1話 出会いと始まり
「ハァ…ハァ…」
よく晴れた晴天。真夏の日差しが少年を照らしている。ただでさえ暑いのに、蝉の鳴き声はいっそう暑さを感じさせる。
「ハァ…着いた…」
少年は建物の前に着くと、周りに人がいないことを確認して、その中に入る。
「ここなら2人ともわからないだろ」
たくさんの物の中をかき分け、壁際までいくと、少年は袖で額の汗をぬぐった。
家の庭にある大きな物置。そこは倉庫としてつかわれていて、普段は誰も使うことがないため、少年は隠れる場所に選んだのだろう。
「タッ…タッ…タッ…」
足音がする。それはゆっくりした足取りであり、まるで見落としがないように確認しながら歩いているようである。
「ピタリ…」
物置の前で足音が止まった。
少年はさらに息をひそめると、その場に静かにしゃがんだ。ほほに暑さとはまた違った汗が伝うのを感じる。
「…タ…タ…タ」
しばらくすると再び足音が始まった。少年は安堵して立ち上がり、まわりを見渡す。
物置にあるのは、使わなくなった電化製品に始まり、万が一の時のための防災用品、花壇の土、スコップなどの園芸用品まである。
そんな中、少年の目を引いたのは、重ねて置いてある本の山である。取り出されることがないためか、どれもほこりリをかぶっている。
少年はたくさんある山の中から一つ選び、その一番上にある黒い本を手に取った。表紙についているホコリを手ではたき、書いてある文字を読んでみる。
「?」
漢字でかいてあるのかまだ幼い少年には理解することができない。不思議に思いながらもページを開く。
「ほうせきでできたくも…そらとぶおさかな…」
およそこの世のものとは思えない数々のものが書いてある。その本に書いてあることは少年の好奇心をくすぐるのに十分であった。2ページ、3ページと進めていくうちに、少年はそのまま床に座りこんで夢中になって読みふけていた。
すると突然……
「ハル君みっけ!」
「わっ!」
背後から声がして、同時に視界が見えなくなった。突然のことにハルカは読んでいた本を閉じて、服のなかに隠す。両目の瞼にやわらかい手の平の感触がある。
「みつかっちゃった…。」
ハル君と呼ばれた少年—ハルカが残念そうにつぶやくと、視界を閉ざしていた手が外れた。
ハルカが座りながら後ろを向くと、ハルカと同じくらいの年齢の女の子がしゃがんでいた。
「マナトはみつかったの?」
かくれんぼの勝敗を気にするハルカに、女の子は嬉しそうににっこりすると。
「マナトくんはハルくんのおかあさんがみっけたよ!なんかね。ふとんのなかにもぐりこんでいたんだけどね。おなかがなったからみつかっちゃったんだって」
「はは、それはそれでマナトらしいね」
「だよね!しかも始まってすぐ!マナトはほんっとかくれんぼよわいよね。じゃあリビングにもどろうか。ハル君立てる?」
女の子は立ち上がると、仲間の失態に微笑するハルカに手を差し伸べる。
「ああうん、ありがとう」
その女の子—カエデはハルカの手をとって立たせてあげると、そのまま2人でリビングに向かった。
1階にあるリビングは、2つある窓から差し込む夏の太陽でオレンジ色に染められていた。
そんなに広いとは言えないそこは台所と隣接している。真ん中に樫でできたテーブルがあり、壁際には小型のアナログテレビが置いてある。ところどころに雑貨が配置されているが、物が少ないため部屋は至ってシンプルである。
ハルカとカエデがリビングに入ると、茶色いカーペットの上で、赤い髪をした男の子が仰向けになって寝転んでいた。その表情は悔しそうである。
かえではその男の子—マナトの顔を上からのぞき込む。
「きょうもかなで、ハル君のおかあさんチームのかちだね!」
得意げな顔をするカエデに、寝転んでいた男の子—マナトはさらに悔しそうな顔をする。
「ハルカのかあちゃんはかくれんぼつよすぎだろ!てか、はらがならなきゃぜったいにみつからないじしんあったからな!」
「いやー?かくれんぼ中におなかをならすマナト君がどうなのかとおもうよー?」
「なんだとー」
自分をからかうカエデに、マナトは反発し、手足をじたばたする。
2人がそんなやりとりを繰り返していると、リビングのドアが開いて誰かがリビングに入ってきた。
「あ、ハル君のおかあさん!」
カエデは一つにまとめた髪を左右にゆらしながら小走りでその人にかけよると、尊敬のまなざしで話しかける。
腰まで伸びる長い黒髪に、優しさをまとった茶色い目、白と水色のワンピースからは、いまにも溶けてしまいそうな雪のように白い肌がのぞいている。
「ねえハル君のおかあさん、ハル君みっけたよ。おかあさんがいうとおり庭の物置にかくれていた。やっぱりおかあさんすごいね!」
嬉しそうにほほを赤く染めて飛び跳ねるカエデを見ると、カエデにハルカのおかあさんと呼ばれたその人は穏やかにほほえんだ。しゃがんで目線をカエデにあわせ、カエデの頭をやさしくなでる。
「ハルカを見つけたのはカナデちゃんじゃない。私もカナデちゃんに助けられたのよ」
頭をなでられていたカエデは、その顔を満足そうにして、『そっか!2人でかちとったしょりだね!』と言う。
無邪気な笑顔を見せるカエデに、ハルカの母はズボンの右ポケットから飴玉を一つ取り出し、カエデに両手でギュッとにぎらせた。
「かなでちゃんにあげるね」
「え!ありがとうハル君のおかあさん!」
「どういたしまして」と、かえでの頭から手をはなしたハルカの母は、寝そべっていた体をおこし、カーペットの上で座っているマナトの前まで行くと。かえでと同様にマナトに目線をあわせる。
「マナト君。ふとんの中に隠れるっておもしろいこと考えたね。私全然わからなかったよ。」
マナトはうつむいたまま、「…」と何もいわない。見つからない自信がよほどあったのだろう。それを感じとったのか、ハルカの母はクスリとわらうと。
「そんなマナト君にはがんばったで賞をあげよう」
そう言うと、ハルカの母はズボンの右ポケットから飴玉をひとつとりだした。それをマナトの手にしっかりとにぎらせる。
想像もしていなかったことに、顔をあげる上げたマナトは、への字口になっていた口の端をあげる。
「えっ!いいの?」
「がんばったで賞はがんばった子にあげるものだからね。マナト君にあげちゃう。それと今後もし私に勝てたら飴ちゃん3つあげよう」
マナトはそれを聞くと、満面な笑みをして。「ハルカのかあちゃん……それ本当だな?約束したぞ」と子供が出せる最大限に怖い声で確認する。
ハルカの母は「ええ。約束ね」と穏やかにほほ笑む。
するとマナトは、急に立ち上がり、さっきもらった飴玉を口に放りこむと「よっしゃあ!次こそはぜってーまけねー!」と叫ぶ。ことの一部始終を見ていたかえでは「えー!マナト君ずるーい!まけたのにー!」と不満げに腕をパタパタする。
ハルカの母はその光景をみて、にこにこすると、テーブルの横に立っていたハルカに声をかけた。
「はい、ハル君にもかんばったで賞。おかあさん実はね、本当に物置に隠れているとは思わなかったのよ。洗面台だと思ってた。ハル君はかくれんぼがお上手だね」
みんなと同じように、飴玉をひとつもらう。
「おかあさんありがとう」
息子のありがとうにやさしく頷くと、ハルカの母は台所へと歩を進める。
母の後ろ姿を眺めていると、ふと、服の中に隠している黒い本のことを思い出した。
物置にあった奇妙な黒い本。ハルカにとって大発見であるこれは一体誰のものなのか?どこで買ったのだろうか?いやそれ以前に、倉庫にあったものとは言えハルカが持っていてもいいものなのか?
「……おかあさん」
次々に浮かんでくる疑問を聞くために、ハルカはもじもじしながらその名を呼ぶ。
「ん?どうしたの?」
進めていた歩をとめ、母がハルカの声に反応して振り返る。
「これ……」
ハルカは服の中に隠している黒い本をとりだそうとしたその瞬間。腕の動きが止めた。いや止めたのではなく、止まったのだ。
まるで内側から体を乗っ取られたような感覚に、ハルカは今まで経験したことのないような恐怖を感じる。助けを呼ぼうと声を出すこともできない。
どうにかしようと再び本を服の中に隠すと体がもと通り動いた。
心配そうにみつめる母に気が付くと、ハルカは恐怖で強張った顔を伏せる。
「……ううん、やっぱなんでもない」
ハルカらしくもない行動に、母は不思議そうに首をかしげたあと、『……そう?』と言う。そして再び台所に向かうと、「パンッ」と手を鳴らした。
「はい、これからおひるごはんの準備を手伝ってくれる子―」
「はーい!」
マナトと言い合いをしていたカエデが元気に手を挙げる。一方のマナトは『おれはさっそくかくれんぼのれんしゅうだ』と言い残してリビングをあとにする。
「もうマナトくんさいてい!今日のごはんマナトくんのきらいなピーマンたくさんつかっちゃうもん!ハルくんいこう」
「あ…うん」
マナトにあっかんべーをしたあと、カエデは震えがとまったハルカの手を握ると、2人でハルカの母のいる台所まで行く。
この時、ハルカは思いもしなかった。黒い本と出会いが彼の人生にとって重要な意味をなすということを……