はじまり
とある賭場――
陽の高い時間であるにもかかわらず破落戸者でにぎわっていた。半か丁か、賭けに前のめりになる破落戸者を冷ややかに見ながら、部屋の片隅で煙管を吹かす、この場にそぐわぬ男……名を右近という、らしい。
らしいというのは、この男がこの賭場へふらりとやってきたのが数年前。どこぞの無宿だと言うが、出身地一つ分からない。誰かがこの男を「右近」と呼んでいたがため、いつの間にか右近と呼ばれるようになったのだ。
そのため、右近は気が付けば「吉原で育ったが、男であるため出された」だの、「関八州のどこぞのお武家様のご落胤」だのと噂ばかりが先行していた。
それに拍車をかけるかのように、彼が「御用聞き」になぞなったものだから、噂は加速したと言ってもいい。
「おや、瀬堂様、いかがなさいました?」
賭場を見るのをやめることなく、右近は瀬堂と呼ばれた同心に声をかけた。
「よく私が来たとわかったこと」
「そりゃ、それがあっしのお仕事ですから。最近隣の堀で辻斬りがあったって聞こえたもんで」
「そちらは解決済みだ。お奉行様から言伝だ」
「お早い解決で。あっしとしては、あの切り口は浪人じゃあないと思うんですがね」
瀬堂の言葉を気にすることなく、右近は煙管を吹かす。
「……お前の『耳』はほんに恐ろしい」
「あれは、同心のどなたかの犯行でしょうよ。ですからあっしらにお声がかからなかった。違いますか?」
「その、通りだ」
「やれやれ、犯人にされちまった浪人が可哀そうだ。ああ見えて面倒見がよく、妻子共に関八州のどこぞにいらっしゃるとか」
どこかの藩が取り潰しにあったのか、罷免になったのか。江戸に流れ着いたその浪人は、妻子に仕送りをするためにどんな仕事でもしていた。無論、右近とも顔なじみであった。
「おおかた、何かしらの不都合を見てしまったのでしょうねぇ。それ故に、それを正そうとした彼が嵌められた」
「……どういうことだ?」
「賄賂ごときじゃない、奉行所の同心様の存在が根本から揺らぎかねないものを掴んでしまったんでしょうねぇ」
ある程度清濁を持ち合わせた男ですから。
「ねぇ、瀬堂様」
瀬堂へ向けた瞳は、何もうつさなかった。
「冥途の土産に教えて差し上げます。あの男はーー」
瀬堂の気づかぬうちに、右近は刀を抜き心の蔵を突き刺した。
一瞬にして、賭場から音が消えた。
「店主、すまん」
「旦那、よろしいので?」
「頼まれていたことだからな」
「……はぁ」
眉間のしわを揉みながら、店主の声はだんだんと諦めが浮かんでいく。
「死体は奉行所で取りに来る。私は関八州へ行く」
先ほどとは全く違う口調で、右近は店主に向かった。
「戻れれるんで?」
「無論。野暮用を済ませたら戻ってくる。部屋はそのまま取っておいてくれ」
そう言って店主に銭を渡して賭場を後にした。




