第16話:ラムネ玉と幽霊の少年
季節は、夏の終わり。
蝉の声がまばらに響く、曇り空の午後。
魔女は黒猫とともに、山間の小さな神社へと足を運んでいた。
依頼は届いていない。
だが、ふと導かれるような感覚に従っていた。
神社の境内に着いたとき、魔女は気づく。
そこには、誰かがいた。
鳥居の陰に、ひとりの少年。
白いTシャツ、麦わら帽子。
肌は少し透けている。
「……あの、あなたが“忘却の魔女”さん?」
声ははっきり聞こえた。
「依頼を、出していないのに?」
魔女の問いに、少年はうつむく。
「だって、もう、紙に書けないから……。
……僕、自分のことを“忘れてほしい”んです」
黒猫が耳をぴくりと動かす。
「にゃ……まさか、おまえ……生きてない……?」
少年は、うっすらと笑う。
「うん、たぶん。
気づいたら、ここにいたんです。誰にも会えなくて、名前も、住所も思い出せない。
でも、一つだけ覚えてるの。
誰かに、“忘れられた”とき、人は本当にいなくなるんだって」
魔女はゆっくりと少年の前にしゃがみ込む。
「あなたの願いは、自分を“完全に忘れさせること”?」
少年は、かすれた声で答える。
「うん。きっと、僕はもう“誰かの大切な人”じゃない。
だったら、残ってる方が……寂しい」
魔女はしばらく考えたあと、言った。
「では、代わりに一つだけ。あなたの名前を探しましょう。
見つけたら、忘れさせてあげる。記憶をラムネ玉にして、空に還すわ」
魔女は神社の裏手、小さな石碑を見つけた。
そこには風化しかけた名前。
「夏目 蒼太」
その名前を口にした瞬間、少年の目に涙がにじむ。
「それ、僕……の名前、だ……」
記憶の扉が、静かに開いた。
小さな事故だった。
川に落ちた友達を助けようとして、自分が溺れた。
夏の終わり。誰にも告げずに消えた命。
友達は助かり、少年だけが“名前もないまま”時の隙間に取り残された。
魔女が手をかざすと、光が集まり、
ラムネ玉がひとつ、静かに生まれた。
透き通る青。
中には、小さな麦わら帽子のかけらが見えた。
「ありがとう、魔女さん……。
僕、やっと……消えられる気がする」
風が吹いた。
少年の姿が、ゆっくりとほどけていく。
光の粒となり、空へ、昇っていった。
魔女は空を見上げながら、黒猫にそっと言う。
「彼は、“記憶”になった。
忘れ去られることを望んだ、優しい幽霊……
でも、こうして名前を記録したことで、誰かがまた、彼を思い出せるかもしれない」
瓶には、こう記された。
《記憶番号0797:夏目蒼太/消えた存在の証明/ラムネ玉》




