8 僕がここに来た理由
僕の暮らしていた世界は、今いるこの世界よりほんの少し時間の経過が遅い。
ここでの一年があちらでの一日くらいかな?
この世界ではサーフェスという名前にしたが、どうもこの地の人の一般的な名前ではなかったので、西洋人と呼ばれる人種に見えるように姿を変えた。
僕の本当の名前は「さかしなのふえすみずやれのみこ」だ。
きっと難しすぎて受け入れられないだろう?
住んでいる人々の暮らしぶりも価値観も、近いようでやはり違う。
景色はとても近いけれど、建物の形や日常的な服装も全く違っている。
それでもこの世界が懐かしいと感じるのは、僕の祖先がこの地に降り立った最初の「神」だったからかもしれない。
もちろん、僕の祖先が降り立った時にも人は暮らしていた。
その頃の人々は、日々の暮らしのことしか考えていなくて、隣り合った集落との小競合いはあったものの、征服とか侵略などという概念は持っていなかったと聞いている。
ではなぜそうなったのか…。
それは最初の「神」である僕の祖先が来たからだ。
彼らはこの地を統治して、生産性の高い中央集権型の国を作ろうとしたのだ。
それは、このままでは人といえど、自然界の動物の一種と変わらず、文明の発達もとんでもなく時間がかかりそうだったかららしい。
早い段階で手を出さないと、大陸から侵略されてしまうのは目に見えていたんだ。
それを阻止して、この自然を守るためには自立させなくてはいけないと判断した。
この地は僕の祖先からしたらパラダイスだったのだ。
つかれた体と心を癒すために訪れる観光地のようなものだ。
長期休暇を使って「ヒノモト」にバカンスに行くのは一種のステータスだったそうだ。
しかし、最初の「神」から何代目かの「神」が禁忌を犯したんだ。
この世界の女性との間に子供を作ってしまったんだ。
それはあちらの世界とこちらの世界を行き来するルールのようなもので、ミックスの血統はゲートを通過できないのだ。
ゲートが通過できない神など存在してはいけない。
だから子孫は残さないというおきてがあったんだ。
しかしできてしまったものは仕方がない。
神の子を身籠った娘の親は、その娘を遠く離れた僻地に隠し、死んだと言い張った。
まあ隠しても誰かがばらすのはいつの時代も同じだ。
都に定めた場所から遠く離れた山間で、神が作った政権とは別の政権が発足した。
ちょうどその頃、僕たちの世界でもちょっとした内乱があった。
人と交わること禁忌への反対派と賛成派の対立のような個のだ。
結局、多数決で反対派が勝利したけれど、ヒノモトに行く者は激減したそうだ。
そしてやがて疎遠となり、神とのミックス種がヒノモトでの神として政権を運営するようになった。
もうそれでいいはずだったんだ。
二度と行き来することなど無いはずだった。
でもあの事件が起こったんだ。
神の血を引く男が起こした理不尽な事件。
こちらの世界に戻らず、木や草や川や物に身を変えてヒノモトに残ることを選択していた神達が、手を出してしまうほどの事件。
そしてその時に命を奪われたあの娘の魂が輪廻により再誕したことによって、風化したはずの事件が再び動き出してしまった。
僕の妹を奪うために、あの男の魂がこちらの世界にやってきたのだ。
あの男の魂は、あの事件の時にその場にいた神によって分断され、半分は消滅したが半分は存在し続けた。
おそらく存在しつづけることができたのは、神の子孫であったことが理由だろう。
男は魂を半分にされた事で人型を維持できなくなっていた。
消滅した魂を戻すには、それを切り裂いた神が憑いていた形代を破壊することが必要だ。
そしてその形代は僕の世界に保管されていた。
男は僕たちの世界には入ってこられない。
そこであの男は、過去の事件を思い出したのだ。
今は僕の妹となっている自分が殺した魂と自分の魂を共鳴させ、引き寄せさせたのだ。
妹は自分の魂の過去のことなど記憶にないから、その男が現れたとき息が止まるほど驚き、恐怖した。
抗うこともできず、ただ無残に貪られようとしていた時、僕の中に鋭い声が響いたんだ。
『あの娘を助けてくれ!守ってくれ!』
その声が誰のものかなど、考える暇もなく僕は妹の部屋に走った。
その男が妹に襲い掛かろうとするその刹那、僕はその男を蹴り倒した。
その男は輪郭を持たない影のような形なのに、確かに個体として存在していた。
その男は姿を消した。
目的の形代である神刀オオクニヌシを盗んで…。
僕は他の神たちと相談して神刀オオクニヌシを取り戻すために、この世界へと降り立った。
神がこの地に降りるのは実に千六百年以上ぶりだ。
しかし、この地に来てもオオクニヌシの気配はまったく感じなかった。
『抜けたか?』
そう思ったが、万が一ということもあるし、あの男をこのまま野放しにするわけにはいかない。
そこで、僕はあの事件に関連する人々の魂が輪廻している人間のもとに向かった。
そう、あの事件の最大の被害者である娘の夫だった男の魂が宿る人間だ。
「まさか高校生とは思わなかった」
僕は仕方なく自分も高校生となり、その人間に近づいた。
きっと魂が呼び合ったのだろう、その人間も僕に興味を持ち近づいてきた。
できれば巻き込みたくは無いが、あの男は絶対にここに来ると確信を持っていた。
僕が守らなくては…
僕たちは仲の良い友として高校生活を楽しんでいた。
今は情報収集を優先するべきだと判断したからだ。
焦っても仕方がない…そう思っていたのに、僕は二つの重大な事実に気づいたんだ。
あの男の手に渡る瞬前に神刀オオクニヌシから抜けた神の魂が、新たに依り代として選んだものの正体。
そして、あの男が異常なほどあの娘に執着してしまう理由。
予想外の展開だが、こうなっては自分だけではどうしようもない。
可哀想だが、この青年にも覚悟を決めてもらうしかないだろう。
さて、どこから話せば良いだろうか…。