名水にてお口汚しのほどを
「あいや、村の衆、これなるは大宰府新少弐石上高嗣様であらせらるる。大宰府とその出城たる大野城の安全を祈願すべく、この由緒正しき平野神社にまかり申された。一同畏んで拝謁いたすべし」
仕丁たちが手車を前に傾けて置き、前板をしつらえ、その上に舎人冠者が履物をそろえますと、内からするすると御簾が巻かれて石上高嗣その人が車外へと降り立ちます。
見れば年の頃70をこえたくらいの、白き御髪もゆかしき、こちらもまた白き狩衣の、頭に烏帽子を戴いたお姿は神々しいばかりです。かしこみつつ村長と宮司が前へと進み出でます。まずは村長が、
「これは石上様、わざわざのお越し、まことに御礼申し上げます。これなるは当地の村長治郎兵衛と、当神社宮司清麻呂にてございます。御参拝の儀、つつがなくはたされますよう、あい務めさせていただきます」
「うむ。村長、宮司、それに里の衆、出迎え大儀」と鷹揚に高嗣が頷いてみせます。続いて宮司が、
「はは。御赴任の新帥様、また新少弐様の各々様におかれましては、その都度大宰府安泰の御祈念を賜りまして、当神社宮司、清麻呂めの恐悦至極に存ずるところでございます。つきましては、当神社の名水、並びに郷の餅などご賞味いただきたく、謹んでお口汚しのほどを御願い奉ります」と口上しつつ傍らの則子をうながします。柄杓を捧げ持って高嗣に一礼した則子はうしろの手水舎へとさがり水を汲みますと、再びそれを額の高さに捧げつつ御前へと進み出ます。