序章〜第二章
Prologue
迫り来る火焔は渦巻いて、じわじわとこの身を襲う。
ぱちぱちと纏わりつく煙の匂い。
息ができない。押し寄せる空気が熱い。
まだ、死にたくない。
―“死”とは何だろうか。人生の終着点、天罰、リスタート・・・・・・捉え方は色々ある。
「俺」の死は、言うなれば、無意味と歓喜。
これは、そんな人間の物語。
第一章 大罪と、悪魔の娘
つい何日か前。
「アルキナ帝国第二皇子、ロルフ・レン・ヴェルファイア。第三皇女の毒殺未遂により、汝を死罪と処す!!」
ぎこちない沈黙に、刑を告げる声のみが響く。俺は一瞬、言葉を飲み込みきれずに、ぼうっと目の前の玉座の一点ばかりを見つめていた。
それから数秒後。衛兵たちに腕をがっしりと掴まれて、やっと頭が冴え冴えとしていくのを感じた。扉の方へ幾分引きずられるうちにふつふつと湧いた、雪崩のように全身をめぐる呆れと怒りと憎しみを抑え、なんとか口を動かす。
「待て!俺は何もしてない、何も知らない。潔白だ!!」
「ふん、証拠はいくらでもあるのにも関わらず、まだ楯突くとは・・・・・・。なんと見苦しい。」
「さっさと認めればいいのに。」
「皇族の恥が。・・・・・・望まれぬ忌み子が。」
その場にいた貴族たちは小声で囁きあった。囁きの渦は、ねちねちと広がっていく。
追い打ちをかけるかのように、皇帝は氷の眼光で俺を突き刺した。
「これだけ証拠が揃って、まだ言い返す余裕があるとは・・・・・・。お前は何か無実を証明できるものを持っているのか?」
「・・・・・・くっ・・・・・・。」
つい、返す言葉に詰まって、小さく歯ぎしりする。
「俺がルシアを毒殺したとして、きっと得することはないでしょう。それに、ルシアは我が国の『晩暉の聖者』。それを失った皇家への批判は免れないはずです。」
皇帝は瞳の色を変えずじっと俺を見据えて、ふっとほのかに口端を上げた。
「ハッ、それは詭弁だ。お前がルシアを毒殺すれば、この国の第一皇位継承者はいなくなる。空いた席を横取りすれば、お前はこの国の皇太子。殺す理由なぞいくらでも、蛆の如く湧いて出るが。」
弱みを突かれ、「さて、どうする」とばかりにほくそ笑む彼の弁舌に巻き取られる。
「それに、お前は常日頃から他の兄弟たちを妬んでいたというではないか。そのような者の所業ならば、十分にありえる。」
上から伸し掛かる重圧におされ、それ以上口を開けなかった。でも、絶対にやってもいないことを黙って認めたくはなかった・・・・・・。悔しさがこだまする。
僅かな沈黙の後、切り裂くように皇宮を走ったのは、皇帝の怒声。
「さっさと連れて行け!明日の朝、城下において見せしめのうえ、火刑に処す!」
「嘘だ!信じてくれ、俺は本当に何もしていな・・・・・・。」
「黙れ!お前の顔など見たくもない!明日にはその忌々しい頭ごと、全て灰にしてくれるわ!!」
その言葉と同時に、謁見の間の扉は軋んだ音を立てながら閉じられていく。
「父上・・・・・・!!」
虚しくも父親の心にその声は届かず、俺は地下牢へと投げ込まれた。
夜。燭台の炎が不気味な色で、湿った床を照らす。
張り裂けるような冷たい夜の息吹が充満した鉄格子の外で、こつこつ、ぎい、と何やら不思議な音がした。それは、だんだんとこちらへ近づき、俺の前で人影となって止まった。
暗がりの中に見えたのは、俺と瓜二つの少女だった。
「ルシア・・・・・・。」
ルシアは俺の姿を俺と同じ色の瞳に捉えると、立ったままで気味悪く笑い始めた。
「ふふっ・・・・・・。」
何がそんなにおかしいのか。俺と一緒に生まれて、一緒に育った、俺と同じ顔の少女は、さも愉快そうに笑う。
俺とルシアは双子だった。アルキナ帝国には不思議な伝説があって、それに基づき、白銀の髪と蛋白石のような色の瞳の女児は、千年に一度だけ誕生する『晩暉の聖者』として君臨する。しかし反対に、同じ色の男児は、この世界を血の海にした破壊神と同じ見た目であることから、不吉とされる。それでルシアは先述の『晩暉の聖者』となったが、片割れの俺は『忌み子』となってしまったのだった。『忌み子』は生まれてすぐに殺されるのが常だが、俺は皇子だったことから、死は免れ、生きることが出来たのである。
ルシアは確かに聖女なのかも知れない。が、それでも同じ顔で、しかも明日殺されるであろう兄の目前で笑っているのは、とても不愉快極まりなかった。
「ふふふ・・・・・・あはははは!」
「何が可笑しい。」
「はあ・・・・・・、ごめんなさいね。あまりにも滑稽で。」
その言葉にぞわっと鳥肌が立っていく。腹の奥底で、本能的に常闇の恐怖が芽生えた。
「だって、同じ顔が苦しみに歪んでいるのを見るのは、とっても奇妙で滑稽なことでしょう?まあ、哀れなあなたに、事件の真実くらいは教えてあげてもいいかしら。」
くつくつという笑いに華奢な肩を震わせながら、ルシアはしゃがみこんだ。鋼の柵をすり抜けた白い指はひんやりと貼り付いて、俺の顎をぐいっと引き寄せる。
「あなたは私の仕組んだ罠にまんまと嵌められたのよ。あなたが、同じ姿のあなたが、私は昔から大嫌いだった。あなたは私とおんなじなのに、あなたは鈍臭くて陰気で、独りぼっち。だからいじめて、絶望の淵に追い込んで、この世界から抹殺してしまいたかったの。」
俺はぎりっと目の前の少女を鋭く睨みつけた。彼女は怯えもせずに再び立ち上がると、その眼に殺気立った光を宿して、俺を見下した。
「どうせもう手後れだけれど、せいぜい頑張ってね。お兄様。」
ルシアはそれだけを言うと、くるりと来た道を歩き始めた。
「ルシア!!!」
俺は精一杯の憎しみを込めて、叫んだ。
しかし、そこにもう少女の影はなく、後には薄暗闇の静けさと火の粉のぱちぱちする音だけが残されていた。
どこで眠りに落ちたのか、それとも気絶したのか、はたまたずっと起きていたのかも判らず、突然はっとした時には、ルシアが去ってから相変わらずの薄い闇の中だった。でも、夜露の清々しい匂いだけはほのかに感じられた。
ふいに、どすどすとこちらへ迫る影の気配がした。昨日、俺を牢に投げ入れた衛兵たちである。
「罪人、起きろ。刑場へ移送する。」
二つの影はまた同じように乱暴に腕を掴んだが、今度は引きずらずに手錠をかけると、その鎖を握って俺を歩かせた。
こうして、俺は地下牢を出た。
外は澄みきった蒼穹に、朝日が柔らかく輝いていた。普段ならば、心地よい一日の始まりには相応しすぎるほど眩しい朝だったことだろう。だが、今日が俺の終末だと思うと、太陽にその存在自体を嘲笑われているような心地さえした。
皇宮を抜けて街に出ると、通りには野次馬がわんさかいた。俺の死はそんなにも喜ばれるようなものだったのか。だったら最初から生まれてこなければよかったじゃないか。
じゃりっ。裸足で踏み抜く大地はごつごつとして痛かった。足裏を砂粒がぷつりと突き刺して、血が滲む。どろっとした真っ赤な液体を残しながら、街の中央にある広場に向かう。道中、多くの民衆が石を投げ、国家の恥と俺を嘲った。銀髪が血に染まり、体中が赤紫に腫れ上がっても、俺はひたすら真っ直ぐ歩き続けた。
ついに、処刑場に着いた。俺は手足をきつく縛られ、積み上げられたたくさんの薪の上で磔にされた。死の淵に広がる景色は、その「死」という言葉に似つかわしくないほど穏やかだった。
「最期に何か言うことは?」
「・・・・・・・・・・・・。」
首を横に振ると、すぐに火がつけられた。炎は赤々と燃え盛り、誘うように足元から近づいてきた。体が少しずつ焼けていくのは、怖かった。熱くて、苦しくて、痛い。段々といのちが削られていく。
意識が朦朧とし始めたその時、まばゆくて白い何かが目の前を横切った。
「・・・・・・ひか・・・・・・り・・・・・・?」
全てが霞みゆく中、俺は小さく弱々と呟いた。
「何だあの光は!?」
「空へ、昇っていく・・・・・・!」
「うぅ・・・・・・、眩しい!!」
民衆からも驚愕の声が上がる。その光は俺の体から発せられ、ぐんぐんと昇天していく。そして五つに飛散し、彼方へと消え去っていくのを見届けて、急に視界が真っ黒くなった。
第二章 目覚め
「ベン!ベン、起きて!」
「ん・・・・・・。」
ふわぁっと欠伸が出る。
なんだか、生々しい夢を見ていたような気がする。誰かの記憶みたいな、不思議な夢。
いつものようにオレンジ色の夕陽と、ローレンスの硝子のような薄青灰の瞳がそこにある。
「よく眠れた?」
「うん。」
「もう夕食だから、一緒に行こう!」
小さな手がそっと差し伸べられる。
何もかも、いつも通りだ。いつもの光景、いつも通りの小さな幸福。
でも―どこか胸の奥がざわつくのはなぜだろうか。
(まあ、いいや。)
ローレンスの手をぎゅっと握り、僕は走り出した。
ここはフィランツォ帝国。精霊が宿りし極北の大地。
僕はこの国の第二皇子、ベン。
7年前、僕はこの国の皇家に生まれた。兄のローレンスは一歳上で、とても可愛がってくれる。
皇帝である父上と、皇妃であり騎士でもある母上と、僕たちは幸せで恙ない毎日を過ごしていた。父上はこの国を救った英雄でもあり、皆から慕われている。
僕の夢は、この偉大な父のようになることだ。
「それで、腕が6本あるへんてこなお化けが、ぐわーっ、とか、ぎゃおーっ、とか言ってて、ぼくは食べられちゃって・・・・・・。」
「あはは!」
カトラリーの金属音とともに、けらけらと笑う声が響く。
群青の夜の下で、僕たちは夢の話をしていた。
「胃の壁をくすぐったら転げまわって、その拍子に怪物の内臓が破裂して、危機一髪助かったんですよ。」
「すごい夢だな。」
「胃液で溶けたりしなかったの?」
「はい。不思議なことに溶けなかったんです。」
「へえ、なんででしょう・・・・・・。ベンは何か夢を見た?」
「僕も変な夢を見た気がします。誰かの記憶、みたいな・・・・・・。」
「どんな?」
「うーんと・・・・・・僕が無実の罪を着せられて、死んじゃうような夢。」
「・・・・・・・・・・・・。」
あんなににぎやかだった場が一瞬で静まり返った。
「・・・・・・ベンは処刑されたりなんかしないよ。ただの怖い夢だ。」
励ますようにそう言ったのは、父でありこの国の皇帝、エデン。
僕の黒髪をもそもそ撫でながら、ローレンスが続ける。
「そうだよ。僕もたまに、怪物に丸呑みにされたり、体と心が違う方向に行って崩壊する夢を見たりするし・・・・・・。」
「それは普通に怖いです。」
「うん、怖いな。」
「ええ。恐ろしくちぐはぐで、滅茶苦茶ですね。」
「ま、そうなんだけどね。」
ローレンスが苦笑いをする。
「でも、記憶みたいだって言ってたから、生々しかったんだろうし・・・・・・。」
「だから、僕もこうだからベンも大丈夫だ、って言いたかったんだな。」
「そう、そういうことです!」
「大丈夫。別に怖くはないです。」
「ほんと?なら、良かった。」
ほっと胸をなでおろすローレンス。僕たちの母、リヴェラが違う話題を切り出す。
「そうだわ!ベンはもうすぐ魔力測定よね?」
「ああ、そういえば・・・・・・。」
この世界には魔法がある。魔法は火・水・風・土・雷・光・闇の7つの属性に分けられ、全ての人々がその力を行使することができる。そして選ばれし13人の上級魔導士たちは魔塔の魔法使いとして、賢者と大魔導士の統率の下、各国・各地方の魔塔に配置されるのだ。
また、6、7歳位になると「魔力測定」と言って、子供が魔法使いかどうかを調べる調査が行われる。僕は今7歳なので、もうそろそろ測定をする予定だ。
昔は精霊もいて、霊力測定が行われていたらしいが、今はもう精霊士や精霊の棲み付く土地が失われてしまい、既に本の中だけの歴史となってしまった。
「今週末は大丈夫だったかしら?」
「ニルシェに掛け合おう。」
「ベン、ベンはどの属性なんだろうね。水とか、光かなあ?」
「僕、風を使ってみたいです。」
「ああ!風もいいよね。すごくかっこいい!」
「ですよね!」
予定を立てる大人たちをよそに、僕たち兄弟は目を輝かせた。
(楽しみだなあ、魔力測定・・・・・・。)
週末。遂に測定の日がやってきた。
神殿に着くと、白髪の偉そうな老爺が仰々しく出迎えていた。
「フォッフォッフォ。おや、これはこれは皇家の皆々様方。お目にかかれて恐悦至極にごじゃる。ベン殿下とは初対面でしたな。大神官のニルシェと申します。お見知りおきを。して・・・・・・本日は魔力測定ということでしたな。では、こちらへ。」
「ああ。」
貼り付けたような笑顔を見せながら、長い髭をくるくる撫でまわすニルシェの後をついていく。
案内されたのは、とある不可思議な部屋。目の前に見えたのは祭壇ではなく、水が溜まった大きな大理石の水槽。天窓から差し込む朝の光。周りを囲う極彩色のステンドグラスが、煌々とその色を水面に映している。とても荘厳で神秘的な空間が広がっていた。
「この槽に溜まっている水には、魔力を判別して色彩を変える特別な力がごじゃる。また、天井の窓からの光は、この水の色が変わると同時に、属性に応じて色が変化いたしまする。さあ、ベン殿下。こちらの槽に手を入れていただけますかの。」
こくりと頷き、僕は水槽へ近づいた。中には青や紫や金の色をした石がたくさん燦めいていた。白い素肌が触れると、爽やかな朝日に水がきらきらと輝いているように見えた。
が、しかし、何も変化がなかった。
思わずニルシェをじろりと見る。彼は口を半開きにして、呆然と突っ立っていた。
「・・・・・・どういうことだ。説明しろ。」
エデンが眉を顰めて、彼に問い質した。
「わ、わからぬ・・・・・・分かりませぬ・・・・・・。これでは、魔力がないというのと同じでは・・・・・・。」
「何かの間違いではないのか?」
「い、や、決してまちがってはおりませぬ。」
エデンとリヴェラが目線を交わしてこくりと頷く。
「神官。アーノルドを呼んでくれ。」
傍で儀式の様子を見ていた1人の神官は、不意に声を掛けられたからか肩をびくつかせた。
「はっ、はい。」
急いで外に飛び出していく。
ほどなくして、赤毛をひとつ結びにした若い騎士がやってきた。エデンの右腕のアーノルドだ。エデンはアーノルドの耳元で何かごにょごにょと囁くと、アーノルドはすぐにその場を後にした。
「ニルシェ。儀式の真偽を問うため、調査団を派遣する。お前のことだ。映像石で儀式の様子を記録しているだろう?それを貸せ。」
「は、はあ・・・・・・。」
エデンの圧に負けて腰を抜かしたニルシェは、その半開きの口のまま、気の抜けた返事をした。
数日後。皇宮から神殿に、調査団が派遣された。あの場に居合わせた神官たち全員は一通りの尋問を受け、僕はもう一度儀式をさせられた。でも結果は、エデンがニルシェから取り上げた映像石に撮られていたものと変わらず、魔塔の魔法使いたちを呼んで議論することになった。
ずらりと並べられた長机と椅子。最上階の大広間では、調査団と、魔塔の3人の魔法使いたち、そして僕たち4人の皇族がぞろぞろと集まっていた。
魔塔の魔法使いとしては、大魔導士のジネールフ、北の魔塔の主であるレネディセフ、フィランツォ帝国の魔塔の主であるルティルシャが、調査団の代表としては魔法学者のジュノーとノスティが顔を合わせている。
「・・・・・・調査の結果、儀式に問題はありませんでした。」
「それはつまり・・・・・・。」
「はい。第二皇子殿下には魔力がありません。」
「魔力がないなど、あり得るのか?」
ジュノーとノスティが顔を見合わせる。
「前例はない。が、もしかすると皇子の身体で何か問題が起きているのかもしれない。」
ジネ―ルフが、落ち着いた深紅の眼を揺らめかせて言う。
「例えば?」
「魔力が混在している、など。」
「仮にそうだとして、制御できなければ暴走するのでは?」
「暴走・・・・・・。」
僕はぼそりと呟きながら目を伏せた。
(ぼく、死んじゃうの・・・・・・かな?)
思わず泣きかける。
「案ずるな。暴走は食い止められるかもしれない。それに、起こるとも限らない。故に皇帝よ、皇宮内に常時、塔の魔法使いを駐留させることを許可してほしい。」
「俺たちが、ここに・・・・・・?」
「お主、正気か?」
レネディセフとルティルシャから「やめてくれ」という視線が向けられる。
「・・・・・・?正気だが?ちなみに、レネディセフ。既に賢者様のお許しは得ている。だから、この3人の中で仕事量の一番少ないお前に、その役目を任せようと思っているのだが・・・・・・。」
「いやいやいや。一応俺だって塔主なんだが!?そして、仕事ないとか酷いな。」
「ない、とは言ってない。留守の間の代役はどうにかしておく。そして、お前に拒否権はない。」
「ねえねえ、ルティルシャちゃーん!この人鬼畜~!!」
「ちゃん付けするな。まあ、拒否権ないらしいし、せいぜい頑張っとけ。」
「えぇー・・・・・・。」
魔法使いたちのわちゃわちゃした会話を無視して、ジネ―ルフが話を戻す。
「では、お許しいただけるか?」
「・・・・・・いいだろう。」
「感謝する。それから、今、この場で皇子を診させてほしい。再度我々の方法で魔力の有無を確かめる。」
「・・・・・・。」
エデンは無言でうなずいた。ジネ―ルフが立ち上がって、僕の方に進み出る。
案ずるな、とジネ―ルフに言われたものの、不安の土砂が心に堆積していく。
「皇子、手を。」
「・・・・・・っ、はい・・・・・・。」
ドキドキしながら手を差し出す。ジネ―ルフは呪文を唱え、目を瞑った。
「《ロシェルト・アルヴェーレ》」
金と銀の二色の光が、かっと煌めく。
直後、身体の中が抉られて、場の秩序が乱れ、時空に穴が開いたみたいな、ぐるぐる酔ってるようで苦しいのに、何故か穏やかで心地よい、奇妙な快感と不快感に襲われた。
「・・・・・・うぅっ・・・・・・・・・・・・。」
自分の中の矛盾に耐えられず、僕も目を瞑った。
しばらくして目を開けてみると、神妙な顔をしたジネ―ルフが腕を組んでいた。
「・・・・・・なぜ、何故だ・・・・・・。」
「・・・・・・???」
(え・・・・・・?)
思考が追い付かない。脳みそが謎で埋まっていく。
「・・・・・・ぐう・・・・っ・・・・・・!」
突如、ぐわんという、鐘をついたかのような衝撃に襲われた。頭蓋骨がかち割れ、砕けそうだ。
頭をぎゅっと押さえて、かちかち歯ぎしりをする。
そして、ふっと目の前が暗黒に包まれた。
気がついた時には、僕は謎の小宇宙にふよふよと浮いていた。
「ここは・・・・・・?」
走馬灯みたいに、映像が僕を取り巻く。誰かの記憶のようにも見える。
そこでは、ぼろを纏った痣だらけの銀髪の少年が人々に蔑まれて泣いていたり、凍える吹雪の中で水をかけられたり、同じように銀髪の青年が磔にされて、燃え盛る炎の中で苦しみに悶えていたり・・・・・実に凄惨な光景が展開されていた。
そんな映像に導かれるまま、まっすぐに星々の間を歩いていくと、目の前に大樹があらわれた。
「わあ・・・・・・!」
太くて美しい、とても立派な幹の老木。その枝葉は白々と輝きを放っていた。
『ようこそ、時空の旅人よ。よくぞここへ参った。己は世界の化身。其方の知りたいことは何か?』
「・・・・・・しりたい、こと?」
急に樹が喋りだしたものだから、僕は大層驚いた。老木だけれど声はしわがれておらず、寧ろ凛として澄み切っている。
『うむ。あるじゃろう?ここに来た目的が。』
「もくてき・・・・・・。」
『もしや、自覚しておらぬのか?ならば己が、お主の知りたいことを読んで、見せてやろう。』
「心が読めるの?」
『“世界の化身”と申したであろう。己はこの世界。全てを知る者じゃ。』
「・・・・・・ふうん・・・・・・・・・・・・。」
『ま、そう怪しい顔をするでない。お主の知りたいのは、お主が誰か、じゃろう?』
「・・・・・・。」
『年の割に老人の如く凝り固まった価値観の持ち主じゃのう。まあ、お主が誰かなぞいうのは、愚問の類じゃな。』
「・・・・・・失礼な。」
『かようにむくれるでない。答えを教えてやろう。但し、条件がある。』
「条件?」
『地上に降り立った悪魔を抹消し、世界の秩序を保つことじゃ。』
「つまり、僕はその“悪魔”を探して、殺さないといけないってこと?」
『そうじゃ。が、其方には辛いかもしれんのう・・・・・・。』
(僕が手をかけるのに辛い相手・・・・・・。家族?)
『己も其方に助言をしよう。5つの石を探せ。それが其方を導くであろう。それと戦うべきは、東に巣食う、お前の因縁の相手じゃ。では、ここでお別れじゃな。良い旅を。アルキナ帝国第二皇子“ロルフ・レン・ヴェルファイア”・・・・・・。』
「ちょ・・・・・・待っ・・・・・・!」
樹が、どんどん遠ざかって、宇宙の中にすうっと消えていく。視界が光にぼやけ・・・・・・僕はいつの間にか皇城の広間に戻っていた。
(今のは・・・・・・夢・・・・・・・・・・・・?)
「ベン、ベン!」
「殿下、お気づきになられましたか!?」
「・・・・・・あ、れ・・・・・・、ぼく、は・・・・・・?」
「ベン、あなた、今まで意識を失ってたのよ!」
「大丈夫か?」
みんなが僕を見る。その中で、エデンは僕の様子を案じつつ、ジネ―ルフをぎろりと睨みつけた。ジネ―ルフが口を開く。
「・・・・・・申し訳ございません。後で謝罪はさせていただきます。」
「え・・・・・・?」
「当然だ。きっちりと行ってもらう。」
「ま、待って!待ってください!大魔導士様は悪くないです!!」
「悪くない、とは?お前を気絶させるような魔法を使ったのだぞ?」
「そう、ですけど・・・・・・でも・・・・・・。」
「いや、強い魔力を幼子の器に流してしまった私の責任だ。すまない。」
「・・・・・・でも・・・・・・。」
僕は眉を下げた。ジネ―ルフの強い魔力のせいで失神したのは事実だ。けれど、もし僕が失神しなければ、あの不思議な空間に放り込まれることはなかったのだ。
「ベン、黙っていなさい。」
冷ややかなエデンの声が通って、リヴェラがふるふると首を横に振る。言葉通り、僕は沈黙した。
こうして、会議は終わりを迎えた。
会議後。魔法使いたちは魔塔までが遠いため、今日は城で一泊することになっている。再度謝罪をして立ち去ろうとするジネ―ルフに、僕は話しかけた。
「あの、大魔導士様・・・・・・。聞きたいことがあるのですが・・・・・・。」
「あ・・・・・・。先程は申し訳なかった。・・・・・・ジネ―ルフ、でいい。」
「じゃあ、ジネ―ルフさん・・・・・・。いえ、寧ろ僕は感謝したいくらいです。」
ジネールフがびっくりした顔をする。
「感謝する、とは・・・・・・?」
「僕、気絶してる間に、誰かの記憶を見たんです。不思議な体験でした。」
僕は気絶中に起きたことの一部始終を話した。ジネ―ルフは真剣に耳を傾けていた。
「ほう・・・・・・。で、“五つの石”と“悪魔”を探せ、と。」
「はい。“石”について何か知りませんか?」
ジネ―ルフは大魔導士だ。世界の多くを知っているだろう。それに、“石”は魔法に関わるものかもしれない。そう思い、彼に尋ねた。
しかし、彼は一向に思案し続けている。
「・・・・・・・・・・・・。私の記憶にはないな。だが、石にしろ、悪魔にしろ、僅かな心当たりはある。確信がない以上、大っぴらに言うことはできない。他の塔主たちにも訊いてみよう。分からねば、私も帰ってから調べて、情報が掴め次第そちらに手紙を送る。」
「ありがとうございます!」
「いや、お詫びということにさせてくれ。」
「いやいや、お詫びなんて・・・・・・。それどころかあなたへの借りです!」
彼は口元を綻ばせた。
「そうか。レネディセフとも気が合いそうだな。」
翌日。魔塔の魔法使いたちは城を後にした。
帰る前、ジネ―ルフは僕にメモを渡した。
「ここに、石に関わりそうな過去の現象と、5人の名を書いておいた。このうちの誰かが悪魔である可能性は高い。」
「分かりました。感謝致します。」
「では、さらばだ。」
そう言うと、彼らは箒に乗って、同じ青の空と海の狭間を飛んで行った。
「・・・・・・ということで、本日から先生役、兼、護衛役として駐留することになった、北の魔塔主、レネディセフでーす。」
ここは僕の部屋。昨日と打って変わってハイテンションなレネディセフが自己紹介をする。案外、気まぐれなのかもしれない。
「先生役?」
「うん。俺は博識だから、ベン君にいろいろ教えてやってくれーって、エデン様とジネ―ルフの奴に頼まれちゃってさ。」
(自分で博識って言うんだ・・・・・・。)
「あー、あと、ジネ―ルフから夢だか幻想だかの話は聞いてるよ!そういう変なものって最高に面白い!!」
「あ、じゃあ、話が早いです。何か石や悪魔について知ってることってありますか?」
「うーん・・・・・・。ここって図書館ある?言われただけじゃわからないから、文献読んだ方がいいかなーっと思って。」
「図書館なら、皇宮内の講堂の隣に・・・・・・。」
「んー、わかった!!じゃあ、出発!」
急にレネディセフが僕の腕を掴む。すると、そのまま窓から飛び降りた。
「待っ・・・・・・うわああああああ・・・・・・!!!」
「ふぅ!楽しい!!」
(唐突で行き当たりばったりで、イカれてる!)
その瞬間、ジネ―ルフの人選が間違っていたことを悟った。おかげでヤバい奴に当たってしまった。
ぎゃあ、わあ、と悲鳴を上げる。レネディセフは4階から飛び降りる快感に浸り、終始笑顔だった。
地面がぐいっと迫って、僕たちの影が大きくなっていく。僕たちは逆さまになって、頭から落ちていた。
(ぶつかる!!!)
恐怖に目を閉じる。
でも、ドスンという衝撃はいつまでたっても起きなかった。
不思議に思って片目を開けると、僕は地面すれすれで浮いていた。
「成功ー!」
「え・・・・・・?」
「今、君は君自身の力で浮いた。君の力を、本能的に目覚めさせようと思ったんだ。結構、力業だったけどね。」
目の前で、レネディセフがにこにこしている。俺は逆さまの体をひっくり返して、地面に着地した。
「測定の結果の通り、君は魔力を持ってない。でも、それとは違う、何か異質な力を持って、それに特化してる。」
「どういうことですか?」
「つまり、君は精霊使いなのかもしれない。」
「!?」
確かに、彼の言うことは一理ある。もし僕が精霊使いだったなら、魔力判別の装置に触れても異変は起きるはずがない。それに、全てに合点がいく。
「霊力測定、今度やってみよう。」
「はい!やりましょう!!」
(気まぐれだけど・・・・・・考えなしに無茶するわけじゃないんだ・・・・・・。)
肩を並べ、そこからは図書館まで歩いて行った。
国立皇宮大図書館。その冊数は50万冊以上に上り、数多くの国宝が眠っている。ここには皇族と許された学者しか入ることができない。
「事前に皇帝の許可は得てるから大丈夫。好きに使っていいって。」
「分かりました!行きましょう!!」
白亜の門をくぐり抜けた先に広がるのは、見渡す限りの書物の宝庫。実のところ僕もまだ、数えるくらいしか来たことがない。
「で・・・・・・何の話だっけ?」
その一言で、途端にわくわくが消えた。
「僕が見た記憶と、霊力測定しようっていう話です。」
「ああ、そういえばそうだった。うっかりしてたよ。」
(やっぱり、大丈夫か・・・・・・?)
「んじゃ、まず記憶の方からやっていこう。帝国史はどこかな?」
「あっちです。あの、緑の革の本がずらーって並んでるところ。」
その方向に踏み出す。
深緑色の革の本は“フィランツォ帝国史”の黄金の文字を表紙に刻んで、木製の大きな本棚一面に、堂々と積み上げられていた。
「大体、百年やそこいらの分の歴史を見ればいいから・・・・・・。えーっと、確かフィランツォ帝国の建国が六百年くらい前だっけ?」
「そうです。」
「じゃあ、六分の五で、あの辺かな?」
「いや、多分あそこからだと思います。」
「え?そんなに前?」
「はい。最近の記録は結構多いんです。父上の戦いの話で一冊丸々使ってたり・・・・・・。」
「英雄ってすごいねえ・・・・・・。」
そんな話をしつつ、レネディセフが本の前に手を翳す。
「《べイリツェル・ピシーラ》」
詠唱の直後、本が十冊ほど固まって、ゆっくりと机に運ばれる。
「とりあえず、こんなもんかな。」
「魔法って、便利だなあ。」
「まあね。」
僕たちは机の方に向かった。
そこから数か月、2人で図書館に通い、帝国史を読み漁る毎日が続いた。様々な話に触れるうちに、自分の根本を知るような気分になった。
そんなある日。僕たちはいつものように本を読んでいた。すると、聞き覚えのある名前に出会った。
「“ロルフ・レン・ヴェルファイア”・・・・・・?」
確かに聞いたことがある。でも、記憶がはっきりしない。
考えていると、レネディセフに尋ねられた。
「ご存じで?」
「それが、知ってるんですけど、思い出せなくて・・・・・・。」
「ああ、そういう時ってあるよね。例えば、酔った勢いでジネ―ルフのティラミス食べちゃって、翌日怒られるんだけど、酔いが回ってたから覚えてないし、二日酔いで気持ち悪いとか・・・・・・。」
「そんなことあったんですか?」
「うん。こっぴどく怒られて、二週間くらい賢者様とジネ―ルフがいる魔塔の本部で廊下の雑巾がけをさせられた。」
「あははは!」
可笑しくて椅子から転げ落ちそうになる。
「ほんとに大変だったんだよ。・・・・・・で、ロルフのことだったよね。」
「あ、はい。」
「そいつ、知ってる。」
「そうなんですか?」
「うん。数年前に大陸の東端のアルキナ帝国で死刑になった皇子さ。」
「え・・・・・・。」
脳裏にふっと記憶が蘇っていく。白銀の髪を三つ編みに結い上げた、蛋白石の瞳の青年。彼は業火に焼かれ、灰となって消えていく。その、彼の名は確か―。
「ロルフ!」
思い出した。全てを。
僕は、いや俺は、ロルフ・レン・ヴェルファイア。アルキナ帝国の、悲劇の第二皇子だ。