第五章 もっと強く
嫌な音がして、振り向く。
「・・・・・・え?」
あのアーノルドが、倒れていた。黒い影が、迫る。
首をガツンと叩かれる。
「う・・・・・・。」
「きゃああああ!」
アリアの悲鳴が聞こえた次の瞬間、目の前が吹っ切れて、真っ暗になった。
「・・・・・・ん・・・。」
気づいた時には、見覚えのある場所にいた。
「ここは・・・・・・。」
あの、牢屋だ。ルシアに嗤われた場所。そして、衛兵に無理矢理押し込められた場所。
戻ったのか、夢なのかは分からない。ただ、あの時のように暗闇が蔓延って、じめじめ、ぬらぬらと、床が炎を反射する。
小柄な人影が、こつこつ足音を立てて、近づいてくる。現れたのは、予想通りの白銀の髪。そして、自分とそっくりの顔。
「ルシア!」
「無様なお兄様。あーあ、同じ顔ってだけで、反吐が出そう。」
憎らしいその顔を睨む。
「弱い癖に、私を睨むなんて何様よ。」
「俺は、お前なんか嫌いだ。」
「生意気な!」
顎を掴み上げられる。白い腕が、俺の首を絞め始めた。
「・・・・・・っ。・・・・・・俺は、弱い。でも、道を踏み外したお前には、負けられないっ!」
ルシアの額には、青々と血管が浮いていた。目も、血走っている。
首を絞める腕を全力で引き剥がし、がぶりと噛む。
「・・・・・・っ!よくも!」
ルシアは短剣を手に取った。その刃は黒い炎をぼうぼうと纏っている。それを、やたらめったらに振り翳してきた。
頬が切れる。顎から血が滴った。脇腹も軽く切られた。傷口からは真っ黒な霧が吹き出す。途端に、焼けるような痛みが走った。
「ぐあっ・・・・・・。」
「ほら、弱いのに。呪いをかけてあげたわ。じわじわと死になさいな。・・・・・・ふふ。せいぜい、苦しみなさい!」
「くっ・・・・・・。僕は、屈しない・・・・・・。死んでも、お前には、負けない・・・・・・。」
呼吸が浅く、早くなっていく。真っ赤に汚れた血を吐いた。視界も、ぼやけていく。
(苦しい。痛い。熱い・・・・・・。でも、負けるわけには・・・・・・。)
『忘れるな。お前が、誰なのかを。』
『ベンを、信じるよ。』
『我の力を。』
声がする。俺は、この声を知っている。
俺は・・・・・・いや、違う。僕は―。
「僕はロルフじゃない。僕は、ベンだ!」
「な、何を言って・・・・・・。」
言葉を遮る。
「シグ!!」
黄金の光が湧く。僕が、染まっていく。
「きゃっ!?」
ルシアが怯んだ。目の前の少年の、二色の髪と二色の瞳が揺らぐ。
シグが、召喚されたのだ。
同時に、ルシアの体と僕の三つ編みがぱらぱら砕け散り、灰のように一箇所に集まった。不気味な影が出来る。
灰から、白銀の長髪と蛋白石みたいな瞳をした青年が作られていく。
「構えよ。来る。」
次の瞬間、鋭い氷柱が耳元を掠った。
「避けたか。癪に障る。」
冷たい声。その男の顔も、ルシアとロルフと同じだった。
「お前は誰だ。」
「ロルフィネッサ。」
背筋が凍りつきそうな笑みを浮かべている。
シグが小声で囁いた。
「・・・・・・注意せよ。あれは、精霊だ。」
「知ってるのか?」
「うむ。最強にして、最恐の精霊。バケモノとも言える。精霊王の身体を操っている。」
「・・・・・・・・・・・・勝算は?」
「五分五分、といったところだ。」
ロルフィネッサがにやりと口角を上げた。
嫌な冷気が、ちくちく肌を刺してくる。
僕は、剣を抜いた。
「シグ、刀身に炎を纏わせられる?」
「火属性ではないが・・・・・・可能だ。」
「青い火焔を、お願い。」
「やる気になったか、めんどくせえ。」
舌打ちをして、ロルフィネッサが手を頭上に翳す。
「来る。」
シグの言葉より速く、僕は間合いに入って、灼熱の刃を振るった。
氷柱の矢が、上から降り注ぐ。
咄嗟にシグが防御した。
ロルフィネッサは、するりと身を翻す。
「・・・・・・くそっ・・・!」
「俺を斬ろうなんて、百年早いよ。」
「まだだ!!」
地を蹴って、跳躍する。僕は上から、剣と共に落ちていった。
ぴしりと、それが止まる。ロルフィネッサが右手で切先を捕らえていた。
びしびしという音が響いて、刃が砕けた。鉄の破片が、隕石の如く舞っていく。
柄だけになった剣を構え、今度は短剣を引き抜く。
「次は、雷を。」
「うむ。」
短剣に、ビリビリと稲妻が走る。
「急所は、首の後ろだ。あれの相手をしておくから、後ろに回れ。」
「わかった。」
シグは僕の姿を消した。
ロルフィネッサは嘲笑する。
「シグ、怖気付いたのかよ?」
「いや。」
割れた氷と光が弾け合う。
「ふん。」
「汝こそ、どうだ?」
「この俺が、怯えるわけないだろ。」
「どうだかな。」
激しく衝突する力は、ぎらぎらと輝きを放つ。
光の玉は、空中で相殺した。
「ぐは・・・・・・っ。」
「はあ、はあ・・・・・・。」
「げほ、ごほっ・・・・・・。」
睨み合いの中、二人の荒い呼吸音が響く。
僕は気づかれないように、そっと早歩きする。
「げほ・・・・・・お前の力は、俺よりもずっと下だな。」
「・・・・・・。」
「次は、お前ごと、あの皇子を串刺しに・・・・・・。」
視線が投げられる。それよりも速く、斜めに刃を通す。
真紅の飛沫が撒き散らされた。
「うっ・・・・・・。」
「汝は負けた。」
神々しい白の光と、どす黒い闇の鏑が、真っ直ぐに迫りくる。
それは、ロルフィネッサの背中に、次々と突き立っていく。やまあらしみたいに矢を生やし、その体が前のめりになった。
まだ、微かに息をしている。
濁っていく瞳が、三日月の形を模した。
「俺は・・・・・・負けて、ない・・・・・・。残念だった、な・・・・・・俺は・・・・・・ほんたいじゃ、な、い・・・・・・。」
屍が、ぱらぱらと消えていく。灰のように、空へ舞って行った。
「ベンさん、ベンさんっ・・・・・・!起きてっ!」
瞼を開くと、目の前に、アリアの顔があった。涙が零れそうなほどに、その翡翠色の目に溜まっている。
「ここ、は・・・・・・。」
「私たち、今、誘拐されてるんです。」
「え・・・・・・!?」
よく見たら、手首が縄で縛られているではないか。
「ここは、馬車の積み荷の中で、どこにいるのか分からないんです。」
「え?でも、アーノルドは・・・・・・?」
「アーノルドさんは、誘拐犯に気絶させられてしまって・・・・・・。」
「そういえば・・・・・・。」
ロルフに戻る直前、アーノルドが倒れていたような気がする。
「賊は何人?」
「10人くらいです。」
「10人か・・・・・・。」
倒すにはきつい数だ。
「魔法は使えないの?」
「魔力拘束具を付けられてて・・・・・・。」
「うーん・・・・・・。」
「あの・・・・・・ベンさんは精霊士ですよね?精霊は、使えますか?」
「あ、そうか・・・・・・。」
あくまでも、 “魔力拘束具”なので、霊力は縛られていない。霊力なら、使えるかも・・・・・・?
「試しにやってみるよ。・・・・・・シグ。」
「なんだ。」
ポン、と、シグが飛び出してきた。
「ここは、どこだ?」
「実は・・・・・・。」
事の顛末を一から話す。
「・・・・・・というわけで、今、誘拐されてるらしくて・・・・・・。」
「なるほど。助けろ、と。」
「うん・・・・・・。なんかごめん。」
「謝ることではなかろう。だが、厄介なことになったな。」
「だから、空間移動魔法みたいに、転移したりってできない?」
「できるが、無理だ。ここは狭すぎる。アジトにでも着いたら、もう一度呼べ。」
「待っ・・・・・・。」
引き留める前に、既にシグは消えていた。
「そ、そんなぁ・・・・・・。」
「とにかく、どこかに着いてここから出されるまで、ひたすら待ちましょう・・・・・・。」
「まあ・・・・・・状況的に、それ以外の選択肢はなさそうだもんね・・・・・・。」
はあ・・・・・・、と、落胆する。
こうして、ものすごく長い時間を僕たちは過ごす羽目になった。
どのくらい経ったか。
「今頃、魔法使いたちと騎士団が手を尽くして探してるんだろうね。」
「そうでしょうね。・・・・・・私たちが戻ったら何かお咎めを受けたりしないよね・・・・・・?」
「・・・・・・うーん・・・・・・・・・・・・。」
そんなことを話していたら、ぴしりと馬車が止まった。馬がいななく。こつこつと図太い足音がこちらにやって来る。
戸が、開けられた。外の空気が入る。
「降りろ。」
髭面のぽっちゃりしたオヤジが、悪い目つきでじっと見つめてくる。
なんとなく、前世で牢屋にいたときのことを思い出した。ロルフを引きずっていった衛兵も、確か、こんな感じだった。小太りで、目つきが悪いところがそっくりである。全くの別人なのだが。
外に出る。
僕は一呼吸おいて、名を呟いた。
「シグ。」
精霊が、来る。
「おい、お前ら・・・・・・っ!」
叫ぶ髭面オヤジを尻目に、僕たちは頷き合う。
「よし。飛ぼうぞ。」
「待てっ・・・・・・!」
ぱちんと指が鳴らされてすぐ、僕たちは城に戻っていた。
「後始末は我がやる。既に、中級精霊を差し向けておいた。今頃、痛い目を見ている頃であろう。」
「ベ・・・・・・ベン様!?」
「第二皇子殿下に、賢者様!?」
「いらっしゃったぞ!」
途端に辺りが騒がしくなる。
その声に、魔導士たちが駆けつける。
「よくご無事で!」
「すまない、私が騎士に任せたばかりに・・・・・・。」
アーノルドもやってきた。
「申し訳ありません!私が、気絶したばかりに・・・・・・何たる不覚っ!何とお詫びしたらいいか・・・・・・。」
アーノルドは、ぼろぼろと泣いていた。僕は眉を下げた。
「アーノルドは悪くない。・・・・・・誰も、悪くない。」
「ですが・・・・・・私は、騎士としての務めを果たせませんでした。責任を取って、護衛を辞めさせてください。そして、騎士団長を辞任する所存ですっ・・・・・・。」
「辞める必要はないよ。確かに、僕たちは誘拐されてしまったけれど・・・・・・でも、アーノルドはここに必要だから、いなくなってほしくない。」
「ううっ・・・・・・。」
「それに、アーノルドほど強くて、信頼できる騎士は、ここにはいないよ。」
「でも・・・・・・。」
「アーノルド。今回の件は、お前一人の責任ではない。」
「陛下・・・・・・。」
いつの間にか、エデンも来ていた。リヴェラやローレンスも一緒にいる。
「そうだよ、アーノルド。責任を取って辞めるよりも、僕はもっと強くなって、いざという時に守れるようになってほしい。」
「そうだな。皆、同意見だ。勝手に辞めることは許さない。」
「・・・・・・でも・・・・・・。」
「“でも”ではない。アーノルド、お前は何年、私の右腕だった。」
「・・・・・・十五年です・・・・・・。」
「なにより、今お前がいなくなったら、困るのは私だ。私を、困らせるな。」
「・・・・・・承知いたしました。・・・・ベン様、今度こそ、騎士としてこの命を懸けてお守りいたします。」
「うん!よろしく!」
「そういえば、あの夢、何だったんだろう・・・・・・。」
運良く帰還したその晩。ホットミルクを飲んでいる最中に、失神していた時の事をふと思い出した。
「何の事だ?」
「気絶した時に、精霊と戦う夢を見たんだ。」
「ほう。」
不思議そうに、シグがこちらを眺める。
「世界最強かつ最恐の精霊だとかいう、ロルフィネッサっていうのと、戦ったんだ。」
シグが青ざめる。
「ロルフィネッサ、だと・・・・・・?」
「知ってるの?」
「・・・・・・その夢、覚えておけ。お前は、・・・・・・思想世界に呼ばれてしまった。」
「え?」
「いずれ、本当に奴を倒さねばならぬ時が来る。」
「・・・・・・。」
「それから、もしロルフィネッサに遭遇したら、お前は木端微塵にされるだろう。しかと胸に刻んでおけ。」
「・・・・・・分かった。」
(ロルフィネッサ・・・・・・気をつけよう。)
翌日、賢者と魔導士たちは、魔塔に帰って行った。
「あ、先生。」
「ベン。」
「相談があるんですけど・・・・・・。」
レネディセフが、おや珍しいとでも言いたげな表情をする。
「うーん・・・・・・ロルフのこと?」
「えっ、何でそれを・・・・・・!?」
話してないのに言い当てられて、びっくりした。
「勘!」
「勘・・・・・・。」
「さしずめ、この話を誰かにしていいかとか、何か思い出したとか、そんなとこでしょ?」
「前者が当たりです。」
「ほらね。」
レネディセフが、猫みたいにぐうっと伸びをする。
「さて、誰に話すつもりかな?」
「ジネールフさんに、です。」
「あいつに?」
「はい。」
「・・・・・・・・・・・・。」
彼が思案するように首を捻ると、ごりりと硬い音が鳴った。
「うーん・・・・・・。あいつは誠実な奴なんだけど、力が強いからなあ・・・・・・。裏切りはないだろうから、話しても大丈夫な気がするけど、もし裏切ったら手に負えないし・・・・・・。」
「ですよね・・・・・・。」
なんとなく予想していた答えに、ほんの少しがっかりした。
「でも僕は、ジネールフさんのこと、信じたいです。」
「・・・・・・そうだね。うん、俺も信じたいよ。」
レネディセフはにっこり笑った。
「俺は、賛成も反対もしない。ただ、ベンが話したいのなら、あいつには話してもいいと思う。」
「分かりました。ありがとうございます!」
「よろしい。」
少し偉そうなウインクで見送られ、僕は早速手紙を書くことにした―。