嬉々とする則子
さらに考えを巡らし高嗣は「うーむ…しかし大宰府式部省での引き継ぎ事もあるゆえ…よし、今より2日後の夜、戌の時刻としよう。よいか、為介(同時に則子殿)、心得たか」などと云っては則子に為介訪問の日にちと時刻を伝えるのでありました。またその云い廻しによって『しっかりしろよ、為介。何だその腑抜けた様は』と叱咤の意をも呈しても見せるのでした。為介は「はは」とばかり威儀を正し、「検分の儀、心得ましておじゃりまする」と正気を取り戻しながら答えます。また改めて「これは里の婆殿、失礼をばいたしました。改めてご一献頂戴つかまつりたし」と母則子へ告げて見せます。高嗣のお陰をもってすべてが叶い嬉々とした則子でしたが、それを無理にでも押し隠して身軽げに村長のもとへと駆け寄ります。「あいすみませぬ。柄杓など持たせてしまい…」と侘びる則子に「…い、いや、どうも」とどこか腑抜けた様子の村長。思った通り則子と少弐、さらには家令とのただならぬ関係を目の当たりにし、恐れ入った風情で、まるで自分が巫女ででもあるかのように則子に低頭しながら柄杓を手渡します。「ほほほ、何を低頭など…」思わず表情をゆるめながらもそれを受け取り、再び為介のもとへと参っては巫女の務めをあい果します。さてしかし、飲み干しても無言のままの為介に「どうじゃ、味のほどは。長年の無沙汰をも充たすであろう母…い、いや、育みの水の味は」と高嗣が問いますのに「い、いかにも…何と申すべきやら。ハハハ」としかし気の利いた返事ができない為介でした。万事に和歌を介在させるのがこの時代の貴族の習わし、義父とは云え主人でもある高嗣が歌を入れたのなら、返歌等素養を以て返すのが利発と云うものですが儘ならぬ様子です。おそらく、もっぱら家の実務への精通を為すことで、養子の我が身をはね返そうとしたのでしょう、不調法の身をば隠しようもありません。