とある天使の…
「え、えへへ…増えちゃいました」
寮に帰ると、125号さんが出迎えてくれた。
6枚羽を見て少し驚いた顔をしたので、ナナコに説明をさせる。
照れてはにかみながら報告をしてくれるが、それは説明じゃない。
仕方ないのでもうすこし詳しい経緯を捕捉する。
「えっと、ナナコはミカエル様の手ほどきで羽が増えたんです。変わらず寮で生活させてもらえるんですけど、6枚羽部隊に所属することになって」
察しのいい125号さんはナナコの頰に涙の跡があるのを見て大体の経緯を理解してくれたようで、それ以上は何も言う必要もなかった。
「3人とも、おかえりなさい。お祝い事が増えてしまいましたね、特別にとっておきのデザートを用意しましょう」
それでも、あくまでいつも通りに。
125号さんは、どこまでもお見通しのようだった。
今の俺たちがいつも通りの日常を必要としていることも、いつも通りのままではいられないことも。
だからこそそんな125号さんの気持ちが嬉しくて、胸の中が暖かい気持ちでいっぱいになる。
もし112号さんが隣にいなければ、泣いてしまっていたかもしれない。
そして、その日の夜はちょっとしたパーティーのようだった。
数々のご馳走に、色とりどりの飾り付け。
どうやら寮にいる天使たちでいろいろと手を回してくれたみたいだ。
悪魔を追い払った英雄として、ナナコは次から次へと天使たちから感謝と感激を受け取っていた。
少し離れた席でそんなナナコを見守っていると、ふいに数人の天使に話しかけられた。
「あ、あの。0号さん、ですよね。私、校庭で貴方と775号に助けられて。虫のいい話かもしれないけど、お礼が言いたくて…!」
驚いた。
いつもはゼロとして忌み嫌われていて、きっと目の前の天使だってあまり良い感情は抱いていなかっただろう。
そんな相手に、助けられたとはいえお礼を言うなんてなかなかできることではない。
そしてナナコや125号さん以外の天使とまともに話すのは久しぶりすぎて、一体何を話せばいいのだろうか。
少し悩んで、とりあえずナナコに放り投げることにした。
「お礼ならナナコに言ってくれ。ナナコがいなければ俺はきっと簡単に逃げ出してたし、今の俺がいるのは全部あいつのおかげなんだ。きっと、ひとりのままだったら俺は悪い噂のとおりに好き放題暴れまわるだけの駄目天使になっていたよ。あいつが、ナナコが手を離さないでいてくれたからーー」
そこまで語って、ふと我に返る。
しまった、喋りすぎた。
目の前の天使数人はよく見れば女性型ばかりで、興奮したように顔を赤らめて目を輝かせている。嫌な予感。
「前から聞きたかったんですけど。0号さんと775号って、もしかしてお付き合いしてーー」
「ち、ちょっと急用を思い出した!すぐに戻るってナナコと125号さんによろしく言っておいてくれ、たのんだ!」
逃げる。
どうして女性型は恋だのお付き合いだのといった話が好きなのだろうか。
それが人間的な感性なんだろうか。
一瞬で真っ赤に染まった顔を隠しながら、一旦寮の外に出る。
後ろから黄色い歓声が上がった気もしたが、気のせいだと割り切ることにした。
天使には特に生殖機能などは存在しないので、人間のように夫婦になったり、子供を産んだりすることはできない。
けれど男性型と女性型が存在しそれぞれの特徴は人間を基にして作られているらしいので、恋人に近い関係にある天使は少なくない。
もちろん俺とナナコがそんな関係になった覚えはないが、明確に否定してしまうのは惜しい程度には複雑な感情を抱いている。
火照った顔と頭を冷やすためふらふらと歩いていると、不意に後ろから抱きしめられた。
「レーイーくーんー?寮ではずっと一緒にいてくれるって約束したよね?急にいなくなるなんてひどいよー!」
ナナコだ。
収まりかけていた熱が再び頭の先まで巡り、あわあわと逃げ出そうとする。
けれどがっちりと抱きしめられているので振り払えず、むしろそのまま空へと浮かび始めた。
「別に逃げたりしないから、一回離してくれ。一回でいいから」
「だーめ!勝手にいなくなった罰なんだから」
にべもない返答に、諦めて脱力する。
なんだかんだ言ってナナコには勝てないし、別に嫌なわけじゃない。
むしろ…なんて考えているといつまでも顔の熱が収まらないので努めて無心になる。
「ねえ、このまま少し飛び回ろっか。これからは学校までこうして飛んでいくわけにもいかないし、今のうちにたくさん思い出作りたいな」
もちろん断ったりはしない。
背中に意識がいってしまい顔は熱くなる一方だけど、だからといってこのしあわせな時間を手放すのは割に合わない。
しばらく飛んでいると、学校が見えてきた。
「もう、ほとんど校舎も直ったんだな。悪魔が襲ってきたのが嘘みたいだ」
「レイ君が寝ていた間に6枚羽の天使さんたちが直してくれたんだって。つまりまた校舎が壊れれば堂々とレイ君に会いに行けるかも!?」
特別頑丈に作られている校舎が壊れるなんてそうそうないし、仕事中をサボって会いに来るのに堂々とはどういうことなのか。
くすくすと笑って一回大きく息を吐き出すと、悪魔との戦いを思い出す。
短時間の出来事だったけど、今まで生きてきた中で一番緊迫した時間だったのではないだろうか。
そして思い出したくもないが、たしかに実感した死の感覚。
ミカエル様から告げられた、役割について。
「なあ、ナナコ。もし俺が天使じゃなくて、もっと歪な…それこそ本物の悪魔だったりしたら、その時は」
「変わらないよ」
断言される。
まだ何も聞いていないのに、なんて野暮なことを言う余地もないほどに強い意思のこもった言葉だった。
「私にとってレイ君は、いつも私を守ってくれる天使。私が守ってあげたい人。私が、大好きな…」
学校の屋上に降り立つ。
俺は自分の足で立って、ナナコと正面から向き合う。
その頰はこれ以上ないほどに紅潮していて、その瞳は今にも溶けてしまいそうなほどに潤んでいた。
頭の中でナニかが弾けて、目の前の天使を抱きしめて口づけをする。人間的とか恋人とかなんて考える前に、思わず身体が動いていた。
ナナコは驚いた顔をしてから、嬉しそうに目を閉じて抱きしめ返してくれた。
物音ひとつしない、作り物の夜空。
風ひとつ吹かない屋上で、ただひたすらに唇を、体を、存在を確かめるように強く抱きしめ合った。
お互いの存在を残して世界が消えてしまったかのように感じるほど、その柔らかな感触で頭の中は埋め尽くされていた。
時が止まったかのようにそのまましばらく抱き合っていたけれど、やがてどちらからともなく離れて、恥ずかしさのあまり目をそらす。
「…そろそろ帰ろっか。みんなが心配するかも」
「そういえば、せっかくのパーティーなのに主役を独り占めなんてあとで何を言われるかわからないな。デザートもあるらしいし、まだ無くなってないといいけど」
「もう。他人事みたいに言うけど、レイ君も主役のひとりなんだからね?私にばっかり押し付けるのはナシだよ。せっかくのお祝い事だし、嬉しいことはふたり一緒がいいな」
再びナナコに抱えられて空へ飛び上がる。
この空の冷たさで、帰るまでには顔が熱いのも冷めるだろうか。
帰り道はなんとなく無言で、このまま夜空に溶けてしまいたいほど気恥ずかしかった。