万感の思い以て待つ
しかしその折り手尺をささげるのは近郷から選ばれた見目うるわしき娘と決まっておりましたのに、今回はこの媼、山科則子にさせよと石上少弐様から直々のお達しがあったわけでございます。まったく前例のないことで、則子とともに一番前に立つ村長はどうにもこれが合点が行きません。心構えをうながす風をよそおって内実をさぐろうといたします。
「頼みましたぞ婆様。くれぐれも粗相のないようにな。まずわしが御挨拶申し上げるけん、後はな…」
「はい、段取りのほど宮司様から承っております。こころして、あいつとめさせていただきます」
「うむ、よかよか。それでよか…ところでな、婆様、ひとつだけ教えてくださらんか。いったいなして石上少弐様はあんたをば指名なさったのか…それを知りたいんじゃ。きれいな都言葉を使いよることと云い、婆様、あんた、石上様のいったいなんね?ひょっとして昔の…」
「ほほほ、何でもありませぬ。あらぬことを考えますな。きっと少弐様のおたわむれかなにかでございましょう。あれ、う、うわさをすれば彼処…御一行様の御到着のようでございます」と聞き流す則子でしたが、さすがに語尾の最後のあたりは感動で声がふるえてしまいます。思えば我子を手放して幾星霜、いまだ十代の冠者に過ぎなかった為介がいまは石上家家令にまでなってくれた。その間御養父高嗣様はともかく、御養母様や御兄弟の方々からいかなるこころなき言葉、仕打ちを受けたやも知れぬ。そばについて慰めも慈しみもできなかったこのなさけない母をどうか許しておくれ…などと、いまだはるかに見えるに過ぎぬ行列の中に我が子の顔を思い浮かべつつ、万感の思いで胸を熱くするのでありました。