表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/20

第1話:金平糖の涙

新しいシリーズを始めました。

お読みいただければ幸いです。

その町には、「記憶を忘れさせてくれる魔女」がいるという噂があった。

 忘れたい思い出がある者は、宛名も住所も書かれていない手紙を夜空にかざし、願いを記す。ただそれだけで、封筒はふっと消えて、魔女のもとへと届くのだという。


 そして今日もまた、一通の手紙が彼女の前に現れた。


 「……恋の記憶、か」


 少女の姿をした魔女は、白い指先で便箋を持ち上げ、静かに目を細めた。


 彼女は小高い丘の上にある、何もなかったはずの草原にぽつんと現れた一軒家の中で、それを読んでいた。

 夕暮れの風がカーテンを揺らし、ガラス瓶に詰められた色とりどりのお菓子が、かすかに光を弾いている。


 カバンの中から、小さな黒猫がひょこりと顔を出した。


 「また恋だにゃ。人間はほんと、恋と後悔ばっかりにゃ」

 「でも、その分、綺麗な金平糖になるのよ。心が痛いほど、輝くもの」


 魔女は微笑み、手紙の差出人が記した名を呟いた。


 「——真琴、ね」


 記憶の魔法を使うには、依頼人に直接会わなければならない。


 町の駅前。制服姿の女子高生、真琴まことは、ぽつんとベンチに座っていた。胸の前で手をぎゅっと握りしめ、誰かを待っているようにも、何かを耐えているようにも見えた。


 魔女は彼女の隣に座ると、そっと話しかけた。


 「こんにちは。……恋を、忘れたいんだって?」


 真琴は驚いたように顔を上げ、しかしすぐに泣きそうな目でうつむいた。


 「……あなたが、魔女?」

 「ええ、そうよ。あなたの記憶、いただきにきたの」


 真琴の話は、静かに、しかし確かに魔女の胸に染み込んでいった。


 彼女には付き合っていた相手がいた。優しくて、少し天然で、でもどこまでも真っ直ぐな人。

 卒業を前に、将来の進路でぶつかり、別れることになった。

 それが本当に正しかったのか、今でもわからない。けれど、日々の中でふとした瞬間に、彼の名前が浮かび、胸が痛む。


 「忘れたくて、でも……怖いんです。本当に全部、いなくなっちゃうのが」


 魔女は小さくうなずいた。


 「痛みを消すには、思い出も消さないといけない。それでもいいの?」


 真琴は震える指先で、頷いた。


 魔女は彼女の額に手を添え、静かに囁いた。


 「——甘く、痛い記憶よ。あなたの心から、ここへ来なさい」


 次の瞬間、真琴の頭上から、金色の粒がこぼれ落ちる。

 それは涙のようにきらめきながら、ふわりと宙に舞い、魔女の手の中に集まっていく。


 魔女はその粒を一つひとつ、丁寧にガラス瓶に詰めていく。

 やがて、瓶の中にはピンクと藍色が混じるような、ギザギザの金平糖がいくつも収まった。


 それは——真琴の恋の記憶だった。


 「……ありがとう。なんだか、すごく……静かです」


 魔女の手を離れた真琴は、どこか空っぽの目で呟いた。


 「そのうち、あなたはこの出会いのことも忘れる。でもね、それでいいの。心は痛まなくなるから」


 「……そうなんですか」


 真琴は小さく笑って、駅のほうへと歩き出した。

 けれど、数歩進んだところで、ぽろりと涙をこぼした。


 「……あれ? どうして……?」


 魔女はただ、静かにそれを見送った。


 カバンの中から、黒猫がにゅっと顔を出す。


 「毎回思うけどにゃ、忘れたはずなのに、なんで泣くにゃ?」

 「記憶は消えても、心のどこかに残響が残るのよ。形にならない、感情の余熱」


 魔女は瓶をそっと棚に並べた。

 金平糖の入った瓶には、小さなラベルが貼られている。


 《記憶番号 0784:高校二年・真琴・失恋》


 それは、この世に確かに存在した、かつての愛の証だった。


 その夜、魔女はソファにもたれ、瓶を一つ取り出した。


 そして、ひと粒だけ、金平糖を口に入れる。

 甘い……けれど、どこかざらついていて、胸が苦しくなる味。


 「……この味、知ってる気がする」


 彼女は呟いた。

 けれど、自分がなぜ涙をこぼしているのかは、わからなかった。


 その涙もまた、いつか誰かの記憶になるのだろうか。


 そうして今日もまた、「忘却の魔女」の夜は更けていく。


(第一話・了)

お読みいただきありがとうございました。

ご感想などいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ