◆五年前 とある峠の村、ゴブリン討伐の結末 // ◇現在 名も無き開拓村、ある日の昼
◆ ~五年前~ とある峠の村、ゴブリン討伐の結末 ◆
俺達は、洞窟に潜むゴブリンを難なく倒すことができた。
まさか本当に俺が、何の問題も無く敵意に満ちたモンスターを切り伏せられるとは。
説明されてはいてもこれまで実感が伴っていなかった。
だがゴブリンを前に剣を握った瞬間、俺の体は信じられないほど軽やかに動いた。このゴブリン達は遊んでるのかとさえ思った。陸上選手よりも俊敏に動き、剣道家よりも鋭く剣を振った。ゴブリンの体をバターよりも簡単に切り裂いた。
……恥ずかしながら、戦いが終わった後に、吐いた。
初めて自分の手でゴブリンのような生き物の命を奪ったことに手が震えた。
レネスはそんな俺の姿を見て、見下しもせず笑うこともなく、それどころか俺の吐瀉物の始末すら手伝った。
「誰もが最初はそうです。むしろそういう苦しみを覚えるのは、優しさがあるからこそです」
そういって俺の背中をさすり、優しく介抱してくれた。
自分の情けなさが悲しかったが、それを支えようとする彼女に応えねばと思った。
剣を捨てまいと誓った。
「よし、次からはこんなことはない」
「別に良いんですよ?」
「いや、強くならなきゃ。まずは囚われてた人を助けよう」
「……はい、勇者様」
俺は口元を拭き、立ち上がった。
「そういえば、なんで村長に条件なんてつけたんだ? 庇護しろとかなんとか……」
「ああ……それは、その」
レネスは逡巡したが、ややあってから口を開いた。
「ゴブリンに囚われていた人、特に女性は……嫁の貰い手が付かないことが多いんです」
「へ?」
「ゴブリンは人を襲い、人を食います……。でもなぜか、その上で人を、ご、強姦すると思われているのです」
「あ……」
「もちろんそれはデマです。ゴブリンはゴブリンと契り、子を作ります。ただ何故か女を襲うと根強く信じられているんです。それでゴブリンに浚われた娘子は汚れていると思われてしまい、運良く助かってもその後も辛い生活を送ることがどうしても多くて……」
「そうか、それで……」
「家族から持て余されて、奴隷落ちなんて話も少なくありません……」
この世界は厳しい。
女性が一人働いて生きていくのは、どれだけ難しいことなのか。
レネスはそれを知っているからこそ、条件を付けたのだとわかった。
「……レネスは、優しいな」
「いえ、私一人にできるのは僅かばかりの事です。失敗も多いですし、手遅れのこともあります」
「一人じゃなくて、二人なら?」
「え?」
「俺達二人なら、僅かなことが二倍になるじゃないか」
レネスが、不思議そうな顔をして俺を見た。
その不思議そうな顔が、次第に喜びに染まっていく。
「……はい!」
◆ ~現在~ 名も無き開拓村 ある日の昼 ◆
ゴブリンを退治して、ケネルの家族は問題なく助け出すことができた。
ケネルは感涙にむせびながら、残りの報酬を必ず払うと約束してその日は去った。
だが、
「ええと……ケネルの娘さん、で合ってるよね?」
「はい……あたし、ジルと言います」
黒い髪をおさげにした純朴そうな娘さんが、俺の家の玄関でひどく恐縮した様子で尋ねてきた。
ゴブリンから救出した娘さんだった。
確か年の頃は14歳くらいで、この世界ではそろそろ結婚を考えなければならない年齢だ。
「……きみくらいの子を奴隷にするとしたら、銀貨どころか金貨を出さなきゃ買えない。銀貨5枚かわりに奴隷になるなんて詐欺みたいなもんだぞ? 返済の期限は待ってやれるし、分割にしたって問題ない」
俺もレネスも、落胆していた。
案の定こうなったか、と。
「良いんです……どうせあたし、奴隷になってもろくな買い手が付かないです……」
「だろうね」
レネスがあからさまにがっかりした声を出した。
「すっ、すみません、魔術師様……」
「あなたに怒ったわけじゃないの! ビクビクしない!」
「ひゃっ、ひゃい!」
五年前、とある村でゴブリン退治をした。
それは俺のこの世界での初陣で、首尾良くゴブリン達を切り伏せて村娘達を助けることができた。
そして村に返した娘達をちゃんと保護するように、村長達に約束させた。
ゴブリンに浚われた娘は「汚れている」というレッテルを張られて、嫁ぎ先が無くなるからだ。
しばらくして助けた娘がどうなったのかを確認したときには、既に奴隷として売り払われた後だった。
最初から約束を守る気が無かった、とは言えないかも知れない。
戦争が激化して税が重くなったこと、夏が来ても雨が続いて気温が上がらず不作だったこと。
そもそも最初から、女子達を庇護するための負担をまかなえるほどの余裕が村にあったかどうか。
後付の理由は幾らでも挙げられるが、俺達にとって……特に、レネスにとって、約束が破られたことは事実だ。レネスは酷く落胆していた。助けた人間が苦しい目にあったことに加え、自分の信じていた言葉が裏切られたのだから。そんな出来事が一つ一つ、だが数え切れないほど積み重なっていき、今のレネスがある。
農夫のケネルがゴブリン退治を依頼しに来たとき、これは昔の二の舞になるだろうという予感があった。だから口約束では無い、公明正大な契約を結ぶ必要があった。
「……ウチには、野良仕事する人間が旦那しかいないの。あなた手伝ってよね。あと家事も」
「へ?」
「離れにベッドがあるから、そこがあなたの部屋でいいわ」
「ええと、その……客を取るとか、ご主人様の、その、お世話とか、しなくて良いんですか?」
「いらんいらん」
「ふふん、ハルトはわたし一筋なの」
と言ってレネスが俺の懐に飛び込み、俺の胸板から顎の下までを艶かしくなであげた。
こら、ジルちゃんが顔を真赤にして困っているじゃないか。
「あー、ウチの村じゃそういうのを目的に奴隷にするのは禁止なんだ。……まあ自分の意志で、その、誰かに体を売るのは違反じゃ無いんだが、その儲けを奴隷の主人がピンハネするのは絶対に駄目だ。だから奴隷であるきみが体を売る必要は無いし、できない」
「そ、そうなんですか……?」
「ま、この村だけの規則だけどな」
俺達――この村を開拓した皆は、誰かに使われたくないという思いを一つにしていた。
だからこそ、俺達が誰かを使うときの規則もまた厳しくする必要があった。
昔は高い身分であったとしても、より高い身分の誰かに苦しめられた経験がある者ばかり。
俺の提案した規則は皆が賛同してくれた。
この村ではもはや規則を超えて常識として定着しつつある。
「他にも、飢えさせるのは駄目とか、鞭で打ってはいけないとか、休みを与えないのは駄目とか、色々と規則がある。後で全部詳しく教えるが、あんまり悲観しないでくれ。しばらく働いて給金がたまったら自分で自分を買い戻すこともできるし」
ジルと名乗る娘は、半信半疑の様子だった。
おそらく、想像していた生活とはかなり違うだろう。
「だからって、ウチの待遇が甘いと思ったら大間違いだからね!」
「レネス」
「なによ!」
「別に良いだろ、誰かに聞かれてるわけじゃないし。そうやって悪者ぶるな」
「……そうだけどぉ」
レネスが恨めしげな目線を俺に送ってくる。
「そ、その……よくわからないですけど、ご主人様、よろしくお願いします」
レネスはぶすったれたまま、頭を下げるジルを直視しなかった。
人を疑い、冷たく振る舞うことを覚えても、レネスは自分の優しさを裏切れない。
「……とりあえず家事とか掃除とか手伝ってくれ。終わったら昼飯にしよう」
「は、はい!」