第七章 風の精霊
「―フィランツォ帝国第二皇子ベン・ヘイリー・コールドウェル殿下及び、使節団の皆様のご入場です。」
堂々と、レッドカーペットの上を歩く。玉座への階段の下で、一行は跪いた。
「表を上げよ。言を許す。」
「ヴァルス公国大公殿下並びに公妃殿下に申し上げます。フィランツォ帝国が第二皇子ベン・ヘイリー・コールドウェル、帝国使節団を率い、参上致しました。この度の目的は、貴国と同盟を締結し、大陸の東端に位置するアルキナ帝国に対抗することでございます。締結に当たり、はじめに両殿下及び貴国の諸侯方の意見を伺いたく存じます。」
「承知した。賛成と反対を明確化するため、挙手を願おう。メネス。」
「はっ。賛成の者。」
半数以上が挙手する。
「反対の者。」
末席の一部の貴族が、怯えるように手を挙げる。
「決まりだな。私と公妃も賛成派だ。」
「では・・・・・・。」
「同盟の締結を決定する。」
大公が口角を上げた。これまで見てきた皇帝たちよりも穏やかな目をしている。
「貴国の賢明なる判断に感謝致します。」
大公が小さく頷く。
「では、早いがこれで解散とする。皇子殿下と魔塔の魔法使い殿を残し、後はご退出願おう。」
「ははっ。」
人が、ぞろぞろと去っていく。
「アーノルド。外で見張っていてくれ。」
「承知しました。」
僕が小声で囁いて間もなく、アーノルドとニルシェ、公妃様も立ち去り、僕とレネディセフだけが室内に残された。
「ベン殿。」
「はいっ。」
「そんなに堅苦しくなくていい。そなたの父上から手紙はいただいている。親睦会の時に石を見せてほしいとのことだったが、人がいないほうがいいだろう。よろしければ今、お見せしようと思っているのだが・・・・・・。」
「ご配慮に感謝します。」
「これなのだが・・・・・・。」
大公は布でくるんだ塊を持って、階段を降りてきた。
布を取ると、緑色の石が現れた。ペリドットだ。
「触れてもよろしいですか?」
「もちろん。」
やり方は知っている。多分、スファルディの時と同じようにすればいいのだ。
僕はあの時のように、石に手を翳した。
風が巻き起こる。初夏の草の香りが漂う。
「なんだ、これは!?」
「石を置いてください!」
大公はびっくりした様子で石を床に置いた。
人影が現れる。
長い深緑色の髪をなびかせて、端正な顔立ちの青年が現れた。
「僕はイアス。風の精霊さ。」
「イアス・・・・・・。」
イアスは優しい眼差しを向けた。
「君は、精霊使いだね。契約しているのは、シグ?」
「うん。」
「僕は、石を混ぜられても構わないよ。反抗するつもりは無い。ただ、約束してほしいことがあるんだ。」
イアスの黒いマントが揺れる。
「どうか、旅する自由さを忘れないで。僕は、誰もが縛られず、自由になってほしいから、ここにいるんだ。それが、僕の存在意義であり、願いだよ。」
「・・・・・・分かった。僕も、旅は好きだよ。自由も、好き。約束は守るよ。」
「ありがとう。」
「代わりに、僕からもお願いがあるんだ。精霊界に戻って、シグの様子を見てきてほしい。」
「何かあったのかい?」
「スファルディに呪われて、精霊界に帰っちゃったんだ。」
イアスの眉間に皺が寄る。
「スファルディ・・・・・・。あいつを倒したのかい?」
「うん。」
「いいよ。・・・・・・とは言っても、心配だろうから、君も一緒に精霊界に連れて行ってあげるよ。」
「行けるの!?」
「だって君、前に四界の守護者に会ってるでしょ?」
「・・・・・・えっと、あの木・・・・・・世界の化身のこと?」
「そう、それ。だったら行ける。行きたい?」
僕の返答に迷いはなかった。
「行きます!!」
「ねえ、本気?」
「本気。」
「精霊士だったんだな・・・・・・。」
「黙っていてすみません。」
「いいんだ。精霊の存在があやふやな今、公言するのは抵抗があるからな。」
「ええ。」
大公は僕の手を握った。
「あの石はベン殿が必要としているのだろう?ならば、きみが持っていてくれ。それが正しいことだと、私は信じている。」
「ありがとうございます。」
「ただ、ここは人が来るかもしれない。きみの部屋に魔法使い殿以外は誰も入れないように命じるから、一度戻ってほしい。無事を祈っているよ。」
「分かりました。」
(いい人だなあ・・・・・・。)
石を持って、レネディセフと共に、謁見の間を後にした。
「準備はいい?」
「うん。」
「じゃあ、君がいつも身につけているものを貸して。神経で移動するから、肌に馴染んだものを媒介にする。」
「肌身離さず・・・・うーん・・・・・・。あっ!」
僕は鞄の中を探った。銀のペンダントが出てくる。
「毎日ってわけじゃないけど、結構な頻度でつけてるよ。」
「ならば、これにしよう。首にかけて。」
ペンダントを首から下げると、イアスは僕の両手を取った。
「目を瞑って、深呼吸。」
言われた通りにする。僕は幻覚の中に吸い込まれていった。
イアスが隣にいる。遠くに樹が見えた。
「守護者!」
それは紛れもなく、四界の守護者と呼ばれる白い大樹だった。
『戻ってきたか。』
「いや、僕が連れてきた。」
『お前が?禁忌を侵すつもりか?』
「禁忌じゃないよ。一回死んだ人なんだから。時空を渡れる。」
『・・・・・・。ベンよ。思想世界から帰れなくなるかもしれないが、いいのか?』
「ここまで来て、帰りたくはないよ。」
『・・・・・・忠告はしたぞ。イアス、命を懸けてベンを守り抜け。』
「うん、もちろんだよ。」
『精霊界はこの道を左に。』
「ありがとう!」
「行こう。シグも待ってるはずだよ。」
「うん!!」
イアスの力で山肌や湖面を飛びながら、颯爽と進む。
「あれが僕たちの住むところだよ。」
イアスが指さす方向には、霧に包まれた岩の島が幾つも浮いていた。
「シグのいるところはあっち。」
「どうやって行くの?」
「梯子を上る。疲れるから、一番下までは瞬間移動しよう。」
イアスがぱんと手を叩くと、目の前に綱の梯子が現れた。
「これを五つ目の島まで上るの。」
「五つめ・・・・・・。」
ごくりと唾をのんだ。天空から降る真っ黒な影の中で、僕は拳を握った。
「何も恐れることはないよ。ただ・・・・・・。」
「ただ?」
「ただね、島ごとに途中で試練が待ち受けている。」
「え・・・・・・。」
「その試練には、君は一人で立ち向かわなくちゃならないよ。」
「・・・・・・イアスは?」
「ぼくは、行かなきゃ行けないところがある。」
「あ……。」
「自分との戦い、なんだ。精霊界の秩序を守るために全ての者に課されている。」
「自分との戦い・・・・・・。」
僕はもう一度、虚空に目を向けた。
「君に、出来るかい?」
「・・・・・・できる、じゃない。やるんだ。シグのために。」
イアスがのんびりと微笑んだ。
「そうだね。君は打ち勝たなきゃ。」
「うん。」
僕は梯子に足をかけた。重みでぶらんと前後へ揺れる。
「わ・・・・・・。」
「下はあんまり見ない方がいい。・・・・・・僕は先に行ってる。・・・・・・大丈夫?」
「うん。頑張る。」
不安定な梯子にしがみつきながら、心配そうなイアスに返事をする。
「上を向くよ。足がすくまないように。」
「うん。きっと、そうして。」
イアスはそれだけ言うと、翡翠色の破片になってはらはらと消えた―。
「あと、少し・・・・・・。」
三つ目の島はもうすぐだ。一つ目と二つ目の島の試練は、難なくこなすことができた。このままなら、五つ目まで行ける。
三つ目の島の陸地に這い上がって、顔を上げたその時だった。不気味な唸り声が聞こえたのは。
「グゥ・・・・ガルルルルッ!」
「!?」
それは、一つの胴に三つの頭を持った犬の怪物だった・・・・・・。
「ケルベロスだっ!!!」
咄嗟に身構える。
狂犬-ケルベロスはぐわっと口を大きく開き、僕に咬みつこうとする。
「本当に・・・・・・いたんだ。」
恐れよりも驚異で心がいっぱいになった。
耳横を、槍のような疾風が切り裂いていく。
(・・・・・・噛まれる!!)
咄嗟に身構えると-かっ、と、目の前が光った。
恐る恐る双眸を開ける。ケルベロスの体は、宙で静止していた。
(え・・・・・・?)
僕は、当然、このまま丸呑みにされると思っていた。しかし、怪物は止まった。
「時が、止まってる・・・・・・?」
時の流れを止められる存在は、1人しか有り得ない。
これは、シグの力だ。




