第11話:甘くない金平糖
それは、魔女がとある町のバス停で声をかけられたときのことだった。
夕暮れ。オレンジ色の空。
制服姿の少女が、ランドセルではなく、ボロボロのエコバッグを肩に提げて立っていた。
彼女は、魔女をまっすぐに見つめて言った。
「——忘れたいんです。
名前じゃなくて、“あの教室の空気”を」
名前は結月。
まだ中学一年生。
痩せすぎた腕、視線を合わせない癖、口元を隠す仕草——
魔女はすぐに察した。
「……あなた、いじめられているのね」
結月は苦笑するように肩をすくめた。
「ううん。いじめ“られてた”。もう、学校には行ってない。
でも、毎晩夢に見るんです。
教室のざわめき、机の中のゴミ、
あたしのノートに書かれた“死ね”の文字……」
黒猫が怒りをにじませる。
「そんなの、残す価値ないにゃ!
ごっそり抜いて、金平糖にして、二度と見えないようにするにゃ!」
だが、結月は首を横に振った。
「全部じゃ、ダメなんです。
……少しだけ、残してほしい。“私は確かに傷ついた”って、覚えておきたいから」
魔女は静かに問う。
「なぜ、“忘れたい”のに、“全部”じゃないの?」
結月は答えた。
「だって、あたしは“逃げなかった”。
誰にも助けてなんて言えなかったけど、でもあの教室で、ずっと我慢してた。
“全部なかったこと”にされたら……あたしが踏んばってた証まで消えちゃう気がして」
魔女はそっと、彼女の額に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、記憶のざわめきが流れ込む。
机を蹴られる音。
上履きの中の水。
笑い声、無視、陰口。
でもその中に、ほんの小さな“灯”があった。
——体育館の裏で一人、落ち葉を見つめていた時間。
——保健室の先生に、無言で飴を差し出された瞬間。
——泣かずに、黙って教室を出たあの日の足音。
記憶は、黒い金平糖になった。
けれどそれは、市販のお菓子のようにカラフルではない。
くすんだ色。ギザギザで、少し欠けている。
でも、その中心だけは透き通るように輝いていた。
結月はそれをじっと見つめて、ぽつりと言った。
「きれい……じゃないけど、あたしみたい。
ちょっと傷だらけで、でも……なんとか残ってるって感じ」
魔女は小さく笑った。
「ええ。あなたは、ちゃんとそこにいる。
過去の中に埋もれてなんかいないわ」
結月は立ち上がった。
バッグの中から、一冊のノートを取り出して差し出す。
「これ、交換日記。……本当は誰にも渡せなかったやつ。
でも、魔女さんなら、読んでもいい」
魔女は受け取り、ゆっくりと頭を下げた。
その夜。
瓶の中の黒い金平糖をそっと口に含むと、
舌の奥に、わずかに痛みが走った。
甘さより先に、“痛い”という感情がきた。
でもそれは、どこか強さのある味だった。
瓶には、こう記された。
《記憶番号0792:結月/教室の空気/黒い金平糖》




