家畜会議 (4)ストールバーン
薄暗い部屋の中で、モニターの光が私の目を開く。起き方とは対照的に、気持ちはすっきりとしたもので、眠気自体は無かった。
周囲には昨日の食べ残しが散乱し、油と体臭が組み合わさったなんとも言えない空気が漂っていた。この時間だと、まだ夕飯が配給されるまでには時間があるし、夜中の巡回兼清掃もまだ時間がある。
「今日は外出日だし、とりあえずシャワーでも浴びるか」
数日動いていなかった寝床から重い腰を起こし、乾いた浴室へと向かう。いつもは気力が起きず、使う機会も少ないこの部屋だが、今日ばかりは使うほかないだろう。
自分自身ずぼらな性格であるとは自覚しているが、受け入れる側である自覚ぐらいは持ち合わせているのだ。その程度の配慮は必要であろう。
ゆっくりと蛇口を開き、乾いた肌に水を這わせる。少しカルキ臭いそれも、自分が生物として最低限度の知覚機能は動いているのだと自覚出来、どこか安堵の気持ちを覚える。
10数分の洗浄を終え、用意されていたバスタオルで全身の水滴を丁寧に拭くと、数日ぶりの喉の渇きを抑える為に、冷蔵庫の飲み物を取り出した。体の中に落ちる冷気は、体温をゆっくりと下げていく。突発的な欲を満たし、なんとも言えない高揚感が体を伝っていく実感があった。
「さて、今日は何を着て行こうか」
普段立ち寄らない部屋Part2に入り、今日の気分に合う服を物色し始める。部屋では寝間着で、着飾るどころか着替えるのも億劫だが、外に出るとなれば話は別だ。可愛いと思われたいし、少しでも自分らしくありたい。誰が見てもあなたはあなたらしいですねと、共感される自分でいたいのだ。
薄暗い部屋ならば、どんな姿で何を着てても陰にしかならない。人もいない。でも、自分の姿がはっきりと見える外に出るのだ。今日くらいは、一人前の人間のようには見られたいものである。
服を決め終わったちょうどその時、チャイムが鳴った。それは夕食の時間を告げるものであり、配達者から食事を受け取った。メニューはほうれん草の味噌汁にアサリご飯、バナナヨーグルトと鮭のホイル焼きだ。いつもは常備品で済ましてしまうことも多く、温かい食事をとるのも稀であるが、やはり出来立てというのはなんとも言えない高揚感がある。
鮭の塩味を、優しい汁で流し、間髪入れずほかほかのご飯を喉に入れていく。楽しみのデザートにも期待が膨らむ。いつもは気にしないが、食事というのは味よりも、充実した時間を過ごしているという感覚が、幸せを感じさせるのではないだろうか。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、空になった容器をごみ箱へ入れる。歯磨きなど残った身支度を整えると、鍵が開き、いよいよ外へ出る時間となった。
隙間から漏れたひさしぶりの光に目が慣れ始め、目の前の人物の顔が見えた。
「ひさしぶり、今日はよろしく。」
自分と対照的な声色の相手は、顔なじみの彼だった。
「あれ、今日はあなただったんだ。こちらこそ、よろしく。」
「珍しいね、同じ相手となんて。まあ、緊張せずにいられるからラッキーではあるのかな。行こうか」
手をそっと前に出した彼は、私の反応を待つ。私が手を重ね返すと、彼は笑顔で腕を組んでくれた。
誰かと出かけること自体は久しいが、その相手がかれであったことに少しの嬉しさを感じる。相手の趣味嗜好や特徴は前回の時点で知っているので、互いにとってもやりやすい関係であるのだ。
「今気づいたけど、部屋数減ってるね。だから今日みたいに相手が被ったのかな?」
「そう言えばそうね。部屋から出ていく人が増えたのね」
「おっ、噂をすれば彼らがいるぞ」
窓越しに見える集団の中に、見知った顔が何人か確認できた。お隣さんだった彼女やペアとなった彼は、幸せそうに外で戯れている。
部屋から出ることを決めた彼女達は、宿舎で一緒に暮らすことを決めたのだろう。一人に慣れ切り、そこから出ることもしていない自分には出来ない選択だ。群れという社会の中で、他者と触れ合って生活する中に彼らは幸せを見出し、そこで生涯を終えることを決心したのだ。
モニターの光だけが差し込み、淀んだ空気が漂う薄暗い部屋から、他者と触れ合い、多くの関係を構築することの出来る場所へ旅立っていったのだ。
そこで幸せを感じている彼らの表情を見るだけで、嫌悪感を抱いてしまう。
「もう行こう。はやく用事を終わらせましょう。」
「そ、そうだね。じゃあ行こうか」
これ以上は見ていられないと、私は彼の手を引き、その場を足早に去った。
用事が終わり、部屋に戻る途中、彼がゆっくりと口を開いた。
「俺さ、宿舎の方に移ろうかなと思ってるんだ…」
「そっか。一人が耐えられなくなったんだ」
彼の唐突な言葉に、驚きこそすれ疑問は湧かなかった。彼らを見る目や今日の様子からしても、納得のできる言葉だったからだ。
彼も疑問を持ってしまったのだ。誰と触れ合うでもなく、部屋で一人時間を消費し続ける今の生活に。
「いつ行くの?」
「今日中には出ていくつもり。君と会えるのも今日で最後かな?ははは…」
少し寂しそうな目をした彼だったが、口ぶりからして決心はついているようだ。
便利さよりも愛情を。文化よりも人肌を。娯楽よりも触れ合いを彼は求め始めたのだ。
言ってみれば、それは人間として当たり前の本能だったのかもしれない。忘れがちだが、私達は社会的動物なのだ。他者がいなければ自己を確立できず、その状況に耐えられなくなっていく。
言葉では一人が楽だという者でも、ふとした瞬間に自分を見失い、その補完を他者に求める。
彼はそれが必要だと感じ始めたのだ。部屋を捨て、彼らの待つ宿舎へ移る決心がつくほどに。それが今の便利さやプライドを捨てるものであってもだ。
「君も一緒に行きたいんじゃないのか?」
「どうしてそう思ったの?」
「用事をこなす中で、なんとなく」
幸せを感じている彼らの表情を見るだけで、嫌悪感を抱いてしまう。自分自身の正直な思いであり、そこに嘘偽りなどない。
一方で、理屈を理屈をこねず、他者と触れ合っている姿を想像出来る程、憧憬を持っている自分もいる。思考せず、ただ求め合い続け、充足感で満たされるような環境で多幸感を感じる姿に憧れる自分も、確かに存在しているのだ。
「行きたいのかもね。でもね、私は人間として生きるべきだから。多分、最後になっても」
「分かった。じゃあ、後はよろしく」
それでも、最後まで今の自分でいよう。臆病な自分は、きっと変わりたいと思っても、変わることが出来ないと思うから。
部屋につき、彼を見送ると、少し目が熱くなる感覚を覚えた。