【ゴミ捨て場令嬢番外編】森の玉子の話
「ねえ、ラミア。朝に来たお客さんは、なんでお腹が大きかったの」
その日は午後から、雨が降り出していた。
隙間だらけの、おんぼろの家の中。
私はラミアと、薬草を煎じたお茶を飲みながら、気になっていたことを尋ねる。
「朝の、お客。そんなもんが来たかい、キャナリー」
「来たわよ。吐き気が止まらない、って言ってたじゃない」
私を育てたラミアは、森の中で薬を売って暮らしていた。
九十歳の半ばで、耳が遠く、目もあまりよくはない。
「ああ、思い出した。あの妊婦かい。あの腹はそれ、ちびすけのお前も、鳥の巣くらい見たことがあるだろう」
うん、と私は、こっくりうなずいた。
「鳥の巣は、見たことある」
「じゃあ、巣に卵があったのは、見たことあるかね」
「ある。私、木登り好きなの。農家の小屋の、コーティン鳥の玉子だって見たことあるよ」
うんうん、とラミアは皺深い手で、自分のお腹を指差した。
「朝のお客にはな。あのでっかいのが、腹に入ってるのさ」
「でっかい卵が? コーティン鳥のより?」
コーティン鳥というのは、黄色いふかふかした鳥で、玉子も肉も料理によく使われるらしい。
多くの農家で、小屋に飼われていた。
ただ、とても高価なので、私はまだ食べたことがない。
もっと、もっとさ、とラミアはごつごつした両手を広げる。
「なにせ、人間が入っとる卵だもの。頭より、大きいのさ」
へええー、と私は感心と驚きで、ぽかんと口を開けてしまった。
「あっ、そうか、卵の中に、赤ちゃんがいるんだ。小鳥のヒナがかえったのも、見たことあるよ」
「うん。人の赤ん坊も、見たことあるだろ」
「あるよ。町に行ったとき。あれが入っているなら、大きいよね」
なるほど。と思いかけた私だったが、首を傾げる。
「でも、どうやってあんな大きい卵、お腹から出すの」
そりゃあね、とラミアはぐっとお茶を飲み、半分垂れ下がった瞼の下から、じっと私を見つめて言う。
「気合さ」
「気合!」
「どりゃああ! って、尻からひねり出すんだよ」
「尻から!」
私はますますびっくりして、その様子を想像した。
「痛そう。大変だねえ」
「大変だよ。だからうちに、薬を買いに来るのさ」
「どうしてお腹に、卵ができるの?」
これまで考えたこともなかったが、ますます不思議になってきて私は尋ねる。
ううん、とラミアは白くて長い眉を、ほんの少し寄せた。
「そりゃあね。結婚して、男とひとつのベッドで寝ると、時々できちまうんだよ」
「どうして?」
理屈がちっともわからなくて、私は繰り返す。
「どうしてどうしてって、ちびすけはうるさいね」
「じゃあ、ケッコン、ってなに」
ラミアが面倒くさそうにしているので、私は質問を変えた。
「なんで、男の人と寝るの」
「キャナリー。お前、いくつになったっけね」
「えっとね。六つ」
「そうかい。あと十年は、知らなくていいことだよ。でもまあ、退屈しのぎに教えてやってもいい。その代わり、あとで肩を揉むんだよ」
「うん、いいよ」
「水も汲んで、薪も用意するんだよ。それから、鍋もよく洗っとくれ」
「それはいつも、やってるじゃない」
「そうかね。ほいじゃ、教えてやろう。結婚てのは、男と女が、同時に病気になっちまうことさ」
「……病気? どこが悪くなるの?」
ここさ、とラミアは額を指差す。
「頭がいかれちまうんだよ。それでうっかり、一緒に暮らして横になって、隣でぐーすか寝ちまう。するとイタズラ好きの妖精が、女のヘソに種をまくのさ」
そうか、と私は両手を打ち鳴らした。
「わかった! それがお腹の中で、卵になるんだ!」
「ちびすけにしちゃ、頭が回ったじゃないか」
ラミアは言って、ふぉっ、ふぉっ、と歯のない口で笑った。
「じゃあ、種をまかれると、みんな気合で卵を出すの? 大変だねえ」
「そりゃそうだ。出さない方が、苦しいからね。農家のおかみさんも、気取ったご婦人も、お姫様も、みんな一緒さ」
「すごいねえ。そっか、そうやって、人間が増えていくんだ」
「そうだよ。王様の城にある後宮なんてのには、卵を産むためだけの女が、わんさといるんだ」
「ふーん。コーティン鳥の小屋みたい。でも、誰がそんなところで暮らすの?」
「欲にかられた、物好きな女どもさ。王様の卵を産むために、こぞって入るらしいよ」
「えええ。私だったら、絶対にイヤ」
ふぉっ、ふぉっ、とラミアはまた笑う。
「ハナタレのキャナリーや。あんたは入りたくても無理だから、心配しなさんな」
「ホント? じゃあよかった」
私はこれまで何回かラミアと一緒に、町に薬を売りに行ったことがある。
一軒の家の中に、大人の男女と子供がいることが多かった理由が、なんとなくわかった気がした。
「ねえ、でも。コーキューっていうのは、入りたくないけど。私もいつか、ケッコンはするのかな」
お茶菓子替わりの、爽やかな香りのする薬草の茎を噛みながら私は言う。
ラミアは肩をすくめてみせた。
「どうかねえ。しないほうがいいんじゃないかね。病気が治っちまえば、他人と暮らすなんて面倒なだけさ」
「病気のうちは、一緒にいるのがいいの?」
「そうさね。自分の病状を一番わかってくれるのは、相手だと思っちまうからね」
うーん、と私はますます首をひねった。
ずっと森の中にいて、絵本さえ一冊も読んだことがないせいか、ちっともイメージがわいてこない。
「覚えておおき、キャナリー」
ラミアはただでさえ皺深い顔を、くしゃっとしかめて言う。
「お前がいつか、男と一緒に病気になっちまったと思ったら。そのときは尻がぶっ壊れても、でっかい卵をひねり出す、覚悟をするんだよ」
「絶対、イヤ!」
きっぱり言うと、ごすっ、とテーブルの下でラミアが足を蹴る。
「痛い!」
「痛く蹴ったんだよ。そんならね、キャナリー。イヤじゃない、と思う男が見つかるまでは、決して同じベッドで男と寝たりするんじゃないよ。いいかい」
「言われなくても、そうするもん」
ずきずき痛む足をさすりつつ、私は空になったお茶のカップを片付け始めた。
正直、ケッコンなんてどうでもいい。
そんなことより話しをしていて、コーティン鳥の玉子が食べたくなってしかたがなかった。
(市場でたくさんの人が買っていたし、絶対に美味しそうだもの)
けれど一応、結婚や後宮という初めて聞いた言葉を、忘れないよう頭の中で、何度も繰り返していたのだった。