母様、おさらば
「(咳払いの声)」
「何じゃ」
「は。唯今大宰府より使いの者が。新羅特使の歓迎の宴、整いましたとのこと。至急お戻り願いたいということでございます」
「よし、判った。馬を引いてまいれ」
「は」
「(軽笑)いや、お婆、帰京を前に私も何かと多忙でな。ゆっくりそなたの話を聞くこともできぬ。私なきあとの暮らし向きは今と寸分違わぬよう、適当な数の封戸を付けて置く。身がきつければいつでも大宰府へ参れ。その旨監の役人に申し付けて置いた。また時々ここに見廻りに来るようにともな。だから何も心配は要らぬ」
「お心使いのほど、最後までありがとうございます。都でのさらなる御栄転のほどをお祈りいたしております」
「うむ」
戸を開けて表に出ると手綱を引かれた駿馬と、さらに騎馬数騎が控えております。金覆輪の鞍、厚総、鞦の赤も夜目にあざやかな駿馬にまたがると、見送りに出た則子にいまひとたび鷹揚にうなずいてみせます。
「若様、どうかつつがなく。お幸せに」
「最後まで若様か(笑う)。ではお婆、いや母様、おさらばでおじゃる。いつの世もまた孝養つかまつりたし。では」
掛け声勇ましく腹を蹴ると騎馬4騎はたちまち走り出し、瞬く間に闇の中へと消えて行きました。