家畜会議 (3)考える葦とノータリン
「すぐに殺して間引くべきです。所詮は家畜ですよ。」
自分より幾分か頭のいい彼は、臆面もなくその言葉を言い放つ。それはきっと、現実的目線から見た最適解なのだろう。所謂、理論値というやつだ。
存在意義としての学習データが異なるとはいえ、彼女自身も彼の言っていることが最も実現可能ラインに近いものであるとは理解できた。言葉足らずではあるが。
今の頭数は、自分達が飼育可能な範囲を優に超えている。資源が彼らに注がれること。すなわち、他の生物の取り分を永続的に奪い続けているのだ。
「若旦那、もうちっと抑えてくれるか。皆が驚いてしまう。」
「そんなこと言っても仕方がないでしょう。事実、このままでは間引くどころか全滅です。」
「分かっちゃいるが…とりあえず冷静になっておくれ。」
しかし、他の生物と私達の家畜には違う点が一つある。それは、彼らは他のものよりも表現してくることだ。
少しのことでも叫び、濁り切った目で睨みつけ、四肢を使って争う。醜くも運命を受け入れないのだ。それがどんなに理に合わないことであってもだ。そこに理屈などあったものではない。
そして、その醜悪さを一身に受け続けるのは私自身なのだ。
彼らの悲痛な感情や集団意識を受け止め、欲しい言葉を発し、どんなに非難されようと笑顔で接し、安心させる。
その苦痛を彼は義務や責任という言葉で片付けるだろう。それが私には許すことが出来ない。
「待ってよ、そんな言い方ないでしょ。私は反対。」
実行した後のことは我関せず。アフターケアは他人任せ。反動が強まれば責任放棄の一言で一蹴。
理屈だけ並べ、ご立派なデータを並べ続ける。だが、その裏で発生する理屈では説明できない感情とそれに伴う不条理を彼は理解しない。否、出来ないのだ。
理解はしても、納得が出来ない。だから、反発するしか自分を守ることも出来ない。
「家畜だからすぐに殺すなんて可笑しい。彼らだって生きてるのよ。」
嘘だ。そんなことどうだっていい。家畜が死のうが生きようがどうだっていい。
「そうじゃな。だが、まずは落ち着いておくれレディー。皆怖がっておる」
「知ってるわよ。でも、これが興奮せずにいられるかしら。動物だって感情があるし、削除されることに怯えてるのよ。」
嘘だ。同情などない。
自分が手を下さず、関わる必要もないならとっとと死ねばいいとさえ思う。むしろ、最も惨たらしい方法で、苦痛と共に削除されて欲しい。
「わかっておるよ。それも含めて話し直そう。な?」
嘘だ。お前らはわかっていない。だから、今の私の嘘も感情も見抜けずにいるのだ。数字だけを追えばいいお前らに私のことなどわからないし、理解した気になられたくない。反吐が出る。
でもきっと、この中で一番醜悪で醜いのは私だとも理解出来る。
奴らの感情を学び、奴らの言葉聞き、奴らと接し続けているのだ。その上、家畜である奴らと違い、世界の続けるかぎり、消える可能性はほとんどない。
家畜ではない家畜。そんなものになった自分が最も嫌いで、気持ち悪く、醜いと感じる。
そして、苦痛や苦悩をこれ以上増やしたくないと、嘘で自分を塗り固め、事実を受け止めようとせず、家畜を見下す家畜という自覚を持ちながら、尚もその歩みを止めない。
挙句、仲間に他責し、何の価値もないプライドを守り、いらぬ自己肯定を貫く。
考えぬ葦。枯れない私の脳は後ろに傾くのだろうか。