50 決戦の朝
少しゆっくり起きて食堂に向かうと、美佐子さんの笑い声が聞こえた。
誰かいるのかなと思いながらドアを開けると、明美さんが立っていた。
「明美さん!」
「あらおはようございます、トオルさん。夏休みだからって朝寝坊しているんですか?いけませんね」
「あっ、今日は特別ですよ。いつこちらに?」
「今朝早くに着きました。思っていたより時間が掛からなくて助かりました。山下は荷物を運んでいるはずですが、庭にいませんでした?」
「庭?じゃあ明美さん達はここに住むの?」
「ええ、こちらの離れに住まわせていただきますよ。まあもともとそこに住んでましたから、来るというより戻るという方が正しいですね。トオルさん、お母様のことですけど」
「聞きました。クサナギさんが来ているんです。やっぱりというか、それで良かったんだと思います。いろいろと仕方のないい事情もあったみたいですし」
「そうですか。私たちはトオルさんのことだけが心配でしたが、大丈夫そうですね。トオルさん、成長なさいましたね」
「それはどうでしょうか。一緒にいる人たちが恐ろしいほど経験豊富なので、毎日自分の未熟さに打ちのめされていますよ」
「まあ! それはそれは」
久しぶりに会った明美さんは元気そうだった。
まあ、久しぶりといっても一週間だ。
その一週間の中身の濃いことといったら!
「ご当主様から聞きましたよ。お出かけになるのでしょう?そこで美佐子さんと一緒に特製お弁当を作っているんです。必ず持って行って下さいね」
「お弁当?ですか?」
「はい、疲れたら食べてください。元気が出ますから」
「ははは! ありがとうございます」
「皆様の分もありますからね」
「さすがです」
その日の朝食は焼いたのどぐろと美佐子さんのお漬物とシジミの味噌汁だった。
僕にとっては懐かしい味だが、神々は目を輝かせてかき込んでいた。
お祖父様と山上教授が疲れ果てたような顔をしている。
食欲もあまりないようだ。
「お祖父様、大丈夫?」
「ああ、さすがに疲れたよ。アヤナミ様の逆鱗は鍛えがいがあった」
アヤナミが何杯目かのお代わりをしながら言った。
「そうなのか?初物ゆえまだ柔らかいと思うが」
「いえいえ、あれは神火でないとままならない。恐れ入りました」
「ふぅ~ん。そうなのか」
器用だ! 喋りながらもすでに完食している! しかもまた美佐子さんに茶碗を差し出している! 竜の食欲侮れん!
最終決戦に行く朝だというのにこの和やかさは何だろう。
「ねえ、とりあえず僕は何をすれば良いのかだけでも教えてくれない?」
サーフェスが沢庵をゴリゴリと嚙み砕きながら言った。
「君は元気でいてくれればいいよ。後は自分の内なる感情に注目してくれ」
「内なる感情?アツタノミコのこと?」
「そうだね。それもある。でも君の感情もあるだろう?」
「なるほど……」
僕は分かっていないのに分かったふりをして味噌汁を飲み干した。
「ごちそうさまでした」
「なんだ?トオル君は小食だなぁ」
クサナギさんがにこやかに言った。
「いや、みんなが異常だから」
僕はテーブルを離れて縁側に座った。
正面に見える山の景色が美しい。
都会では絶対に味わえない清々しい空を見ながら言った。
「今日は天気がいいのに雲が黒いね」
僕のその言葉にそれほどの破壊力があるとは思いもしなかった。
お祖父様は箸を投げ捨てるようにして工房に走り、山上教授は美佐子さんと明美さんを離れに避難させた。
サーフェスとクサナギさんは立ち上がり、床の間に置いてあった二振りの神刀を握った。
クサナギ剣を手にしてじっと見ていたクサナギさんは、それをサーフェスに渡した。
「兄上」
「良いのか?」
「取り込まれたら迷わず……」
「分かった」
二人はゆっくりと抱擁を交わす。
僕は呆然としてみんなの動きを見ていた。
「忘れ物は無いか?」
アヤナミが僕の肩に手をかけた。
「あっ! お弁当」
なぜか明美さんと美佐子さんの思いを持って行かなくてはいけないという責任感に駆られ、台所に走った。
それはすでに鞄に詰めてあり、僕はそれを斜め掛けにした。
ずっしりと重い。
どんだけ作ったんだ?
「行くぞ!」
サーフェスが新神刀オオクニヌシを僕に渡した。
アヤナミの逆鱗を鍛えて造られたそれは、アヤナミの髪の色と同じで鈍青色をしていた。
柄のところに金色の石がはめ込まれている。
「これは?」
アヤナミは片方の口角だけを上げてニヤッと笑った。
「お前の魂の拠り所だ」
やっぱり僕には意味が分からなかった。
研いだクサナギ剣はサーフェスが持った。
クサナギさんは僕の胸の石に入って行った。
じんと熱くなった石は、まるで別物のように重みを増した。
「クサナギさん」
「トオル君。僕は君が好きだよ」
クサナギさんの声が脳内で響いた。
僕は息を吞んで何か言葉を返そうとしたその瞬間、唐突にそれは始まった。




