則子を接待に召せ
かつて大伴家持様、若様も自らを介して私と息子を引き合わせたいとおっしゃられていた。それはおそらく、私につれない態度を取るやも知れぬ為介の姿勢を恐れてのこと、引いては私を慮ってのことだったろう。さらには恵美押勝様の乱への連座を恐れる、私の気持ちをも思ってくださってのことだった…などと回想し、そしてそれをそのまま石上様のお気持ちとして置きかえてみたのでした。為介を養子として引き受け、養ってくださった方、神とも手を合わせたいその方に則子は自分のことでこれ以上、いかなる扶助をも賜わることを固く、固く自らに禁じています。為介に合わせてくださる、あるいはただにその顔を見させてくださるだけでもありがたいのに、もしやそのことで何かお心をくだかれてはいまいか、悩まれてはいまいか…などと、則子は虫の音が深まる中で夜がふけるまで思いをめぐらせるのでありました…。
〘張扇一擲!二、三擲!〙
さて、明くる神護景雲4年西暦770年10月15日、朝から抜けるような青空が大野の里の上にひろがっております。推古天皇が開かれたという由緒正しき大野城平野神社の前では、宮司、村長始め、着飾って威儀を正した村の衆が今や遅しと石上少弐御一行の到着を待ちうけております。則子はと見るやこれも地味ながらかつての女房としての、被衣を取った壺装束姿でこれを待ち受けております。当神社では延命の水と評判の高い銘水が、泉となってこんこんと地下から湧き出でており、新たな大宰府赴任の帥なり少弐なりが参拝に来る度に、これを手尺もて奉じるのが習わしとなっておりました。