第04話「旅の準備」
直人が目を覚ましたのは2日後だった。
ロイの小屋ではない事は目を開ける前にわかった。匂いが違う。寝ているベッドも藁ではない綿の柔らかさだ。
目を開けると目の前にはこちらを見ているレギンレイヴの姿。
直人は驚いて目を丸くした。
「なんで起きるタイミングがわかったんだ?なんかの恩寵?」
すると今度はレギンレイヴは目を丸くする。
「丸二日寝て起きた最初の質問がそれとは、直人は私の見立て通り、大物のようですね」
「そうだと良いんだけど。まあ、二日寝てたって聞けたし、筋肉痛が凄いから体の状態は概ねわかるし。ベッド柔らかいって事は魔物倒したのが効いて待遇向上につながったって事でしょ?とりあえず、最初の質問の答えが分かったら、次は二日でわかった事を教えて欲しいかな」
「純粋に確率の問題ですね。直人が魔物を討伐してくれたおかげで、こちらから希望を伝えるまでもなく、村民から直人の看病に集中する事を勧められました。日がな一日そばに居れば、起き抜けの直人と目も合おうというものです」
「なるほど。で、この二日間何かあった?」
「村長とその奥様から村の事や、周辺地域の情勢などを伺いました。あとは一緒にお料理をしたり、かぎ針を使った編み物を習いました」
そう言ってレギンレイヴは編み棒と毛糸玉、そして成果物とおぼしき編みかけの長い何かを直人の視点まで持ち上げて見せた。
「何を編んでるの?」
「何かを編んでいる、というより、始め方と目の積み上げ方と折り返し方を教わったので、その練習のために繰り返していたらマフラー状になったという感じですね」
両手を広げたくらいの長さがあるだろうか。
二日でこの長さというのはかなり早いのではないだろうか?
「二日でその長さ?」
「いえ、終わり方を教わっていないので、縫ってほどいてを繰り返して、今は五回目の終盤ですね」
「えっ?二日で?物理的に可能なの?」
「えっ?ええ、ご覧になりますか?」
そう言ってレギンレイヴは直人の目の前でかぎ針を動かす。
速い。
もはやそれは縫うというより、指先で布が伸びていくといった様子で、レギンレイヴの恩寵『イデア』と、編み物の親和性が尋常ではない事を物語っていた。
「もったいないから、終わらせ方を教わってきてくれ」
「私もそろそろそうしようかと思っていました」
そう言ってレギンレイヴは無邪気に微笑んだ。
それからレギンレイヴは手に持ったものをまとめてベッド脇のバスケットに放り込むと、直人に尋ねた。
「食欲はありますか?」
「聞かれたら腹減ってきたかも」
「では、村長さんに報告がてら用意してきますね」
部屋を出て行ったレギンレイヴは、少しして村長夫婦と思われる雰囲気の柔らかな老人と老婦人を伴って部屋に戻ってきた。
直人は慌てて体を起こそうとしたが、筋肉痛で思うようにいかず、再びベッドに倒れ込んでしまう。
老婦人が慌てて直人の肩を優しく抑えて、「今は体を休めてください」と言って寝ているように促す。
「あなた方はもしかしてこの村の?」
直人の問いに老人が答える。
「ええ、村長をさせて頂いております、ラースと申します。こちらは妻のウィルマです」
「お世話になっています。ナオトと言います」
直後、村長のラースと夫人のウィルマはベッドの横に並んで跪き両手で直人の手を取った。
「えっ?えっ?えっ?」
戸惑う直人をよそに、ラースとウィルマは直人の手を握る手に力を込める。
「村を代表して魔物を討伐頂いた事と、ロイを救ってくださった事にお礼を申し上げたい」
とラース。
「本当に、本当にありがとうございました」
とウィルマ。
二人はまるで祈りを捧げるように両手でつかんだ直人の手を額に押し当てて謝辞を述べた。
「いやいや、こちらの都合でやった事ですからお気になさらないでください」
直人が慌ててそう言うと、老婦人が顔を上げ、笑って言った。
「ナオト殿はお優しいのですね」
なんとか、二人にお祈りされるのを止めてもらった直人だったが、ラースとウィルマは今度は申し訳なさそうな顔で直人に謝ってきた。
今度は何事かと、直人が事情を問いただすと、ラースは妻に目配せをする。
ウィルマは携えていたグレープフルーツ大に膨らんだ革袋を直人の手に握らせる。
「これは?」
直人はジャラジャラとわかりやすい硬貨の感触に満たされたずっしりと重い革袋の意図を尋ねる。
「我々の村からナオト殿にお支払いできる報酬の全てです」
直人は手探りで革袋に手を突っ込み、硬貨を適当に数枚つかみ、視線の位置まで持ち上げる。
手には銅貨が2枚、銀輪貨が2枚。
「今すぐにお渡しできるお金はこれでほぼ全部です。相場の半分にも満たず申し訳ない」
とラース。
「もちろん、足りない分はこの家にあるものなら何でも持って行って頂いて構いません」
とウィルマ。
「ちょっとまった。まってください」
直人は混乱して喚いた。
「なぜそんなに何でもかんでも躊躇なく渡そうとするんです?この袋だって、村の貯蓄かなんかなんじゃないですか?」
直人はロイから聞いた魔物返しの話を思い出して言った。
村長と夫人は顔を見合わせた。
「ですが、十二等級の魔物の依頼報酬ともなれば金貨4枚、討伐報酬はその倍の8枚です」
とラース。
「だとしても別に依頼してないでしょ?こっちが勝手にやった事だって言えばいいじゃないか」
断ろうとする直人と、礼を渡そうとする村長夫妻の間に皿を持ったレギンレイヴが割って入る。
「まずは食事にしましょう」
レギンレイヴが持ってきた皿は、ちぎった黒パンでとろみをつけた肉野菜煮込みだった。
肉は硬くレバーのような鉄臭さでパサパサしており旨みも薄い。お世辞にも旨い食事とは言えないが、疲れた体に染み渡る。また、パンで作ったお粥のようで消化にも良さそうだ。
そうして直人が食事をしている間、村長夫妻の話はレギンレイヴが聞く事にした。
「お二人に悪意があるなどとは思っていませんが、こちらとしても度を越えた厚遇は警戒せざるを得ません。何か事情があるのなら教えて頂けませんか?」
レギンレイヴの言葉に村長と夫人は顔を見合わせ、それから意を決したように頷いた。
「それほど複雑な事情があるわけではありません。お礼をするには当たり前の理由がいくつか重なったので、せめてできる限りを、と思ったのです」
ラースはそう前置いてから続けた。
「実は、ロイは私たちの息子なのです」
直人は口に運びかけたスプーンを止めて目を丸くする。
驚きはしたが、確かに年齢的には不思議ではない。
「あー、そういう事ですか」
しかし直人はすぐに首を傾げた。
「なんで村長の息子が率先して危険な囮役をやってるんです?」
この村におけるロイの立ち位置は、わずかな期間で直人が受けた印象では、それこそ『排斥』に近いものに感じられた。なにせ、危険な役割なのに、交代要員の気配すらなく、ロイが一人でやっているように見えたし、実際一人でやっているようだったからだ。
「魔物を引き付ける囮役を望んだのは息子の意思なのです」
と、ウィルマが悲しそうに言う。
「どういう事ですか?」
直人が尋ねると、ウィルマは耐えられないといった様子でラースを見て目を伏せたので、代わりに村長が答えた。
「あいつには幼馴染の妻と二人の子が居たのですが、三人とも魔物に殺されました。それ以来、子を持たない人間が子を持つ村民に守られるのはおかしいと言って――」
言葉を切って拳を握るラースの様子に、直人は「もう十分です」と話の中断を告げた。
「辛い事を思い出させてしまって申し訳ありませんでした」
直人の謝罪に村長は首を横に振る。
「もう昔の話です。ただ、それでも、我々がついぞ望んでも成しえなかった魔物の討伐をしてくださったナオト殿にはできる限りのお礼を受け取って頂きたいのです」
なるほど、意図せず村長たちの敵討ちを成し遂げていたという事らしい。
直人はベッドの上に放置されている革袋を手に取った。
「わかりました。正直な所、自分の事もろくに思い出せず、生活をするにも、旅をするにも資金は必要だったし、これはありがたく頂戴します」
ほっとした様子の村長と夫人。
しかし、その直後、直人はベッドの上に袋の中身をぶちまけ、そのうち四分の三を村長と夫人の方に押しやり、残りの四分の一を袋に仕舞いながら言った。
「この金で旅に必要な装備と食料、情報、技術の提供をお願いします。革袋は頂きますね」
目を丸くしている村長夫妻を尻目に、直人は思い出したようにレギンレイヴが編みかけの縫物とかぎ針や毛糸をつっこんだバスケットを持ち上げて言った。
「ああ、あとこの道具と、イヴに編み物の終わらせ方を教えるのもよろしく」
直人は旅立ちの日をレニース村に巡回訪問団が訪れる半月後に定めた。
件の一件からより待遇が良くなった村長夫妻の家に滞在させてもらいつつ、旅立ちの準備を進める。
セラーの存在を表向きには隠す事に決めたため、村の奥様衆に作ってもらった引っ越し用の大き目のリュックサック二つと、探索用に体の動きを制限しない小さ目のリュックサック二つに入る量を上限に、旅に必要な物資を集める事にした。
まずは衣類だ。
準備したのは肌着、靴下、Tシャツ、ワイシャツ、革ベスト、ブランケット、マントだ。
肌着は綿のTシャツとパンツを数枚、靴下は室内用の毛糸製のもの。薄くて強度のある布は魔法の力を借りなければならないらしく、基本は裸足に革のサンダルだそうだ。
袖付きのワイシャツは袖が袖口に向かって広がってゆったりとしており、袖口の紐を結べば暖かく、解いてまくれば通気性が良いため、暑い日にも対応できるらしい。
上着として革のベスト。それなりに厚みがあるので、獣の爪や、短い刃物の斬撃くらいなら身を守ってくれるだろう、との事だ。
そして、ブランケット。季節としては暖かくなっていく時期らしいが、巡回訪問団に同行する場合、馬車の荷台での旅となるらしく、朝夕の冷え込みに対応するため、長毛羊の毛をフェルト状に加工してできたブランケットは重要らしい。このブランケットには簡素なフードと前で合わせて固定できるように獣の牙のボタンが付いていて、羽織る事もできるようになっている。水にも強いため、簡易的な雨具の代わりにもなるそうだ。水にぬれればもちろん縮むが、その程度の歪みを気にするような繊細なおしゃれ着ではない、実用重視の作業着である。
マントは防寒というより、日差しを避ける事や砂埃を避ける事を優先し、通気性が良く耐久性重視の麻でできたマントで、前述のブランケットはこのマントの裏にボタンで留める事ができ、ある程度寒さにも対応できるらしい。
ひっくり返してブランケットの側を外側にすれば雨具としても使えるというから旅の荷物も増えなくてありがたい。
さて、直人とレギンレイヴで用意した衣類には一つだけ違いがあった。
つまり、女性であるレギンレイヴは直人と同じ衣服に加え、胸を固定するための肌着を用意しなければならかったという事だ。
胸用の肌着については、胸を適切に固定する方法についてレギンレイヴと村の女性衆との間で議論があり、優しく包み込むように支えるべきだと主張した村の女性衆に対し、戦闘による激しい動きの邪魔になるからガッチリ押し付けて固定すべきと主張するレギンレイヴとで意見が分かれた。
結局、戦闘用のさらしと、室内でリラックスする時のための二本のリボンで固定する、正しくブラジャーのような下着の二種類を用意する事で合意に至ったが、もちろん直人は知る由もない。
そうして直人が用意された衣類を衣類袋に詰めていると、レギンレイヴが村の女性衆からもらったという巾着袋を二つ持ってきて、一つを直人に手渡した。
紐を解いて中を覗き込むと、丸められた包帯と思われる細長い布が3つと、楕円形の分厚い布が十枚ほど詰め込まれていた。包帯はともかく、楕円形の布に違和感を感じた直人は、そのうちの一枚を取り出してみた。
縫い合わされた二枚の布の間に薄く綿のようなものが入っているらしく、少し厚みと弾力がある。
「これは?」
直人は楕円形の布をレギンレイヴに掲げて見せて尋ねる。
「止血用の当て布だそうです。中綿にミズゴケを乾燥させたものを使っているらしく、よく水を吸収するそうです。洗って繰り返し使えるとか」
「……ああ、なるほどね」
直人は当て布を小袋にしまい直し、小袋を小さいリュックに仕舞った。
次に薬品類だが、これは村長の紹介で村の『薬草師』と相談して携行する薬品を決める事となり、その結果、旅に持っていく薬を『傷薬』、『腹痛薬』、『便秘薬』、『石鹸』とする事にした。
というか、旅に必要そうな薬のうち、持ち運びに配慮された薬がそれくらいしかなかったのだ。
ちなみに薬草師というのは薬草の取り扱いに長じた者に領主から与えられる公的な職業で、同じく領主に定められた薬品に関する職業としては、薬草師の上級職である『薬師』と、前述の二職業とは独立した存在の『魔法薬師』とがあるのだそうだ。ざっくりとした区分だが、原料となる植物の『採集』と『調理』と『調合』を修めた者が薬草師で、薬草師の技能に加え『抽出』、『分離』、『合成』など成分の操作を修めた者が薬師となる。『魔法薬師』はそもそも恩寵を前提にしているため、薬品の取り扱い云々というよりは『薬品状の回復魔法』の使い手を魔法薬師と認定している、といった位置づけらしい。
薬草師と薬師の資格試験が知識と経験を要求する難関資格であるのに比べ、魔法薬師は『恩寵の力による薬効を第三者が持ち運べる』点を満たしさえすれば、それが毒でも薬でも資格が与えられるそうだ。第三者が持ち運べない場合は単純に『攻撃術師』か『回復術師』という事になるらしい。
直人が異世界と聞いて最初に思い浮かべた、傷がみるみる消えていくタイプの回復薬も存在はするようだが、そもそも恩寵持ちが少ないので、魔物討伐でアホみたいに金を稼いでいる有名な戦士や、豪商、王族や貴族でないと手が出ないような価格らしい。貨幣で買う事を考えるくらいなら、自分で恩寵を獲得する方が楽だと言われるほどだとか。
英雄を目指す以上、危険な戦いに身を投じなければならないだろうから、致命的な怪我や病を負う前に魔法薬を調達できるようになるのも目標の一つとなりそうだ。
調理器具は、村の鍛冶職人が煮込みもできる小ぶりな深めのフライパンと、二股フォークとスプーンを二セット作ってくれた。食材を切断するための小ぶりな包丁一本は村で余っていたものを。これらと、木工職人がザリツの木で作ってくれた深めの木皿を二つ。木工職人の工房に落ちていたザリツの木の端材で直人が自作した箸を四セット。
そこらの石で即席のかまどを作る方法はロイに教わった。慣れれば簡単だと言われても時間はかかるし、そもそも道中で常にかまどを作るのに十分な石が確保できるかどうかはわからなかったので、完成したかまどの片付けを引き受けたフリをしてロイが見ていないうちにかまどごとセラーに放り込んだ。
武器は制作に時間がかかるという事で、村にある数少ない武器の中から選ぶ事になった。
村長の指示で村民が提供できる武器を集める事となり、村長の奥さんウィルマが日干しを兼ねて庭に敷いた絨毯に、村民が持ち寄った武器を並べる。
さながらフリーマーケットといった様子である。
「村の人は使わないんですか?」
村中から持ち寄られた武器を前に直人は村長に尋ねる。
「魔物が増える前は、巡回訪問団も組織されておらず、村人だけで村の生産品を大きな街に運んでいましたから、盗賊や狼に襲われた時に自衛できる程度の武器は必要だったのですが、魔物が増えてからはめっきり使う事も減りましたな」
「盗賊も魔物に襲われるからですか?」
直人が尋ねると村長は頷いた。
「ええ、居なくなったわけではないらしいですが、危険を冒してまでこんな辺鄙な村に来るのは割に合わないのでしょうな」
「狼とか野生で危険な動物も魔物に襲われるんですか?絶滅したりは?」
すると村長は首を横に振った。
「いえ、魔物が襲うのは知恵を持つものだけです。狼を狩る人が減った事で数は増えているようですが、武装した巡回訪問団には近づいてきませんし、村も魔物対策で囲いを作りましたから家畜が襲われる事も稀です」
「後はその魔物を相手にする時くらい――といっても難しいのか」
村長も頷く。
「ええ、領主様配下の訓練を受けた兵士でも難しいわけですから、武器を持っていても自力で有効打を与えられる者は居らんでしょうな」
直人自身も独力だけで短刀の一撃を与える事はできなかったので、納得するしかなかった。
それなら遠慮なく、とばかりに村長宅の庭に集められた村の武器を物色する。
と言ってもそれほどバリエーションがあるわけではない。
片手剣が二本、両手剣が一本、槍が一本、武器というより狩猟用と思われる弓が四挺、そして動物の解体用、料理用、装飾用の大小さまざまなナイフ、包丁、短剣。
最終的に、直人は村長の家の壁の暖炉の火かき棒になっていた刺突短剣・スティレットを、レギンレイヴは例の棒と、柄と刃渡りが同じくらいの小ぶりなナイフを選んだ。
「槍も片手剣もあるけどナイフなの?」
「ええ、この体では力が無さ過ぎて金属武器の重さを振り回して魔物の速度に対応するのはちょっと厳しいので――」
「ああ、なるほど。でも一応貰っておこうか。将来的には使えるかもしれないし、村を離れたらセラーにしまえばいいよ。というか、俺が槍使ってみたい。あと弓も」
「そういう事であれば、お任せします」
食料品は、基本は豚の干し肉とただでさえ堅い黒パンをこれでもかと圧縮したような固形物がメイン。同じくらい堅いチーズの塊。そして、羊の胃袋で作られた水筒を四つ。メロン大の麻袋を一つ。液中に角切りの野菜が詰まった保存瓶を二瓶。
水筒の中身は三つが空で、文字通り水をいれるためのもの。
残りの一つには白い半固形物が詰まっていてずっしりと重かった。
麻袋の中身は一口大に切って乾燥させた各種の野菜が詰まっていた。
水筒に詰まっている白い半固形物のものはこの村では『ピスク』と呼ばれている保存食らしく、旅の中で『栄養』を取るのに必要だという。
作り方は、できるだけ細かく刻んだ干し肉を、鍋で熱して溶かした多めのシカや豚の脂に投入し水分を飛ばすように混ぜて冷やしていく。冷まして固まりかけた所にやはり細かく刻んだナッツや乾燥させた野菜や果実、そして蒸留酒を練り込み、そのまま羊の胃袋で作った水筒に詰めて半年ほど寝かせたものなのだそうだ。村長夫人のウィルマ曰く、五年経ったものでもお腹を壊さなかったとの事。
麻袋の乾燥野菜は一人あたり二摘みを鍋に投入し、干し肉と煮込めば簡単にスープができるらしい。
野菜の漬物の瓶詰は野菜スープを作るのに使う野菜を一口大に切って瓶に詰め、塩水を張って冷暗所に放置したもの、という事なので、乳酸発酵を利用した漬物だと思われる。
栄養についてはとりあえず問題なさそうだが、味はお察しだ。
そのうち、新鮮な肉と野菜をセラーに大量に保存して、いつも美味しい食事ができるように頑張ろうと直人は心に決めた。
あとは細々とした道具類だが、火打石と細かい毛が生えた樹皮を乾燥させ束ねたもの、裁縫道具、縫い針と毛糸、十メートルほどの麻縄、松脂。
といった所だろうか。
それ以外にも村のジジババがあれやこれやと持っていけとばかりに様々なものを持ってくるので、途中からリュックに詰めるフリをして片っ端からセラーに放り込んだ。
「おい、ナオト。ちょっと来てくれるか」
旅支度を進めていたある日、村長宅に訪れたロイに呼び出され、直人とレギンレイヴの二人がロイの家に向かうと、最初の夜に直人とレギンレイヴが寝た小屋の中にあった机が庭に運び出されており、その上に見覚えのある動物の死骸が乗っていた。
間違いない、魔物の死骸だ。
いや、それより気になるのは、魔物を倒してから今日で一週間弱だという事だ。気候的にはまだ涼しいとは言え、腐敗臭くらいしてもよさそうなものだが、乾燥してきているのか血の匂いすらほとんどしない。
「腐らないんですか?」
「捕食した獲物の肉が残っている内臓は腐るが、魔物自体の肉はまず腐らない、虫も湧かない。ちなみに腫瘍部分が死んでいれば、肉は腐らないから、どれだけ時間がたっていても食える――と、言われている」
「食った人居るんですか?」
驚いて尋ねる直人の問いにロイは頷く。
「とはいえ、生きた腫瘍部分を体内に取り込むと魔物化すると言われているような肉を食うヤツなんてよほどの物好きくらいのものだがな。とりあえず他に食うものが無くなったら、嫌というほど火を通せ」
セラーがあるので、金欠以外でそういう事態にはならないだろうが、食料は常に十分な量を備蓄しよう、と直人は心に誓った。
「お前を呼んだのは、こいつの解体の仕方を教えておこうと思ってな」
とロイ。
ありがたい話だが、元現代っ子の直人としては、できれば遠慮したい作業だ。
「燃やしちゃ駄目ですかね?」
ダメ元で尋ねる。
「金が要らないならそれでも構わんが――」
ロイはそう言って肩をすくめる。
「ああ、やっぱりそういう事ですよね」
魔物を討伐すると報奨金が得られるという事だったが、どうやって討伐したと証明するかという点がずっと引っかかっていた。
もちろん解体という答えも予想していなかったわけではないのだが、元現代っ子の直人としては、倒した瞬間、ジュワっと蒸発して魔石やらアイテムやらをドロップしてほしかった、というのが本心だ。しかし、そう都合よくいかない事もまた覚悟していた事だ。
生きるためにやるしかない。
覚悟を決めた直人の肩に力の入るのを見てロイがふふっと笑う。
「安心しろ。そんなに難しい事はない。やらなきゃいけないのは、皮の剥ぎ方と内臓の取り除き方、そして魔晶の取り出し方だけだ」
「マショウ?」
「魔物の腫瘍の中にできる赤い結晶の事だ。強力な魔物ほど大きな魔晶を持っていると言われている。もちろん大きなものほど価値がある」
「何かに使えるの?」
直人が尋ねると、ロイは肩をすくめた。
「色々使い道はあるそうだが庶民には使い道のない石だからな。高額で換金できる事だけ知っていれば十分だ。第一、噂話もあって、どこまで本当かわからん」
「例えば?」
「これを用いた魔法で町一つ消えたとか、これで描いた魔法陣で死者を蘇生できたとか、賢者の石の材料になるとか、神様との取引で通貨の代わりになるとか」
「眉唾ですね」
「だろう?」
「ちなみに、解体した後の魔物はどうするんですか?」
「換金できる街に行くまで荷物の底にしまっておけ。皮は防具の素材として鞣す必要があるし、骨は丁寧に肉を剥がす必要がある。どちらも植物から作った薬液が必要だから、解体屋になりたいんじゃないなら自前でやるのは諦めろ。第一、巡回訪問団が来るまでに終わらん」
頷く直人。
「皮を剥いで、内臓を取り除いたら、残りは大きな街には魔物を買い取ってくれる店がいくつかあるそうだからそこへ持っていけ」
「どんな店なんですか?」
「俺も詳しくは知らんが、武器防具を取り扱う店、商人組合なんかに持って行けば教えてくれるだろ。魔物の素材を必要としているのはそういう店だからな」
「なるほど」
「おしゃべりはここまでだ、さっさと終わらせるぞ」
魔晶を取り出し、皮を剥ぎ、内臓を出す、と言っても別段難しい事はない。
魔晶は腫瘍の中にあるので、腫瘍を抉り取って真っ二つに割れば取り出せる。直人が恐る恐る腫瘍を魔物の頭部からえぐるように切り取り、更にそれを真っ二つに割る。ゼリー状になった血で満たされた腫瘍の中心にやはり真っ二つになった赤黒い塊があった。腫瘍を割った時に切った手ごたえは無かったので、魔物にトドメを刺した時に魔晶ごと自分が刺して割ってしまったのだろう。
幸いにも魔晶の買取りは重量換算らしいので安心だ。
魔晶は血を固めたようなどす黒い赤色の塊で、爪で押すと凹むくらいには柔らかさも併せ持っている。触れた感触から水に溶けてしまうように思われたが、ロイがじゃぶじゃぶと水を張った桶に突っ込んで洗っていたので、水に溶けるというわけでもないらしい。
「血の塊みたい」
「実際、血でできているらしいぞ」
「そうなんですか?」
「解体していけばわかる」
ロイの言葉の意味が分からなかったが、これから解体するのだから百聞は一見に如かず、というやつだ。
皮の剥ぎ方は基本的にはどの動物も一緒だ。
できるだけ皮が大きく、左右対称になるように腹側に切り込みをいれる。哺乳類は腹側に乳房があるので、均一な革を手に入れようと思ったら、必然的に腹開きになるそうだが、爬虫類は腹側の模様が綺麗なものは背開きにしたり、脇腹から割って腹と背に分ける事もあるらしい。
だが、狩りで得られる動物は大半が哺乳類なので、基本は腹開きの解体の仕方を覚えておけばよいらしい。
手順としては、最初に手首、足首に沿って切れ込みを一周入れる。
次に、下腹部からナイフを入れて下あごまで、刃を天に返し肉や内臓を傷つけないように、表皮だけを内側から外側に向かって切り開いていく。切り開いた首元から、同じ要領で左右の手首の切り込みに向かって切り開く。同様に下腹部のナイフを入れた所から左右の足首に向かって切り開く。
あとは肉から皮を取り外していけば良いが、ウサギの場合は足側を押さえるなり、つるすなりして固定し、切り開いた皮を引きはがせば、頭部を含めてズルリと脱がす事ができるのだそうだ。大型獣の場合は筋肉と皮の間にナイフを入れて、少しずつ切り離していく。この時、ナイフで皮を傷つけないように注意を払う。
ロイに習いながらなんとか皮を剥ぎ終わった直人は次に内臓の抜き取り方を教わる。
「ナイフをいれる場所は皮を剥ぐ時と一緒だ。ただし、両手足には内臓が無いから必要ない。下腹部から下あごまでだ」
言われた通り、恐る恐る腹を開く。つやを失った青黒い内臓が露出する。
「内臓が露出したら手を突っ込んで柔らかい部分をすくい上げるようにまるごと引っこ抜け」
「え?なんて?」
駄目元でもう一度確認する。
「動物の内臓は手の力で簡単に取り外せるようになってるから、手を突っ込んで引っこ抜け」
狩った直後の動物の内臓はきっと温くて柔らかくてもっとキツいだろう。干物になりかけているだけまだマシだと、直人は覚悟を決めて内臓を胴から取り外す。
おっかなびっくりな手つきの直人を見てロイがため息をつく。
「お前はどんな箱入りのお坊ちゃまだったんだ?動物の解体くらい子供でもできるぞ」
「記憶無いから、やった事あっても実質初めてなんだから仕方ないじゃないですか」
吐き気に似た動悸を気力でねじ伏せながら、直人が答える。
ロイは肩をすくめる。
「内臓さえ抜いちまえばとりあえず終わりだ。あとは川で内臓を抜いた魔物の体を洗って、乾燥させる。少しくらい生乾きでも腐らないから心配するな。ある程度乾燥したら荷物の底に入れておけ。魔物の素材を持っていると知られると色々厄介だからな。今回はウチの納屋につるしておく。出る前に取りに来い」
「了解」
「ところで、魔晶が血からできてると言われている理由はわかったか?」
「あっ」
初めての解体作業があまりにも強烈だったため、すっかり忘れていた。
「内臓やまな板を見てみろ」
改めて魔物の解体をした机の上を観察する。
すると、不思議な事に直人が腫瘍を割った場所以外には一滴も血が付いていない。ロイ曰く、血抜きもしていないらしい。
「魔物化すると、魔素ってのが血を押し出して血管を通るんだそうだ。で、魔素に押し出された血は腫瘍に溜まって魔晶になる」
確かに、直人が魔物を倒した後、体から黒い煙のようなものが噴出したが、あれが魔素だったのだろうか。
「こんなところだな。後はやっておくからお前は川で手を洗って荷造りに戻れ」
解体作業はキツかったが、色々と収穫のある講義だった。
そうして、一通り荷造りを終えた所で、レギンレイヴが直人に声をかける。
「こんなものを作ってもらったのですが――」
そう言って、レギンレイヴが直人に手渡したのは、親指の先から人差し指の先くらいの長さの先端の尖った鉄の棒だった。
首をかしげる直人。
しかし、すぐにレギンレイヴの意図に気づいて思わず笑みをこぼす。
「……あっ、ああ、なるほど。ありがとう。これは良いね」
直人が喜ぶ様子を見てレギンレイヴもニッコリとほほ笑む。
「喜んで頂けて良かったです」
続けてレギンレイヴは直人に質問した。
「ところで、魔物を倒した時に聞きそびれてしまったのですが」
「ああ、あの斜めに飛ばした石?」
話の流れからレギンレイヴの質問を察した直人が尋ね返す。
レギンレイヴが頷く。
「よく気付いたね。確かにあれは俺じゃないわ」
「やはりそうですか」
「試してる時間無かったし、ぶっつけで水平方向に石を飛ばすのは怖かったからね」
というのも、直人のセラーを使った岩つぶては静止状態か、上から下に叩きつけるかの二種類しかない。
静止状態の岩はそのまま岩をセラーに格納しただけのものだ。自分と魔物の間に取り出せば攻撃を防ぐ盾になるし、塀の手前に取り出せば足場として塀を越えるのに役立った。
一方、叩きつける岩は、持ち上げた岩を渾身の力で地面に叩きつけ、地面に衝突する直前でセラーに格納したものだ。自分がどんな体制でも、取り出した場所の真下にあるものを自分の渾身の力で叩きつけた岩で押しつぶせる、というわけだ。
実はこのプランを思いついた時、最初にやろうとしたのは正面にぶん投げた岩をセラーに格納して使うというアイデアだった。つまり、魔物に近づかなくても、自分の正面方向に岩を発射できれば便利なのではないか?――というごく自然の発想である。
しかし、直人はすぐにある懸念に囚われ、正面に岩を飛ばすプランを断念せざるを得なくなってしまった。
その懸念とは、『正面とは常に自分の正面の事なのか?』という事だ。
つまり、自分の正面にぶん投げた岩をセラーに格納。180度振り返って自分の正面に先ほど格納した岩を取りだしたら、岩は自分に向かって飛んでくるのではないか?という事だ。
ただでさえ手強い魔物の相手をしながら、自分の投げた岩を食らうのは良いアイデアとは思えなかった。
そしてここ数日、荷造りをしている合間にセラーに保存される力のベクトルを調査した結果、懸念は現実であった事が判明したのだった。
要するに、北に投げた岩は取り出した時も北に飛ぶのである。
というわけで、先の戦いにおいては真下に叩きつける岩しか使えなかったというわけだ。真下ならどちらを向いているかを意識しなくても、常に真下に発射されるからだ。
しかし、だからこそ、最後に魔物を地面に叩きつけたあの岩の動きはありえないのである。
確かにあの時の自分は慌てていくつかの岩を召喚してしまったが、どんなに自分がテンパってても斜めに飛ぶはずがないのだ。
斜めに飛んではいけない事を知らない誰かがドサクサに紛れて岩に力を加えたとしか考えられないわけだ。
直人はリュックの口を縛ると、立ち上がり、レギンレイヴを見た。
「実は道具の準備をしながら村の人から色々話を聞けたから、ちょっと森まで付き合ってくれる?」