◆三年前 交易都市エメラーディへの旅2
◆~三年前~ 交易都市エメラーディへの旅2
「よくぞ来てくださいました、勇者様、聖女様」
「ダナン様、よろしくお願いします」
俺達は交易都市エメラーディの光明神ミスラト教の支部、エメラーディ教会に来ていた。
出迎えてくれたのは、ダナンという名の青い髪をした若い神官だ。
どこか線が細く、話す言葉も表情もほがらかだ。
しかし回復魔術の腕やネゴシエーション能力の高さ、そして高い町民達の信頼ゆえにエメラーディ教会の支部長に抜擢された男だ。年は若いが、人種も職業も多様なこの街の宗教を取り仕切っている辣腕だった。
「まずは長旅ご苦労にございました……エルフの里に行ってらっしゃったとか」
「ええ、まあ」
「賢者ユーデル様とも親交を深められたとか。あのお方は私も若い頃にお世話になりまして……」
「へえ、ユーデル……さまと」
おっと、敬称をつけ忘れそうになった。
色々ありすぎて彼女が高名な賢者として扱われているのを忘れそうになる。
「はい。聡明でありながら俗世と関わりを持ち衆生を救い、さりとて俗世に溺れない。信じる神は違えどもまさに神職の人間の目指すべき姿こそユーデル様と私は思っています」
「そ、そう……ですね。彼女には様々なことを教わりました」
「今もお変わり無く元気でしたか?」
「え、ええ、元気です」
今は破天荒な肉食エルフとなってしまったが、過去の彼女しか知らない人にそれを伝えるのは忍びない。
ちなみに彼は他のミスラト教の上層部とは違って、未来において俺達は謀殺する側にはいない。
むしろ彼は俺達と共に聖魔戦争を戦い抜いた信頼できる仲間の一人であり、戦後に俺達と同じく謀殺される……哀れな被害者だった。ダナンとはプライベートについてそこまで突っ込んだ会話をしたことは無かったが、謀略に加担するような人間ではなく、おそらく教会上層部が取り込むことはできなかったのだろうと思う。
「ところでダナンさん。俺達を呼んだのは……」
いつまでもユーデルの昔話をすると、つい事実を言ってしまいそうだ。
それを避けようと俺は本題を切り出した。
「いえ、私が呼んだというより……総本山が支援を寄越してくれた、というところですね」
「総本山からは「魔族に押されているから増援に行ってほしい」って話だったんだが……」
「ああ、少々誤解がありますね。私達が直面している危機は魔族ではありません。妖魔です」
「妖魔……というと」
魔族の国に属していない、根無し草や独立勢力の亜人を指す言葉だ。
まあ生物としての区別はあまり無く、政治的な区分けに過ぎないようだが。
「魔族というわけではないので大勢力というわけではありません。私の力が足りないばかりにこうして勇者殿にご足労願うことになってしまいました」
「まあ、仕事だから構わないんだが……その妖魔を倒せば良いってことか」
「戦って退けてもらえるのは助かるのですが……妖魔とは言えこの海域に長く住んでいた者達です。我々の理屈で殺して良いものか……」
『前回』のときも思ったが、根っからの善人だな。
魔族と妖魔の区別をちゃんと付けている上に、妖魔を殺して欲しくないと。
ミスラト教の上層部は、いかにも俗っぽいことと無縁なような振る舞いをしておきながら戦争に対しては積極的だ。魔族も妖魔もうちのめして人間の領土を増やせというスタンスの人間が多い。亜人の都合まで考えようとする人間は、総本山には皆無と言って良いだろう。
「勇者殿としては、私のようなものは不甲斐ないでしょうが……」
と、ダナンが自嘲気味に微笑む。
「いや、立派だ。なあレネス」
「うん」
今度は、俺達の会話を聞いたダナンが驚いた。
「そんな言葉をもらえるとは、予想外でした」
「俺だって無駄な戦は避けたい」
そう言うと、ダナンが笑い出した。
俺もレネスも笑った。
さて、こいつとは良い友人になれそうだ……と思ったあたりで、鐘の鳴る音が聞こえた。
時を知らせる牧歌的な音では無い。
甲高くけたたましい、危険を知らせるための早鐘の音だ。
「まずい、来ました……!」
「来たというと、もしや」
「ええ、妖魔海賊マロードです!」
◆
耳障りな鐘の音を聞きながら港の方へと目指した。
近付けば近付くほど、重苦しい衝撃の音や破裂音が大きく響いてくる。
魔法だ。それもかなり強力な。
『はっはっはぁー! 商売ばっかりにかまけて鍛えてないんじゃあないのか!?』
そして、凱歌を歌うかのような高らかな挑発。
それも女の声だ。
「勇者殿、あれです。あれが……」
「妖魔海賊、マロードか!」
妖しげな雰囲気を漂わせた船に、妙な連中が立っているのが遠目に見える。
その船の舳先に、ひときわ目立つ女が居た。
女と言っても、なんとなく上半身のシルエットが女性らしいというだけだ。
下半身や肌の色は、けっして彼女が人間ではないと示している。
「しかし距離があるのになんでこんなに声がはっきり聞こえるんだ?」
しかも、遠目なのに心なしかよく見える気がする。
禍々しいオーラを放って妙に目が離せないというか……。
「これは……原始呪術の一つ、『イーヴィルボイス』だよ」
俺の疑問にレネスが答えた。
「呪術?」
「負の感情を利用する古い魔術。敵意と魔力を声に混ぜ合わせて放ってるから、相手が何を言ってるかはっきりわかる……ってわけ。『前回』でも多分話したと思うけど」
前回。
それはつまり、俺達が聖魔戦争に勝ち、その後ミスラト教総本山に暗殺された時空のことだ。
「……ああ、なんとなく思い出してきた。あのマロードって女のことも」
見た目は魔物のようだが、人間や魔族と同じ知的生命体だ。
そして人間からは魔族と混同されるが、実は魔族には与していない独立勢力。
蒼蜜海を支配する伝説の妖女、マロード。
この交易都市エメラーディが発展すると共にこのマロード達の支配領域とぶつかり、こうして今いがみあっているというわけだった。
マロードは、支配領域に人の船が出入りしたり魚や海魔……海のモンスターに手を出す行為に怒り、こうして港に攻撃を仕掛けている。
そして人間の方も、このマロードの手下の妖魔や海のモンスターに襲われ、あるいは船ごと拿捕されており、敵意に満ちている。
妖魔海賊などと異名をつけられる有様だ。
俺達は『前回』、この魔術都市エメラーディに味方して彼女に深手を負わせて撃退した。
そのために魔術都市エメラーディがより一層栄えた。さらに人間が使う海洋ルートが広がり、戦争の勝利に大きく貢献した。
だが……。
「どうする? 前は普通に絶技で倒しちゃったが」
マロードの使う魔術は強い。今も船に落雷を落としたり、呪術で船乗りや衛兵を恐慌状態に陥らせている。とはいえ、俺やレネスが本気を出せば問題なく倒せるだろう。
だが『前回』マロードを倒したときに意味深な言葉を言っていた。
あいつは確か、俺の絶技で傷を負って逃げるときに言ったのだ。
「……偽神の使徒どもめ、利用されて破滅するが良いわ……って私達を罵ったね」
「ああ」
レネスが、一言一句違えず思い出した。
俺もその言葉は覚えている。
つまりあの妖女マロードは、何かを……光明神ミスラトが決して公明正大で神聖な神ではないことを、知っている。
「……どうされました、勇者殿?」
ダナンが俺達の様子を見て不思議そうに尋ねる。
説明したいところだが、今は時間がなさそうだ。
「いや、なんでもない。とりあえず、これ以上港を壊されちゃたまらない、止めてくる」
「気をつけて!」
俺はレネスに頷き、足に魔力を込める。
「絶技・韋駄天!」
瞬間的に速度をあげて一気にマロードのいる船の近くまで駆ける。
足の裏に魔力を集中させることで海を地面のようにして立つこともできる。
まあ、波うつ地面に立つというのもすぐ転びそうになって難しいのだが。
「むっ……なんだ貴様、海の上を走るなど非常識だぞ!」
俺達を見てざわついている妖魔達にくらべて、さすがマロードは冷静だった。
ちょっと天然の気配もあるが。
「常識を問われるとは心外だな。ともかく港を攻撃するのはやめてくれないか」
「なんだと!」
「俺は太陽神ミスラトに遣わされた勇者ハルト、それと」
「聖女……いや、魔法使いのレネス」
俺達が名乗ると、マロードは驚愕に目を見開いた。
瞳孔そのものが収縮するのはちょっと怖いな。
「ミスラトの使徒か……襲いかかる前に名乗るとは、少しくらいは礼儀を知っているようだな」
実を言うと『前回』の俺は、港が壊されるのを止めるために問答無用で斬り掛かっていた。
本当に申し訳ない気持ちになる。
「あ、はい、すみません」
「……何故謝る? ともかく何の用だ」
「まずは矛を収めてくれないか。改めて話し合いをしたい」
「話し合いだと!? はっ!!! 今代の勇者は笑わせてくれるな!!!」
マロードが嘲笑をまき散らす。
嘲笑にも呪いの力が込められている。
魔力の弱い人間ならば、おそらく彼女の舌打ちや悪態でさえも失神しかねないだろう。
俺でさえもびりびりと肌がひりつくような圧を感じている。
「喰らえっ!」
そしてマロードがさっと手を上げると周囲の配下の妖魔達が槍や杖を構えた。




