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わが心なぐさめかねつ  作者: 多谷昇太
不如帰(ほととぎす)
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この章への説明

 不如帰と書いてほととぎすと読みます。もちろんこれは当て字で本来なら「帰るにしかず」と読み、この意味は「帰ったほうがいい」もしくは「帰るべきだ」となります。ではなぜこんな漢字があてられたかと云うと、それは中国の故事で望帝という人にまつわる逸話があるのですがそこから来ているのです。しかし明治時代にわが国の徳富蘆花という人が小説「不如帰」をあらわし、悲運の主人公の浪子と武男の悲恋物語があまりにせつなく、後の「愛染かつら」のように巷で有名になったので、わが国では以来ここに不如帰ほととぎすの由来を見ることになります。ところでホトトギスという鳥は託卵(他の鳥の巣に卵を産みつけて育児をその鳥にまかせること)をする鳥で、生まれ育つホトトギスの雛は決して産みの親を知ることはありません。それゆえにわが国ではまるで産みの親を捜し呼んでいるような、せつなげに鳴くホトトギスの声を珍重するようになります。古来有名な鳥はほかにうぐいすや雁がありますが、おそらくこちらのホトトギスの方がよりもてはやされていたかも知れません。

 さて、ではその自分を産んで捨てて行った親鳥に「帰るにしかず(戻って来てくれ)」と泣いていたような、いまだ元服したばかりの為介(13才くらい)の当時を思っては、その親鳥である則子は改めて自分ばかりを責め、三十数年後の再会において為介(の親不孝)を責めることはいっさいありません。ではその折りの親子の対面のさまを、講釈師が乾坤一擲、名調子で語ってまいりますので、ぜひご堪能くださればと思います…。

(※お断り)この折りの舞台とさせていただいた九州大野城市の平野神社は、実はこの話と年代がまったく合いません。則子の時代より200年後に建立されたものです。いたって不都合なのですが場所と云い、名水が地下から湧き出ていることと云い、話にうってつけでしたので史実・年代を無視して私が勝手に使わせていただいたのです。いくら創作講談とは云え、もし余りにもまずければ、のちほど当講談の中で講談師にお断りを述べさせようかとも考えています(=原稿を修正しようかとも考えています)。ひとつお含みおきくださいませ。


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