第六章 訪問
しばらく経ったある日、僕はエデンに呼ばれた。
「失礼します。」
「座れ。」
執務室のソファーに腰掛ける。エデンだけでなく、アーノルドとリヴェラ、レネディセフ、それから・・・・・・。
「フォッフォッフォ。おお、これはこれは第二皇子殿下。お久しゅうごじゃる。」
「大司祭殿!ご無沙汰しております。」
「そういえば、お前とニルシェは魔力測定以来だったな。」
「ええ。」
「随分立派になられて。」
「いえ、僕はまだまだ未熟者です。」
苦笑いで軽く否定した。
エデンが咳払いをする。
「ごほん・・・・・・。さて、本題に入る。今日、お前たちを呼んだのは、使節団としてヴァルス公国に行ってもらうためだ。」
「ヴァルス公国・・・・・・ですか?」
「ああ。ローレンスには、同日、ラミュエラ帝国を訪問してもらう。同盟を結んできてほしい。」
「国際関係で何かあったのですか?」
「アルキナ帝国が、不穏な動きを見せている。下手すれば、我が国も潰されかねない。」
「なるほど・・・・・・。」
「ほら、やっぱりね。こないだの魔塔との会議で言ったとおり!」
「・・・・・・・・・・・・。」
レネディセフの言葉に、その場の全員が閉口した。
「皇帝の考えは正しいよ。俺もそれが最善だと思うね。」
「どうも・・・・・・。」
少々うざったそうにエデンが目を伏せる。
「とにかく、同盟を結んで帰ってきてくれ。くれぐれも粗相はないように。特にレネディセフ。」
「俺?」
「ああ。もしヴァルス公国の太后に会ったら、言葉遣いには気をつけろ。あれは・・・・・・。」
「あれは?」
彼は言いかけて、しまった、という顔をした。
「いや、何でもない。」
「忠告ありがとう。」
レネディセフは、今まで見た事ないくらい不気味に、緑の目を輝かせてにやついていた。
嫌な予感がする。
「出発は一週間後。健闘を祈る。」
「はーい!」
「承知致しました。」
「了解いたしましたぞ。」
「分かりました。お役目、頑張ります!」
アーノルドとリヴェラは退室させられ、ニルシェは神殿に帰されて、僕とレネディセフは執務室に残された。
「ベン、精霊を召喚してくれ。」
「分かりました。」
シグがどこからともなく現れる。
「何用だ。」
「そこに座って。」
「・・・・・・。」
渋々、シグがソファーに座る。
「全員揃ったな。・・・・・・精霊殿、ベンは来週、ヴァルス公国に使節団を率いて訪問する。」
「シグでよい。それで?」
「そこで、到着した翌々日に、あちらの“石”を見せて貰えるように文書を送っておいた。」
「あ・・・・・・。ありがとうございます。」
エデンは無言で頷いた。
「何故、ヴァルスを選んだのだ?」
シグが不思議そうに尋ねた。
「秘密裏に、石について調べさせている。しかし、ラミュエラ帝国の石についての情報がないのだ。つまり、まだ見つかっていない可能性がある。」
「・・・・・・。」
「そうなんですか?」
「実はな。だから、ヴァルス行きの方が良いのではと思った。」
「ラミュエラ帝国で見つかってないってことは、最悪、砂漠のど真ん中に落ちてる可能性もあるしね。」
「そういうことだ。」
シグが挙手した。
「我は、石の在処が気配で分かる。探すのは難儀ではない。」
「そうなのか?しかし、石を持ち去ることは出来ないだろう?」
「分からぬ。だが我の転移能力で、瞬きのうちに国をまたげぬことはないぞ。」
「それはそうだろうが・・・・・・。」
「これから一週間のうちに我がラミュエラまで行き、気配を探って来よう。気配が分かり次第、ベンを飛ばせば良い。」
「・・・・・・分かった。期限は出発の前日までだ。」
「良かろう。」
「ベン、無理はするな。」
「僕は大丈夫です。」
「レネディセフ、ベンを頼む。」
「分かったー!」
出発の二日前。
急にシグが現れて、僕は腰を抜かしそうになった。
「わ!?シグ!?」
彼は疲弊しきった様子だった。
「石を、見つけた。」
「!」
「高山地帯だ。すぐに防寒着を用意せよ。」
「シグ、少し休んだ方がいいんじゃ・・・・・・。」
「・・・・・・一時間半、汝を待つ。それまでに用意を。」
「大丈夫?」
「案ずるな・・・・・・。少し、精霊界に戻る。」
「うん・・・・・・。」
シグが消える。僕は急いで防寒着を用意し、その足で父の執務室に向かった。
「失礼します。父上!今、シグが・・・・・・。」
「帰ったのか?」
「はい。」
「ベン、その格好は・・・・・・。」
「これから、ラミュエラ帝国の高山地帯に向かいます。図書館で以前、ラミュエラ帝国の高山地帯は一年中雪氷の中にあると聞いたので、厚着をしました。」
「そうか。」
「“菫青石の雫”をお貸しください。あれが必要なんです。」
「・・・・・・分かった。いちいち取りに来るのも大変だろう。それはお前が持っていなさい。」
「!!・・・・・・ありがとうございます!」
「無事を祈る。」
僕は深くお辞儀をして、執務室を出た。
「ベン、行くぞ。」
「うん。」
一時間半はあっという間だった。その間にシグは、すっかり回復していた。
「石と剣は持ったな?」
「ああ。」
シグは息を吸って、僕の手の甲をなぞった。
「汝に加護をかけておいた。何かあっても、汝は助かる。」
「ありがとう。」
この間誘拐犯から逃げた時のように、シグがパチンと指を鳴らすと、目の前が雪景色に覆われた。びゅうびゅう、吹雪いている。
「あれだ。」
立ちはだかる崖の上を見る。無色透明の石が輝いている。
「どうやってあれを下ろすの?」
シグが足踏みする。
すると、雪が空中で静止した。
崖に向かい、手を差し伸べると、シグの手から黄金の光の筋が放たれた。
光は、石を包み込む。
「手を翳せ。」
浮いたままの石に触れる。表面は氷のように冷たかった。
石の周りを、純白の雪が渦巻く。
獣みたいな耳の、白黒の少年が現れた。
「あーあ、まだ寝てたかったんだけどなあ。」
「・・・・・・スファルディ。」
「へえ、シグじゃないか。」
スファルディは、僕の方を凝視した。その視線に、底の無い恐怖を感じる。
「そっちは精霊使い?珍しいなあ。」
「・・・・・・我の契約者だ。」
「ふうん。」
翼がゆらりと動く。
「で、石を混ぜにでも来たの?」
「ああ。その通りだ。」
「でも、まだ石を渡したくないんだよねえ。・・・・・・そうだ!シグ、オレと戦って勝ったら、混ぜてもいいよ。」
「・・・・・・良かろう。相手をしてやらぬこともない。」
「じゃあ、相手が降参したら、負けね。一回きりだよ。」
「分かった。・・・・・・ベン、汝は手を出すな。敵は、生死を司る精霊。太刀打ちできる相手ではない。そしてこれは、精霊と精霊の戦いだ。干渉は認めん。」
「大丈夫なの?」
「ああ。・・・・・・石を、頼む。」
シグは、眉をひそめた。スファルディと対峙する。
相手が動いた。空気が変わる。シグはよろめきつつも、光の膜を作った。
スファルディがバリケードを割り、シグが咄嗟に闇の矢を飛ばす。
互角の戦いが繰り広げられる。
「それなら、これはどうかな?」
スファルディは、口元を緩ませた。死骸と蔦で作られた人形が現れる。ゴーレムは、腐敗臭を漂わせながら、蔦の鎖を飛ばす。
シグは危機一髪、高速移動でそれを避けた。光の球が降り注ぎ、できた影から腕が伸びる。 ゴーレムたちは足を掴まれ、闇に引きずり込まれた。
落下するシグに向かって、スファルディはさっと手を振った。風の斬撃が襲いかかる。斬撃は、避けるシグの頬を掠る。血が落ちた。
「ぐうっ!」
シグは頬を押さえた。傷口からは、ぶわっと黒い霧が噴き出している。呪いだ。
頬に、禍々しい紋章が刻まれる。
「シグ!!」
僕は叫んでいた。
シグは膝をついた。痛いのか、顔を歪めている。
「シグ!!負けるな!負けちゃダメだ!」
涙が止まらない。
「これでもう、終わりだよ。」
スファルディが吹雪の渦を作る。凍てついた結晶たちが、竜巻のようにうねる。竜巻は、シグの方に向かっていった。
「シグーっ!!」
シグが巻き込まれかけたその瞬間、強い光と闇が、シグの身体から放たれた。一体の龍が形成される。
龍は竜巻を押さえると、スファルディに向かって投げ飛ばした。牙を剥き、襲いかかる。
「え?」
呆然とするスファルディは、竜巻ごと、龍に丸呑みされた。
金と紺の龍はとぐろを巻き、シグの身体に戻っていく。
シグは、色無き雪原に倒れていた。
僕は駆け出していた。
「シグ、起きて!死なないで!」
返答はない。シグの身体が透けていく。
「しっかりして!」
閉ざされたシグの瞳から、ぽたりと露がこぼれた。じわっと雪に染み込む。
消えゆく彼に付けられた紋章が、白く光る。
シグは跡形もなく消え去って、僕はその場にぺたんと座り込んだ。遠くにはスファルディの石が転がっていた。打ち付ける氷が、頬をなぶる。
「ベン。」
声がした。
振り向いたら、レネディセフがいた。
「どうして?」
「皇帝に、助けに行ってこいって言われて、転移魔法陣張って、ここまで来た。」
「・・・・・・シグが・・・・・・・・・・・・。」
レネディセフが僕を抱きしめて、背中をさする。
「大丈夫。あいつは死なない。休息のために、精霊界に呼び戻されただけだ。心配するな。」
「でも・・・・・・。」
「ベンにはやることがあるだろ?そっちが優先だ。そうじゃなきゃ、あいつも浮かばれない。」
「・・・・・・・・・・・・。」
僕は罪悪感に駆られていた。
(僕が、動いていれば。)
「ベン!お前のやるべきことをやれ。お前が今しないといけないのは、泣くことじゃない!あいつに申し訳ないと思うのなら、あの石を拾って混ぜろ!」
レネディセフは、怒っていた。そういう彼を、今まで見たことがなかった。
僕は泣きながら、立ち上がった。
大きな水晶を拾う。
持ってきたアイオライトとかち合わせる。接触面が光を帯び、二つの石が溶け合って、一つになった。菫青石の碧色は少し薄まっていた。
それをもとの木箱に入れて、僕はレネディセフを見た。彼は笑っていた。
「帰ろう。」
「はい。」
僕たちは雪山を後にした。
「先生、シグは本当に無事なんですよね?」
「うん。大丈夫なはずだよ。」
帰った後、心配でたまらなくなって、僕はレネディセフのところに押しかけた。
「・・・・・・・・・・・・いつ頃目覚めるんでしょうか。」
「三日もすればピンピンしてるんじゃないかな。」
レネディセフは労わるように、僕の頭を撫でた。
「それよりも、今は使節としての役割を果たすのが君の仕事だよ。明日、しっかり休んでね。」
「・・・・・・はい。」
(そうだ。僕の務めを、果たさなきゃ。)
出発の日は、朝からごちゃごちゃしていた。
「ベン、用意は整ったか?」
「僕は大丈夫をです。」
「あれ詰めて、これ詰めて・・・・・・。」
「レネディセフ。お前は詰めすぎだ。量を減らせ。」
「えー。でもさあ。」
「でもさあ、ではない。」
「私も用意できました!」
「え!?アーノルド、そんなに剣を持っていくつもりなの!?」
「あっちで稽古したいので、折れたら大変ですから!」
「アーノルド。お前もあと五本は減らせ。」
「えー・・・・・・。」
「あっちでも調達できるはずだから・・・・・・!」
レネディセフは魔道具で、アーノルドは武器で鞄が膨らんでいる。
僕とエデンは苦笑いした。
「ベン、私はローレンスのところを見てくる。荷物の作り方を教えてやってくれ。」
「はい・・・・・・。」
エデンが出ていって、僕は一生懸命に荷物を減らすのを手伝った。
「皆さん、朝食です。」
「あ、ありがとう!」
次女が、朝食を紙袋に詰めて持ってきた。朝食は、汽車で食べる予定だ。
「これでいいでしょうか?」
「大丈夫だよ。」
「ねえねえ、俺のは?」
「できるなら、その渾天儀みたいなやつを外してください。かさばるので。それから、靴下を持ってきてください。」
「はーい。」
レネディセフが靴下を取ってきたところで、丁度エデンが戻ってきた。
「出発だ。ローレンスとリヴェラに会って来なさい。」
「はい!アーノルドとレネディセフも行こう!」
「ええ。」
「あっ、ちょっ・・・・・・待っ・・・・・・待って!?」
「兄上ー!」
隣にあるローレンスの部屋の戸を開けると、ローレンスとリヴェラが荷作りをしていた。リヴェラはローレンスについて行く予定だ。
「あ、ベン。もう行くの?」
「はい。先に出るので、挨拶しに来ました。」
「そっか・・・・・・。ぼくたちもその後すぐに出るよ。頑張ってね!」
ローレンスからの応援に、僕は、お腹の底から力が湧いてくるような気がした。
「兄上と母上も、頑張ってきてください!」
「絶対に同盟を結んでみせるわよ!!」
「はいっ!!」
僕とローレンスの声が、綺麗に重なった。
僕たちは城を出て、駅でニルシェと合流した。一両貸切の汽車の中で食事し、カードゲームや読書をしているうちに、刻々と時間が過ぎていった。
「まもなく、ヴァルス公国首都・ペデノール市でございます。ご乗車ありがとうございました。忘れ物には注意し、ご自分のお荷物をご準備下さい。繰り返します―。」
フィランツォ帝国から同乗してきた駅員が、呼びかける。
車内には夕暮れ時の朱い陽光が差し込んでいた。
「レネディセフ、起きて!」
「うーん・・・・・・。」
「アーノルド、準備できた?」
「万全です。」
レネディセフを起こして、アーノルドに確認を取る。ニルシェは長い白髭を撫でていた。
列車が止まる。
「使節の皆々様、お出口は前です。」
僕たちはぞろぞろと一列に並んだ。
先程、到着を知らせてくれた駅員の手を取って、下車する。
「ありがとうございました。」
「こちらこそ、ご乗車ありがとうございました。」
全員が降り立つと車掌が笛を吹いて、汽車は遠くへ行ってしまった。
別の駅員がやってくる。
「使節団の皆様、ようこそヴァルス公国へお越しくださいました。駅の外に馬車をご用意させていただいておりますので、馬車までは私がご案内いたします。」
「分かりました。」
荷物を手に駅を出ると、人形の家みたいな美しい街並みと、通りの奥に構える豪奢な城が広がっていた。街は商人や客の声が絶えず、活気に満ちている。
「わあ!素敵なところですね。」
「はい。ここは中央通りといいます。右のひとつ向こうには東通り、左のひとつ向こうには西通りと呼ばれる大通りが、整備されております。ここ、中央通りはペデノール市のメインストリートですね。」
「へえ。」
「ペデノール市郊外には葡萄畑が多くて、ここはその葡萄から作られるワインがとても有名です。この通りにある、“フォルセ爺さんの菓子工房”は昨年の公国菓子大会で優勝した店で、そこのキャラメルクッキーは、お土産としておすすめですよ。」
「俺、キャラメルクッキー食べたい!」
「レネディセフは甘いもの好きだね・・・・・・。」
「私は陛下にワインを買っていきたいですね。」
「ふむ。神殿の者たちには、映像石を土産にしようかの。」
「持ってきたんですか!?」
「十一個ほど。予備に一個増やしておいたのじゃ。」
「僕もそれがいいです!後で予備の一個下さい!」
「フォッフォッ。城に着いたらのお楽しみじゃな。」
案内してくれた駅員が、ぴたりと足を止める。
「馬車はこちらです。お手をどうぞ。」
「丁寧な案内をありがとうございました。」
「いえいえ。旅を満喫していただければ、幸いです。」
馬車に乗り込む。最後にアーノルドが座ると、御者が鞭打った。馬車が動き始める。移りゆく街の景色を目に焼き付け、城へと向かった。
城に着いて歓迎され、応接室に通されると、まず、侍従の方から日程を聞かされた。
「皆様は明日、大公様にお目にかかります。その後、歓迎会を行い、夜はパーティーにご参加いただきます。明後日は親睦会を行い、明明後日は同盟締結の式典にご出席いただき、昼食後、夜行列車にご乗車いただく予定です。それ以外は自由行動とさせていただきます。」
「分かりました。」
「今日は各自お部屋にご案内申し上げた後、夕食をお持ちいたします。」
「はい。」
部屋に案内されて荷物を置くと、すぐに夕食が届いた。食事を終え、湯に浸かって、寝台に寝転がる。
ふと、シグのことを思い出した。
「シグ。」
名前を呼ぶ。返事は無い。
(大丈夫かなあ・・・・・・。)
募る不安を押し殺して、僕はそのまま眠りについた。
忙しい一日が終わりを告げた。
「おはようございます、殿下。」
「おはよう。」
「お着替えを手伝わせていただきます。」
「あ、確認だけしてくれればいいよ。自分で着られるから。」
「・・・・・・承知いたしました。」
朝一番に声を掛けに来るのが侍女なのは、いつぶりだろうか。最近はレネディセフか、アーノルドか、もしくはローレンスだったので、すごく不思議な感じがする。
普段用ではない、式典用のセーラーローブに袖を通す。いつもは青色だが、式典用のは紺に金糸で刺繍が施された、白いリボンのローブだ。そう考えたわけではないのだが、たまたまシグの髪のような色になっている。
「どう?」
「大丈夫そうです。朝食会場へご案内いたします。」
「うん。」
侍女について行くと、既に三人とも来ていた。
「ベン、おはよー。」
「おはようございます、ベン様。」
「フォッフォッフォ。おはようございまする、第二皇子殿下。」
「みんな、おはよう。」
席に着く。すぐに料理が運ばれてきた。外は心地良く晴れている。
食事中に詳しい流れを聞き、食後、すぐに謁見の間に向かうことになった。
「緊張しますね。」
「うん・・・・・・。何かあったらフォローしてね?」
「しっかりとお支えいたします。」
扉が、開く。
貴族たちの視線が、一斉にこちらを向いた。
「―フィランツォ帝国第二皇子ベン・ヘイリー・コールドウェル殿下及び、使節団の皆様のご入場です。」