36 痕跡
サーフェスは片方の口角を上げて僕の顔を見上げた。
「これなんだと思う?」
サーフェスが指さしている黒い塊を見た。
「なんだか気持ち悪いな。動いてるじゃないか」
「うん、よく見て?」
僕はしゃがみこんで顔を少しだけ近づけて観察した。
「蟻?」
「そう、蟻」
「何にたかっているんだ?」
「蜂蜜の匂いがしない?」
「蜂蜜……えっ! まさか」
「たぶんそのまさかだろ。僕たちが寝ているところを襲うつもりだったのだと思う。様子を伺っている間に思わぬ伏兵が群がっていたってところかな」
「じゃあヤマトタケルは蟻に食われてるってこと?」
「いや、話しはそれほど単純ではないよ。そもそも僕とアヤナミがこれに気づいたのは獣の気配を感じたからだ。熊がいたんだよ」
「くっ熊ぁぁ」
「蜂蜜は熊の大好物だからね。ヤマトタケルは熊の鋭い爪で襲われたんだ。魂が消滅した気配は無いから逃げ出した残骸に蟻がたかってるって感じだ。しかしおかしいと思わない?」
「何が?」
「こんなごちそうを残して熊が森に帰るはずはない。熊の方が逃げなくてはいけないほどの状況が発生したのか、それとも……」
僕は黒い塊を見ながら小首を傾げて考えていた。
その時鋭い声がして、僕はサーフェスに横抱きにされたまま空中に飛んだ。
「サーフェス、気を抜きすぎだ」
アヤナミが近寄ってきて言う。
その手には剛剣が握られていた。
「ごめんごめん、やっぱりそうか。新しい形代に入ったんだね。でもあれじゃあ追っては来れないだろうに」
「どどどど、どういうこと」
「奴は今熊に憑依している。武器を失ったから熊の攻撃力に目をつけたのかな」
「最悪じゃん。だって関係ない熊を殺すしかないなんて」
「そうだな、まあ殺さなくても熊の体から追い出して他の形代に固定した方がこちらとしても狙いやすい」
「そんなことできるの?」
「この空間では無理だ」
アヤナミがフッと溜息を吐いた。
「仕方がない。付き合おう」
そう言うとアヤナミが空中でホバリングしている僕たちを下から睨んでいる熊の前に降りた。
「なるほど。水攻めか」
サーフェスがそうつぶやいて僕の体を放した。
「竜神池に熊を誘いこむぞ。アヤナミが溺れさせて熊か気絶したら奴は抜けるしかない。そしてわざと追わせる。この空間では僕たちの方が不利だ」
「どこに?」
「お前の故郷だよ。そして囮になるのは君だ、トオル」
「へっっっ! どういうこと」
「行くぞ」
言うが早いかサーフェスもアヤナミに続いて熊の前に降り立った。
襲い掛かろうとする熊を巧みに避けつつ、二人はジリジリと後退する。
ふと見るとその先には竜神池が見えた。
僕は意を決してクサナギを構えた。
奴にとって僕はオマケのような存在だけど、奴を消し去る明確な動機を有しているのだ。
「覚悟しろ!ヤマトタケル!」
僕はわざと大きな声をして熊の頭上に向かった。
その声を合図にして二人は竜神池の方に走り出す。
一瞬だけ僕の姿を見た熊は二人を追って走り出した。
「げっ! 熊ってあんな早く走るの?」
僕の予想に反して熊はどんどん二人との距離を詰めていった。
時々振り返りつつ池の手前で足を止めたサーフェスが大声を出した。
「ほら来いよ。俺は丸腰だぜ? まあ熊なんぞに負ける気は無いがな」
サーフェスの前にアヤナミが出る。
「俺が相手をしてやろう」




