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5 丘の上の天文台

「じゃあ僕はここで」


「こっちなの?」


「うん、そうだよ丘の上に住んでるんだ」


「丘の上って…天文台があったところの近くかな。あそこって今はどうなってるの?」


「廃墟?まあそんな感じ」


 曖昧に答えたサーフェスは、ニコニコしながら坂道を走って行った。

 その後姿を見送りながら、僕はいつもより強い喪失感に襲われた。


「お帰りなさいトオルさん。今日は遅かったね」


「ただいま帰りました。今日は友人と一緒に図書室で勉強していたから」


「ご苦労様です。今日はチキンジンジャーですよ」


「やった!すぐに着替えてきます」


 明美さんにそう言った僕は部屋に戻って窓の外を見た。

 僕の部屋からは海が見える。

 沈み切る前の断末魔のような一瞬の輝きを見るのが好きだった。


『それにしてもサーフェスって不思議な奴だ。言ってることは荒唐無稽なのに、なぜか何の躊躇も無く受け入れてしまう。始祖は異空間から来たって?普通なら笑うところだろう?しかし家業のまで言い当てたのは…』


「トオルさ~ん、おいしく焼けましたよ~」


 階下から明美さんの声がして、僕は急いで食堂に向かった。

 食堂には箸を持って待ちきれないという顔をした草薙さんが座っていた。

 

「ねえトオル君、ちょっといいかな?」


 食事を終えて自室に戻ろうとしていた僕に、草薙さんが声を掛けてきた。


「どうしました?」


「部屋に行ってもいい?授業計画を相談したいんだ」


 僕は黙って頷いて先に歩き出した。

 勉強机に座った僕に草薙さんは良く冷えたペットボトルの麦茶を差し出した。


「これっておいしいよね。昔はもっと焦げたような味がしてさ。少し苦手だったんだけど、最近のは本当においしい」


「麦茶が?」


「そうだよ。最初は焼いた麦の粉を溶かして飲んでたんだ。はったい粉って知らない?最初はあれ。そのうち粉にせずに焼いた麦をそのまま湯に浸して茶にしたものが主流になった。あれはなかなか旨かったけど、今の方が断然旨い。凄いよね、麦茶も進化してる」


「草薙さん?それっていつの話ですか?昭和?」


「あっ…どうだろう。忘れちゃった。外国に住んでいるとふと懐かしくなって自分で作ってみたりしたから、調べたんだよ。ははは」


「そうですか。それで計画ができたっていうのは?」


「ああ、これだ。ヤマト大学は日本史の重鎮がいる大学だよね。そして君が狙っているのは史学科だね?そうなると国語と英語は重点的にやっておく必要がある。あとは地歴と数学だけど、そっちはどうなの?」


「平均より少し上くらいでしょうか」


「直近の偏差値は?」


「六十です」


「もう少し上げたいね」


「そうですね」


「まあ六十もあれば受かるとは思うけど、余裕はほしいもんねぇ。国語と英語と地歴はとりあえず今まで通り自力で頑張ってみて。私は数学を強化していこうかな」


「はい」


 的確な指摘を受けて言葉を詰まらせていたら、部屋のドアをノックする音が響いた。


「ねえ守君?夕食は食べたの?」


 草薙さんは肩を竦めて立ち上がった。


「飼い主様のお呼びだ。せいぜい尻尾でも振って来るよ。じゃあ君も頑張ってね」


 甘ったるい声を出す母を宥めながら、草薙さんはチラッと僕の方を見てから静かにドアを閉めた。

 父に対しても母に対しても、もう何も感じないと思っていた僕の心の中に、少しだけどチリッとした感情が生まれた。


「振るのは尻尾じゃなくて腰だろう?」


 僕は悪態をつきながら、手にしていた数学の参考書を投げ捨てた。


 翌朝も草薙さんだけが食卓に座っていた。

 今日のメニューはハムエッグだ。

 トーストにバターを塗りながらふと草薙さんを見ると、ハムエッグに醬油をかけて旨そうに食べていた。


「草薙さんって和食派なんですね」


「出されるものは何でも食べるよ?でもせっかく日本にいるのだから、炊き立てごはんと味噌汁はマストでしょ?」


「なるほど」


「特に白米は最高だ。麦も稗も粟も混ざってないなんて夢のようだね」


「草薙さん?マジで…おいくつですか?」


「うん?いくつに見える?」


「三十くらい?」


「ああ、そんな感じ」


「本当は?」


「う~ん…千六百三十三?」


「…もういいです」


「ははは!冗談だよ!明美さ~ん、コーヒーお願いしま~す」


 草薙さんは明るい声で茶化すように言った。

 僕はなんだか真面目に相手をするのもバカバカしくて、さっさと朝食を平らげた。


「行ってきます」


「気を付けてね」


 草薙さんに見送られて僕は家を出た。

 考えてみたら山下さん夫妻以外で僕を見送ってくれたのは彼だけかもしれない。


「おはよう!」


 クラスメイト達が声をかけて、のろのろ歩く僕を追い抜いていく。


「おはよう!」


 そんな彼らの背中に返事を返しながらきょろきょろとサーフェスを探した。

 

「やあ!おはよう。ん?どうしたの?なんだか難しい顔をしているねぇ」


 僕の背中をポンと叩いてサーフェスが笑いかけた。


「おはようサーフェス。そう?難しい顔してた?」


「少しね。今日も図書室に行きたいんだけど付き合ってくれる?」


「もちろん」


 そんなふうに僕とサーフェスの距離は唯のクラスメイト以上に縮まっていった。

 草薙さんの授業は考えていたよりずっとまともで、一学期の中間テストでも良い結果を残せた。

 約束通りサーフェスに草薙さんの話を聞かせるが、ニヤニヤして聞いているだけだった。

 草薙さんは明美さんのごはんに魅せられたらしく、母さんに誘われても三回に一回は断って家で食事をしたがった。

 母さんはそんな草薙さんに飽きたのか、さっさと新しい男を作って遊び歩いていた。

 それでも草薙さんを追い出さないのは、きっと僕の成績が目に見えて上がっていることと、気が向くと母さんを女王様のように扱う草薙さんを手放すのが惜しいのだろう。

 本当に子供のような女だ。


 どの教科も良い成績をとるサーフェスの、唯一の苦手は日本史だった。

 どうも彼が習ってきたものと僕たちが習ってきたものに齟齬があるらしい。

 僕達は毎日、放課後の図書室で日本史の勉強をした。

 僕にとっての常識的な史実が、彼にとっては捏造だそうで、笑い飛ばすこともあれば真剣に議論を交わす事もあった。

 夏休みまであと二週間となったある日のこと、サーフェスはとても真面目な顔で僕に言った。


「夏休みは出雲に行くのだろう?僕も連れて行って欲しいんだ」


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