マリナと願い星の魔法
むかし、魔法使いと人間は同じ世界で暮らしていた。けれど、世界が飢饉に見舞われたとき、人間は災いのもとは魔法使いにあるとし、魔法使いを狩った。世界は混乱し、多くの魔法使いが命を失った。生き延びた魔法使いが流れついたのは無人島だ。文字通り「人」がいないその島は魔法使いの棲み家となり、王国となった。マリナの曾祖父母の、そのまた祖父母の、それよりずっと前の話だ。
魔法使いの操る魔法は、護身とヒーリングのための魔法だ。迫害から逃れ、生きていくために必要だった魔力だ。王は、受け継がれたその魔力で国の平和と秩序を守ってきた。王妃は、その美しい歌声で国民の心を癒してきた。
マリナは、次期王国を継ぐプリンセスだ。王と王妃のあいだに長女として生まれ、幼い頃からその才能を発揮した。マリナは、けがや病気を治すことができる「キュア」の術に長けていた。魔法界のなかでも最高峰と言われている難しい魔法だ。二歳の頃、マリナが海岸に流れ着いた魚に手をあてると、傷ついた身体がきれいになった。十歳の頃、銛の刺さったクジラを介抱し、海へ帰してやったこともある。国じゅうの魔法使いがマリナの成長を安心して見守っていた。けれど、両親の関心は常に妹のエリナにあった。エリナは発達が遅く病気がちで、魔法使いとしての才能もなかなか開花しなかった。
「ねえ、マリナの魔法でエリナを治せないかしら?」
ある時、母がそう言った。母を喜ばせたい一心でマリナはありったけの力をふりしぼってエリナに気を送った。けれど、エリナに魔法の力が宿ることはなかった。
「もうやめなさい。マリナには無理だ」
父はマリナをエリナからひきはがし、母はエリナを抱きかかえ、奥の部屋へ引っ込んでしまった。父に無理だと言われたことが悔しかった。母をがっかりさせてしまったことも。マリナの心は深く傷ついた。
両親は、エリナを溺愛した。エリナが他の子供たちから馬鹿にされたり、つらい目にあわないよう、学校へも行かせなかった。そのかわり、城にはエリナのためだけの家庭教師がやってきた。
「あたしも学校へ行きたくない。家庭教師がいい」
マリナがそう言っても、両親はとりあわなかった。
「マリナはエリナとちがうでしょう」
妹のせいでマリナが学校でいじめられていることを両親は知らなかった。
「お前の妹、馬鹿なんだろ」
「魔法が使えないって、おれらみんな知ってるぞ」
「もしかしたら人間の子じゃないかって、じいちゃんが言ってた」
男の子が口々に言うと、女の子たちは「きゃあっ」とさけんでマリナを避けた。
「マリたん、マリたん」
そう言って、マリナにまとわりつく妹をかわいいと思ったことは一度もない。両親の手前、妹思いの優しい姉を演じていたけれど、心の中では妹をぶったり叩いたり、ひどいことを言って泣かせたりできればどんなにいいだろうとマリナは思っていた。
マリナが十三歳になった頃、エリナが砂浜で投げた貝殻が夜空の星になった。エリナのはじめての魔法に両親は感激して喜んだ。
「すごいわ」
「空が明るくなったみたいだ」
それはマリナのもつ魔法からしてみればちっぽけな、誰の役にも立たない魔法だった。それなのに、どうしてこんなにエリナばかりがちやほやされるのかマリナはわからなかった。きっと自分が醜いからだとマリナは思うようになった。顔だちも、身体つきも、マリナは自分の姿かたちがどんどん嫌いになっていった。次第に城に引きこもるようになり、誰もいない早朝にだけマリナは砂浜に姿を見せた。
浜辺に倒れている男をマリナが見つけたのは、まだ夜が明けきらない朝のことだった。ゆうべはひどい嵐で、岸に流されてきた小枝やがれきがいくつも転がっていた。投げ捨てられたように、男はうつぶせに横たわっていた。耳のかたちが丸い。人間だった。
人間の男をはじめて見た。絵本や教科書でマリナが知っている人間とは違うきれいな顔をしていた。そっと近づいて胸に手をあてると、男はかすかに息をしていた。身体のあちこちに擦り傷があった。マリナが魔法を使うと、傷はみるみるうちにきれいになった。
男が、目を覚ました。驚いたマリナは、さっと男から離れ、あとずさった。
「君が助けてくれたのか」
マリナがうなずく。男は、ニールと名乗った。
王国に人間がいることが知れたら、両親はただじゃおかないだろう。マリナは、ニールを海辺の洞窟へ連れて行った。生活に必要なものは、マリナが毎日持ってくるのでここから出ないよう約束した。
毎朝城を抜け出して、マリナはニールに会いに行く。
「マリナ様、最近はとても食欲があるのね。そういえば前より血色もよくなったわ」
何も知らないメイドは、冷蔵庫から食べ物を持ち出していくマリナを微笑ましく見守っている。
ニールはマリナを命の恩人と呼び、慕った。ニールは、遥か彼方の国の王子で、修行のために海を渡り冒険の日々を送っていた。マリナは、ニールがこれまで出会った様々な人種やそれぞれの国の伝統やしきたりの話に夢中になった。人間は、魔法使いよりも、ずっと広い世界に住んでいる。いつか王国を継ぐ日のために、ニールのように世界じゅうを旅したい。マリナはそう思った。
ニールもまた魔法の力で魚や小鳥の傷を癒すマリナに興味津々だった。
「この世に魔法使いが存在していたなんて本当に驚いたよ」
ニールは言った。ニールの喜ぶ顔が見たくて、マリナはありったけの魔法を見せてやった。ニールと過ごすようになって、マリナは少しずつ明るさをとりもどしていった。
ふと夜中に目が覚めると、エリナの部屋の扉があいて、小さな足音がぱたぱたと階段を降りていくのが聞こえた。こんな夜更けに、エリナはどこへ行くのだろう。マリナはそっと妹のあとをつけた。城をぬけ、海辺にむかって走っていく。波音が、マリナの鼓膜を震わす。砂浜に足をとられ、何度も転びそうになった。
エリナが向かっているのは洞窟のある方だ。まさかと思ったが、エリナは洞窟の前で立ち止まった。エリナが口笛を吹いた。それが合図だろうか。しばらくすると、洞窟の中からニールが出てきた。マリナはさっと岩場の陰に身を隠した。どうして? どうしてエリナと会っているの? エリナはニールを連れ立って歩き、やがてふたりは砂浜の上に並んで座った。ぴったりとくっついて、楽しげに会話をしている。エリナが貝殻を拾い、夜空に投げる。エリナの指先から生まれたばかりの星が、藍色の空に輝く。幾つも、幾つも。ニールがそっとエリナの肩を抱いた。
マリナの中に喉を焼くような黒い塊が宿ったのはその時だ。いつからだ。いつからエリナはニールと会っていたのだろう。そう言えば、最近エリナは妙に機嫌がよかった。鼻歌を歌ったり、食事のためにダイニングへおりてくる時も、ドレスの裾を翻し踊りながら、とても楽しげな様子ではなかったか。
許せない。ニールはマリナだけのものだ。傷ついたニールをキュアし、毎日食べ物を運び面倒を見ているのは自分だ。それなのに、エリナはいとも簡単にマリナから奪ったのだ。何の取り柄もないくせに。誰の役にも立たない魔法しか使えないくせに。
いや。そうじゃない。エリナは昔から何でも持っていた。両親の愛情も、可愛らしい容姿も、マリナが憧れたものすべてを持っていた。エリナはいつだって何食わぬ顔して、マリナの欲しいものを奪っていったではないか。
許せなかった。エリナも、マリナ以外誰とも会わない約束を守らなかったニールも。
夜明けにマリナは両親の部屋の扉を叩いた。
「王国に、人間が潜んでいます」
マリナが告げると、王は怪訝な顔をした。「ひっ」と妃が小さくさけんだ。
「その人間を、エリナがかくまっています」
「それは本当か」
「間違いありません。海辺の洞窟でエリナが人間の男と会っているのをこの目で見ました」
マリナが言うと、
「なんてことだ。けしからんっ」 王は怒りをあらわにした。
「あなた、どうしましょう」 王妃は動揺を隠せずにいた。
思った通りだった。両親は激高し、エリナを呼びつけた。
「ニールはいい人だわ」
エリナは泣きながら訴えたが、王は聞き入れなかった。外側からカギをかけ、エリナが部屋から出られないようにした。
「ねえ、マリナはわかってくれるよね。ニールに食べ物を運んでいたの、マリナなんでしょう」
足音を聞きつけて、扉越しにエリナに声をかけられたけれど、マリナはだまって通り過ぎた。ぬけがけした罰だ。マリナはほくそえんだ。
「いつか人間が襲ってくるかもしれん」
王は遣いに洞窟を見張らせ、家臣に海辺を警護させた。
戦争は、いきなり始まった。黒い大きな帆船が、いきなり王国を攻撃してきたのだ。銃声が鳴り響き、無数の矢が飛んできた。次々と降ってくる矢を王は魔法の力で弾いた。けれど、銃弾にはかなわなかった。王のバリアは破壊され、攻撃力を持たない魔法使いの家臣たちは負傷し、次々倒れていった。悲惨な光景だった。次々と城に運び込まれてくる傷ついた家臣たちをマリナは懸命にキュアした。マリナに救われ、再び戦場へ戻った家臣が、また負傷して戻ってくる。そんなことが続いた。マリナの体力は限界に来ていた。
これ以上負傷者が出れば、今度はマリナが倒れてしまう。王妃は戦争の終結を願ったが、王は怯まなかった。ニールを人質にとり、決して人間に屈しようとはしなかった。かつて魔法使いの故郷を奪い、今なお安住の地を奪おうとしている人間を許すことはできなかった。
「王様、大変です。エリナ様がお部屋にいらっしゃいません」
メイドが叫びながらやって来た時、誰もが行き先を疑わなかった。洞窟だ。エリナは、ニールに会いに行ったのだ。王は激怒した。止める家臣の腕を振り払い、王は自ら洞窟へ走った。マリナもあとを追った。
海は黒く、人間のものとも魔法使いのものとも区別のつかない狂気の雄叫びが、波音に紛れ響いていた。魔法使いが、人間が、折り重なって倒れている。足がすくんだ。マリナは振り返らなかった。父の背中だけを見て走った。
「来ないで」
洞窟の前に立ちはだかり、エリナは両腕を広げて叫んだ。危険を顧みず、父親がやってきたというのに、なんて親知らずな子だ。どれだけ愛されたら気がすむのだろう。マリナはうらめしく思った。
「帰るんだ、エリナ」
王がエリナの腕をつかもうとしたその時だった。うめき声とともにニールがその場に倒れこんだ。
いつの間につけてきたのだろう。王の側近で、料理人のサントスだった。サントスがニールの心臓めがけて包丁を突き刺したのだった。
「ニール」
エリナが叫び、ニールに駆け寄った。
「ニール。ニール」
胸をおさえたニールの手は真っ赤に染まっていた。
「マリナ。お願い」
エリナがマリナをふりかえって懇願した。魔法でキュアしろということか。誰のために。誰のために、マリナはこの男を助けなければいけないのか。すぐには動けなかった。
思考は銃声によって破かれた。サントスが倒れたのだ。弾がサントスの頭を貫通していた。あっという間にマリナたちは人間に囲まれていた。銃口が王に向けられる。
「やめなさいっ」
叫んだのはマリナだった。
「今からニール王子をキュアし、引き渡します。そのかわり、あなたがたはすぐにここを出て行くと誓いなさい」
一瞬、静けさが広がった。
「ここは、魔法使いの王国です。わたしは、この国のプリンセスです。わたしは、魔法使いの暮らしを脅かす者は誰ひとり許しません」
マリナはゆっくりとニールに近づき、跪いた。大きく息を吸い、傷ついたニールの身体に手を触れる。
その様子を父は見守り、人間たちは目を見張った。マリナが触れたところから徐々に傷あとがふさがれていく。ニールの顔色が明るくなり、血色をとりもどしていく。反対に、マリナは力尽き、青白く痩せ細っていく。マリナの命が危なかった。
「やめるんだ、マリナ」
王が叫んだ。その時、ニールが目を覚ました。
「おおっ」
人間たちが感嘆の声をあげた時、マリナはその場に倒れ伏した。
「どうしても行くのね」
マリナの言葉に、エリナはゆっくりとうなずいた。エリナは、ニールとともに王国を出て、人間界で暮らすことを選んだのだ。航海の準備が整うと、エリナは両親に別れを告げた。
「どうかしあわせに」
何度もそう言い、王妃は涙を流した。王はエリナの魔法をとりあげ、それを姉のマリナに与えた。
それから十年が過ぎた。マリナは、亡きサントスの息子と結婚し、王女となった。魔法使いの王国を守るため、マリナは毎日忙しく立ち働いているが、一日の終わりには決まって、マリナは小さな息子の手を引いて浜辺に出る。
一番星が輝きだす。
空に向かって、マリナは貝殻を放る。
息子が手をたたいて声をあげる。
いつか星あかりをたよりにエリナを乗せた船がやってくる。マリナは想像する。言葉にこそしないけれど、年をとった両親はエリナにとても会いたがっている。違う世界に嫁いでいっても、エリナにとってここは故郷だ。いつかもう一度会えるだろうか。
ひとつ、またひとつと夜空に貝殻を放り、マリナは思う。貝殻を星に変えるなんて、何の役にもたたない魔法だとばかり思っていたのに、いつからだろう。自分がそれに願いをこめているのは。
「もっと、もっと」
息子にせがまれ、マリナは砂をかきわけ貝殻を見つける。空に向かって勢いよく飛ばすと、貝殻がきらりと光った。
また、星が生まれた。