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キャンディーマン

 薄暗い酒場の奥に、男が一人座っていた。


 拳銃を腰から提げ、くたびれたブーツに薄汚れたズボン、古ぼけた布のシャツを身にまとっていた。深く被った帽子で表情はうかがえない。


 騒がしい酒場の中で、彼の周りにだけ沈黙があった。


 度数の強い酒をちびちびとやりながら、時々小さく息をついていた。


 大分歳がいっているのだろう。皮膚の皺や肌質で分かる。だが男はどこか張り詰めたような空気をまとっていた。


 そんな男の雰囲気に他の客たちは誰も近寄らなかった。彼を黙殺することがその場において最も正しいことだった。


 男はまた浅く息をついた。


 空間に充満するアルコールの匂いとタバコの煙。しかし男を醒めない深い悪夢のような憂鬱にさせているのはそんなことではないようだ。

 男は酒場に居ながらにして酒場に居ない。切り取られた後にヘタクソに繋ぎ合わされたような、次元のずれたたような存在だった。


「マスター、こっちに一杯!」


 突然、男の目の前に若い男が相席をしてきた。


 酒場のマスターはちらりと視線をそちらにやると、給仕の女にあごで指示を出しビールを運ばせた。


 マスターは興味深そうに、男と若い男の対峙を横目でうかがっている。


「よっ、おっさん。何こんなとこで湿気てんだよ」


 気さくな話し口で若い男が絡みだした。


 男は視線だけをわずかに上げて若い男をとらえた。歳はゆうに三十以上離れているだろう。


 若い男はすっかり出来上がっているようで、


「酒場に来たからにゃ、騒がないと損だぜ」


 と、給仕の女が運んできたビールをぐびぐびと一気飲みをする。


「マスター、おかわり!」


 顔の赤くなった若い男を一瞥すると、男は興味を失ったように自分の酒をすすった。


「無視かよ、てめえ! ったくつまんねークソオヤジだな」


 安い暴言を幾つか吐いた若い男が席を離れようとした時。男はおもむろにその口を開いた。


「おい小童。お前の歳はいくつだ?」


 小童と呼ばれたことにカチンときたのか、若い男は空のジョッキをテーブルに叩きつけて、


「十八だ! 文句あっか」


 と怒鳴りつけた。


 男はしばらく何かを考えるように沈黙し、若い男はいらだった様子で男を見つめていた。


「お前はどうやって生き延びてきた」


 男が静かにそうたずねると、頭に血がのぼっていた若い男は予想外の返し面くらい、いくらか冷静さを取り戻しもう一度椅子に座り直して答えた。


「俺は賞金稼ぎだ。真っ当な仕事は俺には合ってねえ。親父もお袋も兄弟もいねえし、命を危機にさらすことは惜しくないね」


「そうか」


 若い男の言葉をそのまま飲みこんでから、男はこう言った。


「こんな老いぼれの戯言など聞きたくないとは思うが、命は大切にしろ」


 男の命令口調に、若い男は「ヘッ」とすぐに反発した。


「死ぬのが怖くて生きてられっか」


 不敵に笑う若い男の目の前に、給仕の女がまた新しいビールを運んでくる。若い男がそれに口をつけようとした時、男は声を張った。


「待て」


 思わず動きを止めてしまった若い男は、不満げに男を睨んだ。


「お前、もしこのビールに毒が入っていたとしたらどうする。それでも潔く死ねるか? 生にすがりつかないか? それとも大好きなビールで死ねたら本望か?」


 気付くと男の鋭い眼光が若い男をとらえていた。若い男は眉間にしわを寄せる。


「お前の言う『死ぬ』は悔いなく、戦いにおいて散ることのみを指しているのだろう」


 図星なのか若い男は押し黙った。


「『死ぬ』とはそんな綺麗なものではない。もっと汚くて、苦しくて、そして刹那の出来事だ」


 男は動きの止まったテーブルを再生させるかのように、自分の酒を少し口に含んだ。そして遠い目をして、目の前にいる若い男のもっともっと向こうを見ているようだった。


「私はこんな話を知っている」


 すっかり静かになった若い男に向かって、男は静かに語り出した。



「昔、A国とB国が戦争を始めた。切っ掛けは些細なことだった、語るに足らん。とにかくA国がB国に攻め入ったことにより戦争が始まった。


 政治的にも軍事的にも先進していたB国の前に、A国は敗走を続けた。それでもA国は降伏せず、ついにB国はA国への領土侵略を始めた。A国は弱く、そして無知だった。そもそも大国であるB国に、小国のA国が従来の戦術で敵うはずがなかったのだ。


 追いつめられたA国の難民がどんどん城下に押し寄せてきた頃だった。城下町にカラフルな衣装を着たピエロが現れるようになった。ピエロは食糧難で菓子など口に出来なかった子供らに、飴を配って回った。ピエロはどこに行っても歓迎されたよ。子供たちを飴で笑顔にするヒーローだったのさ。


 だが同時に、悪魔と呼ばれた男も現れた。その悪魔と呼ばれた男は、白黒のピエロの格好をして、子供たちがピエロからもらった飴を奪って回ったんだ。


 食糧難が深刻だった時だ。大人だって菓子でもいいから腹を膨らませたい。そんな身勝手な欲望の塊と見られた悪魔と呼ばれた男は、町中の人間から恨まれていた。人々はピエロを見つけると歓迎し、悪魔と呼ばれた男を見つけると石を投げつけた。


 だが、本当の善と悪は逆だった。


 ピエロの配る飴には毒が塗ってあった。悪魔と呼ばれた男はそれに気付いていたのだ。


 ピエロは将来戦力になるであろう子供たちを殺すために、A国が忍び込ませたスパイだった。悪魔と呼ばれた男はそれを知っていて、子供たちから飴を奪っていたのだ。しかしそんなことなど全く知らない人々により、悪魔と呼ばれた男は投石で右の眼の視力を失った。それでも戦争が終わるまで、ピエロが消えるまで、悪魔と呼ばれた男は飴を奪い続けた。


 悪魔と呼ばれた男のおかげで多くの子供たちが死なずに済んだ。その時石を投げていた人々のほとんどは、今もその本当の事実を知らずに過ごしている」



 男はそう語り終えると、今度は少し多めに酒をあおった。


 話に聞き入っていた若い男はこうたずねた。


「それはいつの、どこの国の話なんだ?」


「忘れてしまった。遠い昔の話だ」


 男が遠い目をしたのを、若い男は見逃さなかった。そして訊いた。


「なあ、おっさん。おっさんはどうして右目に眼帯をつけてるんだ?」


 隻眼の男性は小さく肩をすくめた。


「さあね。忘れてしまったよ」


 少し思案するように黙り込んでから、若い男は目の前のビールに視線をやって口を開いた。


「知らねえうちに命を落とすのは嫌だな。それにしても不幸な奴だ、『悪魔と呼ばれた男』とやらは」


 若い男はそう言うとビールを置きっぱなしにして席を立った。そして酒場の中心、喧噪の中に紛れて消えていった。


 男は去りゆく若い男に視線をくれることなく、そのビールをじっと見つめていた。


 汗をかきはじめたそのジョッキには、泡がほとんどなくなった黄金色の液体が残念そうに溜まっている。


 男はジョッキを手にとって勢いよく一気飲みをした。ジョッキをテーブルに叩きつけた音に驚き、先程から盗み見していたマスターが視線を逸らした程。


 男は虚空を見つめていた。


 本当に不幸なのは『悪魔と呼ばれた男』ではない。男は思った。先程の話では少し嘘をつき過ぎたとも思った。


 本当に悲しい事実は、ピエロがA国の国王だったということだ。


 臣下に国政を取られ、お飾りだけの権力者となっていた国王が唯一国民のためにしようとしたこと。それが城下に集まる国民の子殺しだった。B国は残虐の限りを尽くす国だと聞いていた国王は、A国がいずれ敗北することを予期し、子供らが酷い目に遭わぬよう先に菓子で幸せに死なせてやろうと思ったのだ。

 実際、B国は捕虜も丁重に扱ったし、A国の降伏があれば領土侵略のつもりもなかった。全ては国王の無知と、頑として敗北を認めない臣下たちの愚かさからくる子殺しだった。


 臣下たちは国王など相手にしない。国王はその隙を見てはカラフルなピエロのコスチュームで城下へ繰り出し、毒の塗られた飴を配り歩いていた。


 その事実に側近の男はすぐに気がついた。側近が止めるのにも応じない国王は、どうしようもない暗愚になり下がってしまっていた。


 側近の男は子供たちの命を守るため自ら悪役を買って出た。白黒のピエロのコスチュームで子供たちから飴を取り上げ、全て秘密裏に処分した。側近は片目の視力を失ってもそれをやめることはなかった。戦争が終わるまで、ピエロから、国王から子供たちを守り続けた。


 男は右目を失った視界で酒場をぼんやりと見つめた。


 自分が助けた子供たちが大きくなっていたら、先程の若い男くらいの年齢だろうなと思いながら一人ただ酒を飲んだ。


「マスター、おかわり」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 短い文章なのにきれいに完結していて読みやすく私の好きな小説です
[一言] ストーリーは面白かったです。私は、最後の最後にどんでん返しの方が好きなのですが、結構楽しく読めました。
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