【童話】印刷屋さんのケット・シー
君は、“猫妖精”を知っている?
簡単に言ってしまえば、ネコの耳としっぽを持った、人間みたいな姿の妖精のこと。
ネコよりずっと賢くて、人間よりもすばしこい。身体の大きさは、まぁ、小柄な人間といったところかな。
ケット・シーは、中途半端な妖精だ。
妖精のくせに、使える魔法はたったのふたつ。『耳としっぽを消して人間のふりをする魔法』と、『完全なネコに変身する魔法』だけしかないんだから。
世界中を見てみても、ケット・シーが一匹も住んでない国なんて、存在しないんじゃないかな。
あいつら、のらりくらりと暮らしてる。人間のふりをしながら。あるいは、ネコに化けながら。
ケットシーは、正体を人間に見破られるわけにはいかないんだ。
人間って奴らは、でかい図体してるくせにホント臆病者だから。
ケット・シーだとバレたら最後、『悪魔だ』『異端だ』と怖がられて教会に連れてかれ、火刑かなんかにされてしまう。
まったく。御子がお生まれになってから一七〇〇年以上経ってるっていうのに、人間たちは相変わらず不寛容だ。
……まぁ細かいことはどうでもいい。
ともかく、心に留めておいてくれないか。ケット・シーは、きっと君のそばにもいる。
* * * * *
ロルガ爺さんから僕に宛てて届けられた封筒。その中身は、爺さんが書いた遺言状と、店の権利書一式だった。
「な、なんだよ……こんな……!」
頭を金づちで引っぱたかれたような衝撃だった。
ここ久しく会うことのなかったロルガ爺さん。まさか、こんな形で別れが来るなんて思ってもみなかった。
『お前に店を譲る。二代目経営者として、わしの印刷屋を継げ』
簡単に言ってしまえば、それが遺言だ。そして、こんなことも書いてあった。
『お前は、印刷屋の仕事など知らんのだろう。だが心配はいらない。店には腕利きの職工がひとりいるので、その者に教えを請いながら仕事を覚えればいい』
……なんてむちゃくちゃな遺言状だ。
『後のことは頼んだぞ。ヨハン』
なにが、後のことは頼んだぞ、だよ。
そう毒づきながら、僕は馬車の中で爺さんの遺言状を読み返していた。――読みかえすのは、もう何百回目のことだった。
* * * * *
僕が暮らす学生寮から、爺さんの店があるコルン市までは、馬車で丸一日ほどの距離だ。
決して近くはなく、かといって遠すぎるわけでもない。僕とあの爺さんの関係をそのまま表したような距離だった。
王立アカデミーの黒い学生服のすそを翻し、僕は馬車から降りたった。
急いだところで仕方ない……爺さんが二週間前に亡くなっていたのだと、僕は知っている。
僕は、爺さんの印刷やに向かって歩き始めた。
街ですれ違う人々が、僕の学生服を見てふり返る。
当たり前だ。
背中と襟に刺繍された三ツ星の紋章は、イアネア王立大学の校章。イアネア王立大学といえば、フランスのパリ大学やドイツのハイデルベルク大学とも肩を並べる超名門――そこの大学生と言ったら、自慢じゃないけどなかなかの知識人なのだ。
これは余談だが。
『チビで童顔』と言われて女にバカにされることの多い僕だけれど、イアネアの学生と名乗ると急にモテだしたりする。
くだらないとも思いつつ、チヤホヤされれば悪い気はしない。
もとが小心者で見栄っ張りな僕は、気の滅入るときは街に繰り出し、そうやってひ弱な自尊心をなぐさめるクセがあった。
でも今は、どれだけ周りが僕を称えようと心は弾まなかった。ロルガ爺さんとの数少ない思い出が、僕の心を占拠している。
――とは言え、ろくな思い出はない。
爺さんはいつでも不機嫌そうで、まるで古代ギリシャの小難しい哲学者みたいな顔をしていた。
客商売のクセに、寡黙でガンコで無愛想。
態度の悪い客にインクをぶっかけて追い出したこともある。僕とも、何度ケンカしたことか。
なのに野良ネコ達にえさをやるときだけは、優しい顔をしていた。
爺さんの笑顔を見たことがあるのは、ネコ以外ではおそらく僕しかいないと思う。
五年前まで、僕はあの店でロルガ爺さんと一緒に暮らしていた。
かなり世話になっていたのだけど、最後はケンカして店を飛び出してしまった。
その詳細を語る気はないけれど……そのとき以来、僕は爺さんに会っていなかった。血を吐く思いで名門大学に入学して、学寮の住所を手紙で伝えたのが最後。爺さんからの返事はなかった。
頑固なクソじじい。でも、あのしわくちゃ顔に二度と会えないのかと思うと、どうしようもなく胸が苦しい。
どうして爺さんは、今さら僕に“遺言状”なんて書いたんだろう? 店を継げって? そんな……僕は、どうしたらいい?
大通りの途中でわき道に入り、石段を下りて教会の前を行き、さらに歩くこと二十五分。
僕の足は、町はずれの印刷屋の前で静かに止まった。おもむろに、顔を上げる。
――ロルガ=ネイザレ印刷店――
古びた樫材の看板が、ひっそりと店名を刻んでいる。
「…………爺さん」
ぽつりと呼んでも、爺さんはもう帰ってこない。
もう二度と会えないなんて、思わなかった。
こんな別れになってしまうくらいなら、もっと爺さんのそばにいてやれば良かった。……泣きたかった。でももう遅い。
扉のすぐ目の前に立ち、ため息をついた。
「僕には、印刷屋なんて継げないよ……」
ロルガ=ネイザレには家族がいない。
僕が遺言を引き受けないのなら、店は税務局の人間に踏み込まれて安値で機材を売り払われ、他の商売人に買い取られるのを待つ運命だ。
胸の真ん中に、ぽっかり穴が空いたみたいだった。
足に根っこが生えたみたいに、僕は店の前でずっと立ち尽くしていた――そのとき。
僕の顔面に、猛烈な打撃が襲った。
ばぁん! と威勢よい音とともに開け放たれた店の扉が、僕の顔を殴打したのだ。
「ぅがふッ――!」
まぬけな悲鳴を上げた僕の身体に、何かが飛びかかって来た。ごつごつした石畳に頭を打ちつけ、目から火の粉が飛び散った。
「おぅ、おぬし! わしの店に、なんぞ用かいの!?」
真上から、元気いっぱいの幼い声が降り注ぐ。…………へ?
脳震盪を起こしかけていた僕は、我に返って目を見開いた。
な、なんだ? 僕の腹の上で、小さな子供が馬乗りになって騒いでいるじゃあないか。
「おぬし。その服、学生じゃな?」
僕の学生服のひだをつかんで、その子は声を弾ませた。
六歳くらいの、小さな女の子だった。
「学生ということは、お客なのかのぅ!? わしのお客人、第一号じゃな?」
舌っ足らずの高い声。老人みたいなヘンな口調。
その子の瞳は、底抜けに澄んだ青だった。丸顔のまん中で大きな瞳をキラキラと輝かせ、おかっぱの金髪をゆらしながら僕の上で飛びはねている。
「よくぞ参られたのぅ、お客人。待ちかまえておったぞ! そろそろ営業再開せねばと意気込んでいたところじゃ」
「ぐっ。ぅげェっ」
は、はらわた潰れる。いくら小さい子供でも、腹に乗られて暴れられたらたまったもんじゃあない。
彼女がぴょんぴょん跳ねるたびにヒキガエルみたいな悲鳴を上げていた僕は、「いい加減にしろ!」と叫んで起きあがった。
「んにゃぁ!」
少女はころんと転げ落ちた。
器用に後ろへ一回転し、なめらかな動きで立ち上がっている。
「いきなり何なんだよ、君は!?」
僕がわめくと、彼女は仔ネコのように目を細めて笑った。
「わしか? わしはメリアシィと申す。ネイザレ印刷店の二代目店主を務める者じゃ!」
「て、店主……?」
自分の耳を疑って呆けている僕の目の前まで来たかと思うと、彼女は僕の腕をつかんだ。
「さぁさぁこんなところでボサっと座っていなさるな。早う、店に入りなされ」
「えっ、ちょっと……」
ちっちゃな外見から想像できないような力強さで、彼女は僕を店の中へと連れ込んでいった――
* * * * *
僕をむりやり椅子に座らせて、その子は僕の膝の上に身を乗り出して言った。
「さぁ、学生どの。依頼あらば何なりと申しつけるがよいぞ」
こじんまりと薄暗い印刷工房の中で、少女の笑顔は真夏のひまわりみたいだった。生命力に満ちた愛くるしい笑顔。だけれど僕は、こんな子供よりも工房の景色に夢中だった。
――昔のままだ。
アルファベットの活字ブロックが居並ぶ戸棚。原稿通りに活字を並べるための作業台。時代遅れのハンドル式印刷機。あとは紙やらインクやら、狭い工房の中できれいに並べられている。僕が知ってる五年前の風景と、少しも変わらなかった。僕がそれらに見入っていると、
「ふむ。どうしたのじゃ、学生どの? 印刷屋が、そんなに珍しいかのぅ?」
少女は無邪気な顔で、僕のそでを引っ張り始めた。……僕は、眉を寄せる。
「……あのさ、君」
小首をかしげて笑う少女。その可愛い挙動をみると、僕はいっそう不機嫌になった。何もかも昔のままの懐かしい景色の中で、この子の存在だけが不可解だから。
爺さんの店を、我がもの顔で歩き回る人間離れした少女――それが僕には、ひどく不愉快なのだ。
「君はいったい、爺さんの何のつもりなんだい?」
つもりのところに力を込めて、僕は尋ねた。
少女は僕のイヤミに気づいた様子もなく、ひまわりの笑顔で答える。
「わしは孫じゃ」
「……孫?」
僕の声が、さらにとげとげしくなっていく。
「そうじゃ、孫じゃ。わしは爺の孫娘メリアシィ=ネイザレ。孫ゆえに、この店を守る義務があるのじゃ」
「君、ふざけてるの?」
爺さんは天涯孤独だった。妻を若いころに馬車事故で亡くし、店を一緒にやっていた娘夫婦は十年前に流行病で死んでしまった。のこされた孫娘は、老人ひとりの力で育てきれるはずもなく、孤児院に引き取られていったのだ。
――僕がそれを言うと、
「む……」
今までひまわりのように笑っていた少女の顔が、にわかに曇りだした。
「おぬし。なぜそんなこと知っておるのじゃ?」
僕は黙ってにらみ続ける。沈黙に耐えかねて、少女はさらに言葉を継いだ。
「おぬしの言うとおり、娘夫婦の子は孤児院に預けられておった。じゃが、爺を助けるため店に戻ってきた……それが、わしじゃ!」
あくまで、孫のふりをし通したいらしい。だんだんと、僕はイライラし始めた。
「家族のふりをして死んだ老人の店を乗っ取ろうとするなんて、たとえ子供でも許されないぞ。官憲に通報してやる。……いや、教会か異端審問所にでも密告した方が良いのかな?」
“教会”・“異端”――その二つの言葉に、少女の顔色が変わった。僕はさらにたたみかける。
「君は猫妖精なんだろ?」
「んにゃ!?」
爺さんは野良ネコの面倒を見るのが趣味だった。――要するに、また間違ってヘンなネコを一匹拾ってきてしまったのだろう。
度肝を抜かれた“少女”は、素っ頓狂な声を発していた。
「な、なにを言うか! わしは、ただの人間じゃぞ。無礼な! わ、わわわわしは、爺のれっきとした孫なんじゃ……」
少女の声は裏がえって悲鳴に近い。
「爺さんが孫を孤児院にやったのは、十年も昔のことだよ。だからもう一七くらいのはずだ」
僕は眉間にしわを寄せ、黙って彼女を見下ろしていた。
「う……うぅ」
あたふたとうろたえ、後ずさる少女。そのとき彼女の頭から、ぴょこっと三角形の耳が飛び出した。
「耳、出てるよ」
「はぅ!」
ふわふわの金毛が生えた、やわらかそうな耳。ネコの耳だった。彼女は真っ青になって耳を押さえつけ、髪の毛の下に隠そうとする。
「ほらね。やっぱり、君はケット・シーじゃないか」
未熟なケット・シーだな。ちょっと動揺したくらいで魔法が解けてしまうなんて。
「わ、わしを……どうするつもりじゃ!? ホントに異端狩りに渡すつもりでは……」
ネコの耳を両手で隠しながら、彼女は僕をにらみつけた。
小さな手の隙間から、耳の先っぽがぴるぴると震えている。
「ふん、君の答え次第だね」
いじわるな顔で、僕は言った。
「どうして君は、孫のふりなんてしたがるんだ? こんな古い店を乗っ取って、何が楽しいの?」
「なにを無礼な!!」
その一言が頭に来たらしい。耳を隠すのも忘れて、髪の毛を逆立たせて彼女はわめき散らした。
「わしだって、爺をだましたかった訳ではない! でも……でも、しょうがなかったんじゃ!」
わめくその声に、涙が混じっていた。
* * * * *
ロルガ=ネイザレは孤独な老人だった。
家族がいない。妻に先立たれ、娘夫婦を病でなくし、孫娘はやむなく孤児院に預けてしまった。
頑固で気難しい彼には、他人と打ち解ける方法がわからない。
人前では不機嫌の仮面をかぶり続けていても、心は絶えず温もりを求めていたのだろう――だから、彼は野良ネコたちに愛情を寄せた。
店にはたくさんの野良ネコが住みついていた。
“メリアシィ=ネイザレ”を名乗るこのケット・シーもまた、その野良ネコの一匹だったのだ。
「わしが爺じいに拾われたのは、半年前じゃ。寒くて寒くて、凍え死ぬところじゃった」
彼女が拾われたときには、店にはすでに十匹のネコが住んでいたという。
ネコは自由で奔放だ。
ロルガ老人の持病が悪化して満足に餌を与えることができなくなると、ネコたちはいつの間にやら姿を消していった――ただ一匹、メリアシィを除いて。
「ネコどもめ! 本当に薄情な奴らじゃった! 今まであれほど爺に可愛がってもらっておきながら、この仕打ち。まったく、もう! 許さん」
思い返してかんかんに怒っているメリアシィを見つめて僕は問いかけた。
「爺さんの病気が悪くなったのは、いつなの?」
「冬の一番寒いころ……三ヶ月前じゃった。かわいそうに、爺は食べ物も満足に食えなくなってしもうた。当然、仕事なんぞできるはずもない。印刷というのは案外、力仕事じゃからの」
学生相手の論文印刷の依頼を何件か受けていたが、それも断らざるを得ない状況だったのだという。ベッドの中で乾いた咳を繰り返す老人の傍らで、メリアシィは彼の無念そうな顔を見つめ続けた。
金色の毛並みの仔猫――それが、そのときのメリアシィの姿だった。
非力な野良ネコを演じ続けていたという。
当然だ。
もしケット・シーだと知られてしまえば、ロルガ爺さんは彼女を恐れて教会に通報してしまうかもしれないのだから。
「じゃが……わしは、爺を見殺しになんてできんかった」
だから彼女は、爺さんが寝ている間に印刷の仕事を代わってやろうと決めたのだ。
真夜中にひっそりと、本当の姿に戻って仕事を始めた。
「爺の仕事は、ネコになってる間ずっと見ておったからのう。マネするだけなら簡単じゃ。原稿通りに記号を並べて、木枠にはめて印刷機にかければよいのじゃから」
簡単に言うけれど、本一冊分の原稿に記されているアルファベットをひと粒ずつ正しく並べるというのは、ふつうなら何日もかかる作業だ。
その後に使う印刷機というのも、実はなかなかの重労働だ。重たいハンドルを引きながら絶妙な力加減で操作しなければ、紙は破れてやり直しになってしまう。
「……なのに君は、一晩で仕事をひとつ片づけてしまった。ということ?」
「もちろんじゃ! ケット・シーが本気を出せば、印刷なんぞ朝メシ前よ」
翌朝目を覚ましたロルガ老人がどれほど驚いていたか! 彼女は、誇らしげに語り続けた。金色の耳が得意げに、ぴぃんと伸びている。
「わしも朝はネコに戻っておったからのう。爺にしてみれば、神さまの所行とでも思ったはずじゃ」
翌晩も、また翌晩も、メリアシィは仕事を続けた。ようやくすべての仕事が完成しようというとき……
「爺が夜中に起きて、わしを見つけたのじゃ。わしは慌てて耳としっぽを隠したが、逃げるには時間が足らなんだ。あのときは、本当に焦った」
* * * * *
『誰だ!?』
階段づたいによろよろと降りてきたロルガ=ネイザレは、ランプの明かりを小さな人影にかざした。
『ぁう……』
ランプが照らし出したのは、六歳くらいの女の子だった。
頭を抱えて、縮こまっている。その子は、とてもおびえていた。
ロルガ老人は眉をしかめ、一歩、また一歩と近寄っていく。
『お前は、誰だと聞いているんだ』
『わ、わしは……わしは』
彼女の頭の中は、もう、真っ白になっていた。
『わわわわわ、わしは、………………………………孫じゃ!』
苦しまぎれで、とっさに口から出た言葉だった。
『忘れたかの? 爺。わしは、爺の孫じゃ。ほら、覚えておらんか? 久しぶりじゃからな。忘れておっても無理はない』
終わりだ……彼女は震えてきつく眼を閉じた。
ところがロルガ老人は、しばし沈黙している。
『孫……?』
老人の口から、静かな言葉がこぼれた。
『孫、か。そういえばわしには、メリアシィという孫娘がいたな。……お前は、メリアシィなのか?』
『そ、そうじゃ! わしはそのメリアシィじゃ』
九死に一生。どきどきしながら、彼女は孫を演じようとした。
一方の老人が、相変わらず仏頂面をしていることにも気づいていない。
『だが孫娘は、ずいぶん昔に孤児院で引き取ってもらったはずだ』
『ふ、ふむ。そうじゃったかのぅ? あ……あぁ、そうじゃったかな? でも帰ってきたのじゃ。爺に会いたくって、孤児院から逃げ出して来たんじゃぞ』
必死だ。理屈もクソもない。
『そうか』
老人は、一歩また一歩と、彼女に近寄っていった。節くれだった手が、彼女の頭の上に迫る。
『ひぅ……!』
彼女は、襟首をつかまれるのだと思った――だが、違った。
老人の手のひらは、彼女のおかっぱ頭をそっと撫でるだけだ。
『よく帰ってきたな』
少女は、安堵した。――爺は、わしの嘘を信じてしまったのじゃ。
『うむ!』
ならば、わしは孫を演じきってみせるぞ! ……と、少女は心の中で誓った。
『これからはわしが、爺の仕事を代わってやるぞ。わしは爺の店が好きじゃし、やり方なんぞ、全部知っておる。孫じゃからな』
『そうか。ならお前が、わしの店を継ぐか?』
『う、うむ。任せるがよい! わしは、爺の孫じゃからのう』
『それは安心だ』
老人は、笑った。ネコだけに見せる、あの優しい笑顔で。
* * * * *
メリアシィは、遠い目をしてその日のことを語り続けている。
「爺はわしを、本当のメリアシィだと信じておった。それからふた月半。わしは、爺と一緒に暮らしたのじゃ。爺に飯を作ったり、いっしょに仕事をやったりしたぞ。爺はいつも嬉しそうじゃった。わしも嬉しかった。最期まで、爺はわしを信じた。だから、別れが悲しくても、わしは泣かんかった。信じてくれた相手に、涙を見せてはならぬ……それがケット・シーの流儀じゃ」
メリアシィの青瞳の奥で輝く光は、ろうそくの灯りのように柔らかい。――しかしその光は、ふいに悲しい表情の中に沈んだ。
「わしはメリアシィになった。つまり……おぬしの言うとおり、わしは爺をだましてしまったのじゃ」
しんみりした口調で、メリアシィは言った。やり場のない罪悪感を抱えて苦しむケット・シー。
暗いため息を吐き出す彼女を、僕は冷静に観察していた。――だけど、
「ぷっ……。あははははは」
我慢しきれず、腹を抱えて笑いだしてしまった。
「な、何がおかしいのじゃ!」
僕が噴き出すと、メリアシィが毛を逆立てて怒りだした。
「いや。だってさ。その罪悪感、無駄だなぁと思って」
おかしくて目から涙がにじむ。
「何を言う!? わしはうそつきの裏切りモノなのじゃぞ! 悪党じゃ。しかしおぬしもまた悪党じゃな!? 他人の不幸を笑うとは何事!」
飛びかかって小さな爪でひっかこうとするメリアシィを押さえながら、僕は続けた。
「爺さんが騙されてるわけないじゃないか」
「はぇ?」
目を丸くして、彼女は問い返した。
「君の正体がケット・シーだって分かってたんだよ、あの爺さんは」
メリアシィはぽかんと口を開けた。
「……爺は、わしにだまされたフリをしてたということか!?」
「当たり前だろ。いくら年寄りだからって、君みたいなおかしな子供の無茶な話を、真に受ける訳ないじゃないか」
爺さんは、騙されたフリをしたかったんだ。
人間であろうとなかろうと、ロルガ爺さんにはどうでもよかった。一緒にいてくれるメリアシィは、爺さんにとって確かに“孫”だったんだ。
僕は安堵した。
この子の隣で幸せそうにしている、爺さんの姿がまぶたに浮かんだから。
「ぅ、むむう……」
メリアシィのふさふさのネコ耳が、所在なさげにぴよぴよと動いている。
僕は苦笑しながら、懐から封筒を取り出した。
「これ、読める? ロルガ爺さんがね、僕に店を継げって書いたんだ」
「おぬしに? ……わしではなく?」
拍子抜けしたように、メリアシィは言った。
「君みたいな子供が、経営なんて出来ないだろ? でもね、こう書いてある」
お前は、印刷屋の仕事など知らんのだろう。
だが心配はいらない。
店には腕利きの職工がひとりいるので、
その者に教えを請いながら仕事を覚えればいい。
僕が静かに読み上げると、メリアシィは目を輝かせた。
「腕利きって……わしのことか?」
「たぶんそうなんじゃないの?」
つまりはそういうことなのだ。
爺さんが店をつぶさず僕に継げと言ったのは、この子の居場所を残しておいてくれということ。やれやれ。困ったものだよ、あの爺さん。
「しょうがないな。……学校の合間を縫って、僕もこの店を手伝うことにするよ。爺さんの遺言だからね。仕方ない」
自分の肩をもみほぐしながら、僕は言った。
「さて。相続するにはいろいろ手続きが必要だ」
僕はネコのように、伸びをする。その様子を見つめながら、メリアシィがふしぎそうな顔をしていた。
「おぬしは……いったい爺の何なのじゃ?」
「五年前まで、僕もこの店に居候してたんだ。僕は君と違って、ケンカばっかりしてたけど。まぁ、いろいろと爺さんには恩があったよ」
「恩? どんな?」
「教えない」
教えてあげない。僕は見栄っ張りで、いじわるなんだ。
――そんな僕に。血のつながりもない僕に、わざわざ爺さんが頼み事をしてきたのだ。それは爺さんが僕を信じてくれたから。そして僕にしか頼めないことだったから。
「あ~あ。せっかく人間の大学に入って、僕だって人間以上に立派にやれるんだってところを爺さんに見せつけてやろうと思っていたのに。意地なんか張ってないで、もっと素直に会いに行ってやればよかったよ。――君みたいに」
「人間の、大学……?」
小さく笑いながら、僕はメリアシィの髪をなでた。
「僕が君を手伝ってやりたい理由は、もうひとつ。……同族のよしみ、ってヤツかな」
ため息とともに、僕は全身の力を抜いた。
ぴょこ。
……僕の頭から、キノコが生えたみたいな小さな音が聞こえた。
同時に、メリアシィがぱかっと口を開ける。
「あ、ぁあああああああああああああああ! おぬしも!?」
彼女は叫んだ。僕の頭から生えてきた、しましま模様のネコの耳を指さしながら。
* * * * *
それから数年後、僕ら二匹のケット・シーが継いだこの印刷屋は、国中から依頼が殺到するとても有名な店になった――。けれどもそれは、また別のおはなし。
fin
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
2022年12月現在、集中投稿祭を開催中です! よろしければ別作品にもお付き合いいただけますと幸いです。








