猫は、静かに湯気の立つ番茶をすすっていた。
依頼主は、その隣で椅子に揺られている一人の老婦人。
名は、清川 澄江。
窓の外では風鈴が揺れ、夏の終わりを告げる音が鳴っている。
「魔女さん、お願いがあるの。
私は、もうすぐこの世を去ると思うのよ。
それまでに、一つだけ……忘れさせてほしい記憶があって」
魔女は静かに頷いた。
「どの記憶を?」
老女は目を閉じて語りはじめた。
「若いころ、私はとても臆病で、
好きだった人に一歩も近づけなかった。
手紙も書けず、ただ遠くから見ているだけだった」
「……それが、今でも心残りなの?」
老女は首を振った。
「違うの。
その人のことは、ある意味で私の“希望”だったのよ。
でもね……人生の終わりに、それを“後悔”として抱えたままでいいのか迷ってるの」
「私はね、数年前に一人、保育園で出会った子と“擬似的な親子”のような関係を築いたの。
その子がね、毎日私のところに遊びに来てくれて。
『おばあちゃんの作ったべっこう飴が一番好き!』って言ってくれて。
……それが、今の私の一番の“幸福”なの」
老女の瞳に、少しの潤みが浮かぶ。
「だから、私は悩んでるの。
若き日の未練を忘れるか、
この晩年の幸福を忘れて旅立つか――どちらかひとつを、記憶から消したいの」
魔女はしばらく何も言わなかった。
ただ、そっと湯呑みを置き、彼女の手に触れる。
「どちらも、大切な記憶。
でも――あなたは、そのどちらを“今の自分”と呼びたいですか?」
老女は、しばらく目を閉じたあと、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、魔女さん。
そうね、私はやっぱり、
あの子と笑っていた私で、人生を終えたい」
魔女は記憶の術式を発動し、老女の心の奥へ潜る。
そこには、少女のようにあどけない老女がいた。
遠くから恋を見ていた少女の姿と、
保育園で子どもと笑いながら飴を舐める老女の姿と――
やがて、未練の記憶が光に変わり、
べっこう飴の形をした透明な飴菓子が生まれた。
それは太陽のような色で、
中にほんの少し、風に揺れる葉っぱの模様が浮かんでいた。
「……ありがとう。
これで、私は“今の私”のまま、最後まで笑っていられるわ」
黒猫が小さく鳴いた。
「飴の中、光ってるにゃ。
“やさしさ”と“ちょっとの寂しさ”が混じってるにゃ」
魔女は瓶に飴を納め、
深く、静かに一礼をした。
瓶には、こう記された。
《記憶番号0799:清川澄江/終わりに残した幸福/べっこう飴》




