第03話「初陣」
それは夜も明けきらない明け方の事だった。
夢とも覚醒間際の微睡み(まどろみ)とも気付かぬまま、直人は暗い森の中からあの草原を眺めていた。
ああ、やはりあの森はあったのだ。
だが、どうやったらあそこに行けるのかわからない。
――と、ルグルの聞き覚えのある切羽詰まったような吠える声が聞こえたので、声の方に視線を送ると、暗い森の中で何かローブを羽織った小さな影が動いているのが見える。
ローブ姿の小さい何かは、暗い森の木々の根本に何かを設置しているように見える。
「なるほど、ああやってたのか」
何も分かっていないのに、直人は妙に納得して、ロイがそうしたようにめちゃくちゃに警戒しているルグルを制する。
「大丈夫、敵じゃない。落ち着け」
しかし、ルグルはいう事を聞く気配が無い。困り果ててルグルの吠える先にもう一度視線を送ってみるが、あのローブを羽織った小さな影は無い。
あの子に吠えてるんじゃないのか?
「何か居るのかな?」
「あまり良い予感はしませんね」
と、胸元から返事が返ってきたので、寝ぼけ眼で覗き込むと、直人にがっちりホールドされたレギンレイヴが直人を見上げていた。
直人はレギンレイヴの柔らかい髪の毛を引っ張らないように、そろそろと腕を離した。
「スマン」
レギンレイヴはニッコリ微笑んだ。
「いえ、暖かかったですよ。でもイチャイチャしている場合でもなさそうなので、切り替えていきましょう」
情緒もへったくれもない。
まだ薄暗い小屋の中を引っ掻き回し、直人は壁にぶら下げられていたいくつかのナイフの中から一番刃渡りの長い短刀を手に取った。長いと言ってもせいぜい自分の肘から手首くらいだから30センチ弱といった所か。
刃は切っ先に向かって反っていて、柄に血が付いている所を見ると、動物の解体にでも使っているのだろうか。
レギンレイヴには自分の見つけた短刀を渡そうとしたが、彼女はそれを断って一番頑丈で長い柄を持つレーキのような農具を手に取り、直人が何か感想を述べる間もなく、それをくるりと一回転させ、その勢いに足蹴りを合わせて、先端の熊手のような金具を無理やり蹴り外した。
一番攻撃力の高そうな部分を取り外してしまったわけだが、レギンレイヴの事だ、そうする事が必要なのだろうと、直人は自分を納得させる。
と、どこかから鐘をかき鳴らす音が聞こえて、少し間をおいて険しい表情のロイが飛び込んできた。
ロイの言葉は概ね予想した通りだった。
「魔物が出たらしい。よそ者のお前らができる事は無い。ここに隠れていろ」
それだけ言うと、ロイは扉を乱暴に閉めて飛び出していった。
「出会ったばかりのよそ者を追い出して囮にすりゃいいのにな?」
直人がそう言ってレギンレイヴを見ると、レギンレイヴは困った笑顔で肩をすくめた。
「ですが、直人が助けるのでしょう?」
「ああ。目指すは英雄だから逃げるわけにもいかねえし、ロイさんに恩を返してこの村の人たちの信用を得るチャンスでもあるからな」
そう言って直人は右手に持った短刀を見た。
自分の決意に偽りはない。気を抜くと膝がガクガクしそうだが、この決意は揺らがない。それが少し、誇らしい。
しかし、決め手に欠けるのは誤魔化しようのない事実だ。
自分を騙したところで結果は変わらない。確率や運に頼って勝ちを得ようとするのは勝利を目指す正しい姿勢ではない。
素人が獰猛な獣、ましてやその何倍も危険だという魔物に短刀一本で勝てるなんて理屈は存在しない。
直人はレギンレイヴを見た。
「少し時間を稼いでほしい。勝つための武器を増やしたい」
「お任せください」
そう告げると、レギンレイヴは何も聞かずに小屋を飛び出していった。
先に出て行ったレギンレイヴを追って直人も小屋を出ると、セラーにある石を全て小屋の前の地面に取り出し、そのうち一つを取り上げた。
「さて、急がなきゃ」
先に小屋を出たレギンレイヴは、明け方の薄明かりの中、最初に視界に入った女性に向かって駆け寄りつつ、大声で叫んだ。
「魔物はどこか!」
暗闇から現れた見知らぬレギンレイヴが現れた事に動揺していたようだが、女性は南の森の方向を指さした。
レギンレイヴは昨晩くぐった門へ向かって走る。
門の前にはいくつかのたいまつの炎が動いており、近づくにつれ、それが予測通り村人である事がわかった。
レギンレイヴは速力を落とさず、まだ距離のあるうちに叫ぶ。
「門を開けろ!出る!」
門の前の村人たちも、見知らぬレギンレイヴの声に驚いたようであったが、一番レギンレイヴに近い一人が両手を広げて立ちふさがるようにして叫び返した。
「今開けるのは危険だ!ロイに誰も通すなと言われている!」
それを聞いたレギンレイヴは、速力を落とさないように塀から距離を取ると、そのまま左に旋回し、塀に向かって一気に加速、塀の手前で手に持った棒を地面に突き、棒高跳びの要領で自分の体を高く、宙に持ち上げた。
レギンレイヴは器用に塀の上のわずかな足場に着地すると、ロイの家の方向に振り返り、大声で叫んだ。
「南の森!門は封鎖!壁を越えろ!」
レギンレイヴは南の森の方に視線を移し、一粒の炎が右に左に、何かの追撃をかわすように丘を登っていくのを見つけた。
ロイだ。
レギンレイヴは塀を蹴ってその炎に向かって一直線に駆け出した。
ロイに近づくと、ロイを襲っている何かの姿もまた明らかになった。
それは恐らくウサギだった獣の成れの果て。
異常に筋肉が発達した四肢、体もボウリングの球のように筋肉で膨張しており、その力はあまりの強さに制御ができていない様子で、後ろ足が地面を蹴るたびに深く土がえぐれるほどだ。そして、唯一、元の姿の名残である長い耳は左側しか無く、顔の右半分を覆っている赤黒い腫瘍が右側の耳を呑み込んでしまったらしかった。
幸いにもウサギの魔物の攻撃パターンは単調であった。
元獣であった名残だろうか、ロイの右手にあるたいまつの炎を一応警戒しているらしく、突進したと見せかけてロイの手前でフェイントをかけるように方向転換し、ロイが体制を崩したのを見計らって左手側から体当たりを試みている。
ロイもそれを理解しているらしく、たいまつを駆使してうまく直撃を避けつつ、一心に村から離れよう離れようとはしているが、既に足元はふらついており、洋服の左袖が肩から黒く染まり、その中にある左腕はただ力なく体にぶら下がっているだけ、といった様子だ。
レギンレイヴは手に持った棒で道のそばの木や岩を叩き、魔物の注意を引く。
そうして足を止めてこちらを向いた魔物の顔面に、棒で弾いて飛ばした小石を合わせて怯ませる、残りの距離を一息に詰めて、届かない事を承知で手に持った棒で魔物の手前の空間を突いた。
レギンレイヴの攻撃はかすりもしなかったが、突然現れた敵に警戒した魔物が後退してくれた事で、レギンレイヴはロイの元に到着する時間を稼ぎきる事に成功した。
レギンレイヴはロイの襟首をつかみ、無理やり道の右脇に生える木の方へ押しやると、魔物の鼻先に棒の切っ先を向け、こちらに飛び掛かってこようとする動作そのものを牽制した。
「なぜ来た!」
批難がましくロイは叫んだが、既に目の前の敵に集中しているレギンレイヴは魔物の方を向いたまま答えない。
レギンレイヴは棒で何回か牽制のためのコンパクトな突きを繰り返しながら、魔物の注意をロイから自分に引き付けた。
魔物は、新たに目の前に現れたレギンレイヴの間合いの外で、右に左に、素早い動きで彼女の死角に潜り込もうとするのだが、彼女の無駄のないステップと、流れるような棒捌きにより、棒の切っ先が常に鼻先に向けられていたため、攻めあぐねているようだった。
レギンレイヴとしては、このまま直人が来るまでにらめっこを続けていても良かったのだが、そう簡単に扱えるほど魔物は甘い存在ではなかった。
魔物は大きく後ろに飛びのいて距離を取ると、後ろ足で地面を二度三度蹴り、一直線に突進攻撃を仕掛けてきた。避けられないなら棒ごと壊してしまおうという目論見らしい。
しかし、レギンレイヴとしても、力ずくの攻撃を想定していないわけはなかったので、これ幸いとばかりに、回避のステップに繋げて横から魔物の体の芯を狙う。
地面を踏みしめ、膝を伸ばし、腰を入れ、上半身をひねり、肩を入れ、腕を突き出し、棒を掴んだ手でそれらの力を漏れなく棒の切っ先に重ね、更にはひねりまで加えて魔物を突く。
魔物の突進による直線運動はレギンレイヴの一撃によって曲げられ、盛大に地面に転がったが、それでも魔物はダメージを受けた気配がなかった。
さすがのレギンレイヴも渾身の一撃が不発であった事には驚いたが、そこは彼女の事、主目的は抜かりなく達成していた。
つまり、この攻撃の主目的は魔物にダメージを与える事ではなく、魔物を知る事にあった。
棒を通じて感じられる魔物の感触は、『生物』を逸脱してはいない。しかし体躯の芯にある強靭で柔軟な骨と密度の高い筋肉に覆われた体は弾力があり重い。それが高速でぶつかってくれば、例え身構えていても、肉を潰され骨を折るくらいの覚悟はしておかなければならないだろう。
そうやって、体当たりで消耗させ、こちらの動きが鈍れば、口元に見えるウサギにはあり得ない形状の黒く鋭い牙を用いてトドメを刺しに来るのだろう。
だが、これまでのところ、魔物の攻撃パターンは単調だ。この程度であれば、とりあえずレギンレイヴが牙の対処をしなければならない事態に陥る可能性は低そうだった。
レギンレイヴは得られた情報に満足すると、今度は芯を外して魔物の突進をいなしはじめた。突進を回避し、魔物の腰や肩を突いて直線運動に回転を加えてやる。
そうする事で魔物はバランスを崩して地面に激突する。
すぐに起き上がって、また単調な攻撃を繰り返してくるとはいえ、転がっている時間が長くなる分だけ体力を温存できるというわけだ。
さて、ここまでの魔物とのやり取りから受ける行動の印象は、『機械じみている』という事だった。
インプットされた動作に基づいて行動しているという感じだ。
現に、今も魔物は何の工夫も無く、レギンレイヴの周囲で右に左に、以下略だ。
そうして、何度目かわからない突進を、先にそうしたのと同じように、一ミリのずれも無く棒で突く。
魔物はやはりこれまでのように地面に転がったが、その時だけはこれまでとは違っていた。足元の草に滑って2回転ほど余分に地面を転がったのだ。
するとどうだ、魔物は起き上がるなり、レギンレイヴから離れる方向に凄まじい勢いで走り出した。
「しまった!」
僅かに自分よりロイの方に近づいただけで、魔物は襲う相手を切り替えたのだ。
しかし、それに気づいた時にはあまりにも遅かった。
単純な脚力で15歳の少女が魔物の脚力にかなうはずもない。
魔物はあっという間にロイに向かって駆け出すと、その黒く鋭い牙で、道端の木に背中を預けていたロイに襲い掛かった。
と、魔物の黒い牙がロイに届きそうになったまさにその瞬間、ロイの背後にあった木の後ろから手が伸びて、魔物めがけて短刀の一撃が降り下ろされた。
短刀は魔物の牙にぶつかり、甲高い金属音と共に魔物の一撃を地面にたたき伏せる。
ロイが振り返ると、そこには肩で息をする直人の姿があった。
「っぶねえ、今の良く当たったな。運使い果たしただろこれ」
自分でも信じられないという様子でそう言って、直人はロイの前に立ちはだかると、手に持った短刀を魔物に向けて構える。
と、何気なく見た刃に先ほど魔物の牙をはじき返した時についたと思われる刃こぼれがあるのに気づいて直人は驚愕した。
「なんで、こっちがこぼれてんの?」
体制を立て直した魔物が即座に直人に向かって一撃を加えようと、喉元めがけて突進攻撃を仕掛けてくる。
残念ながら後ろにいるロイを守りつつ、この攻撃をどうにかする技量は今の自分にはない。そんな事は明白だ。
だが、何とかしないと自分が死ぬ。直人は覚悟を決めると、腰を落とし、正面に突き出した短刀の峰を左腕で支えるようにして十字を組んだ。
そのまま、魔物の突進攻撃を十字で下からすくいあげるように受け止め、そのまま上体を起こす力で左後方へ魔物をぶん投げた。
自分にしては上々の結果であったが、短刀の刃を体で受け止めた魔物側に目立ったダメージは無く、かたや防御したはずの直人の左腕は、たったあの一瞬の衝突にも関わらず、魔物の爪による裂傷で血まみれになってしまった。わかっていた事ではあるが、魔物は理不尽な存在である。
直人に弾かれた魔物は地面に着地するなり踵を返して直人に飛び掛かるが、今度は駆け付けたレギンレイヴによる棒の一閃がそれを阻む。
レギンレイヴの攻撃を受けて地面に転がった所を、ケガにもめげずに狙いすました直人の一撃が追撃したが、魔物は素早く横に飛んでこれを回避した。
「直人、私が抑えている間に左腕の傷口にハンカチを巻いてください」
レギンレイヴがその正確無比な棒術で魔物を牽制している間に、直人は言われた通り斬り裂かれた腕の傷にハンカチを巻きつけ、ハンカチの片端を噛んで固定し、もう片端を右手で引っ張って結びつけた。
その様子を見守りながら、ロイが力なく悪態をつく。
「若造どもが英雄気取りか」
直人は笑って頷いた。
「気取りじゃなくて。英雄になろうと思ってさ」
「馬鹿者め」
「ひでぇなぁ」
直人は苦笑してそう言うと、神業の棒さばきで魔物の攻撃をいなし、反らし、まるで舞っているかのようなレギンレイヴの方を向き、彼女に声をかけた。
「レギンレイヴ!俺の短刀の攻撃を当てたい!」
レギンレイヴは流れるような棒の一突きを魔物にお見舞いしつつ答える。
「直人の目の前に着地せざるを得ない状況を作ります。準備ができたら合図をください」
そう言ってレギンレイヴが魔物を転がす作業に戻ったのを確認して、直人はロイを見て言った。
「急いで村に戻って治療してください」
「馬鹿を言うな、お前らだけに任せておけるわけが――」
直人は言いかけたロイの胸倉をつかんで立ち上がらせると、凄むように告げた。
「魔物があんたを狙う事で、せっかく合わせたタイミングがずれれば勝てる可能性が消える。邪魔だから離れろ」
ロイは直人の突然の豹変に圧倒され黙り込む。
直人は胸倉をつかんだ手でそのままロイを村の方へ突き飛ばした。
ロイは言われた通り、村に向かって歩き出したが、不意に振り返って直人に言った。
「五体満足なまま勝って帰れ!痛々しい英雄譚など認めんぞ!」
直人は前を向いたまま短刀を持った右腕を掲げる。
ロイはそれを確認すると、力の入らない左腕を右手で抑えながら村に向かって走り出した。
「レギンレイヴ!やってくれ!」
直人がレギンレイヴに声をかける。
レギンレイヴは頷くと、魔物の突進攻撃を棒で突いていなす事を二回ほど繰り返して角度を調整し、三回目の突きで魔物を直人が武器を降り下ろして届く距離に弾いてみせた。
直人の心臓は早鐘のように鼓動していたものの、心は恐ろしいほど冴えていて、理想的な放物線を描いてこちらに飛んでくる魔物を見ながら、レギンレイヴの人間離れした『精度』は彼女の恩寵の力の一つなのではないかなどと余計な事を考えていた。
直人は地面に叩き伏せる要領で魔物の着地を迎えるように渾身の力を乗せて短刀を降り下ろす。
当たる!そう確信した次の瞬間、ガキンと、耳をつんざく音が響き、直人の渾身の一撃はまたしても魔物の牙に衝突した。
「またか!」
なんて運が悪いんだ。
全力の一撃を弾かれた反動でよろける直人に対し、地面に衝撃を逃がした魔物がいち早く体制を立て直し、無防備な直人の首元めがけて地面を蹴る。
「避けて!」
レギンレイヴの悲鳴にも似た声。
だが、上空方向へ反動を食らった直人には体制を変える方法が無かった。
これは避けられない。そう確信した直人は目を閉じ横を向いた。
そして、全てが思惑通りに運んだ事を確信してニヤリと口角を上げた。
次の瞬間、ガツンという激突音と、ズドンという重い衝撃音が間を開けずに響き渡り、魔物は頭から直人の目の前の地面にめり込んでいた。
体制を立て直した直人は、目を丸くして地面に座り込んでいるレギンレイヴを放置したまま、短刀を構え、魔物の攻撃を受け止めた一抱え程もある大きな石と、魔物の後頭部を直撃したこぶし大の石をセラーに収納した。
トドメを刺すため短刀を構えると、地面に伸びてビクビクしている魔物の全体像を後学のために頭に叩き込む。
筋肉質な黒い胴と四肢。全身が黒い体毛に覆われているが、よく見ると肩や胴の一部の毛がはげており、その場所が不自然に膨らんでいる。そして元の獣の特徴を残した片方だけの長い耳。レギンレイヴに転がされている間に絡みついたのか、後ろ足に草が巻き付いている。動きが早過ぎて戦っている間はほとんど黒い塊というか『無機質』な何かと戦っている気分だったが、こうして細かい部分まで見えてしまうと受ける印象は『生物』側に引き戻される気がした。
そうして直人はごくごく短い時間ではあったものの、初めて遭遇した魔物の特徴を記憶に刻み込むと、見るからに弱点っぽく見える魔物の顔の右側を覆う赤黒い腫瘍に狙いを定め、短刀を振りかぶり、渾身の力を込めて降り下ろした。
ガリッっと、無機質な感触。
直人は予想していなかった手ごたえに改めて自分が刺突したものを確認して驚愕の声を上げた。
信じられない事に、短刀を突き立てたその場所に魔物の姿はなく、短刀の突き刺さる地面だけがあった。
慌てて飛びのき、周囲を見回すと、少し離れた所でこちらを攻撃せんとばかりに魔物は牙をむいていた。
明らかに弱ってはいたものの、その驚嘆すべきタフネスは未だ魔物から殺戮の衝動を奪うには至っていないようだった。
と、魔物が倒れ込むようにこちらに向かって前進する。
後頭部を強打され、ふらついていただけのようだが、意表を突かれて、慌てた直人はとっさにセラーの石をありったけ考え無しに取り出してしまった。
場所の指定が不鮮明であったため、大小5つの石のうち4つは魔物の周囲の地面に無駄にめり込んでしまったが、最後の5つ目がかろうじて魔物を斜めに打ち抜いた。
そして、地面に転がってひっくり返った所をレギンレイヴの一撃が縫い留める。全体重をかけて魔物を地面に抑え込みつつ、レギンレイヴが叫ぶ。
「直人!」
言われるまでも無く、既に短刀を振りかぶっていた直人が、今度こそ全体重をかけて赤黒い腫瘍を短刀で貫く。
グブリという気分が悪くなるような鈍い手ごたえと、ギューという悲鳴ともうめき声とも取れない断末魔の叫びをあげて、四肢をバタバタを動かした後、短刀を突き立てた魔物の腫瘍の切れ目や口元から黒い煙とも霧ともつかない何かが立ち上り、空中で霧散した。
そうして、後には黒い血に染まった地面とウサギの形をした肉塊が残った。
「さすがに死んだよな?」
直人は体重をかけていた短刀をゆっくり引き抜き、その短刀の峰で元魔物だった肉塊の胴をぐっぐっと押し込んでみた。
不自然に発達した筋肉には力は通っておらず、タンパク質の持つ弾力だけが直人の力を押し返しているようだった。
それは、本能的に知っている『死』の感触だった。
直人は大きくため息をつくと、力なく短刀を地面に落として座り込み、更にそのまま後ろに体を倒して地面に体を投げ出し、大声で叫んだ。
「ああああ、おっかなかったあああああ」
そうして初めて直人は、自分の体にこわばった筋肉の痛み以外何も残っておらず、汗で全身びちゃびちゃである事に気づいた。
生死を掛けた戦いがこれほど心身を消耗するとは思ってもみなかった。
こんな初陣、こんな有り様で、果たして自分は百や二百では足りないくらい続いていくであろう魔物との闘いを乗り越えていけるのか?
不安は後から後から湧いてくるが、それを止める気力も残っていない。
それから少しの間、ネガティヴな感情にされるがまま、目を閉じ、呼吸だけをしていると、不意に上半身を抱き上げるように持ち上げられたので、驚いて目を開いた。
目の前にはレギンレイヴが居た。
「お疲れ様です直人」
レギンレイヴは抱え上げて空いた直人の上半身の下に膝を滑り込ませると、直人の頭を自分の膝の上に乗せて言った。
「機転と想像力に富んだ、良い初陣でした」
直人は救われるような気持ちがして、自分の左肩にそっと置かれているレギンレイヴの手に右手を添えた。
「惚れた?」
「ええ、普通の娘並みの感性を持っていない事が悔やまれるくらいには」
そう言って屈託なくほほ笑むレギンレイヴに直人は苦笑した。
それから思い出したようにレギンレイヴに礼を言った。
「あ、壁を越える件ありがとう。聞こえたよ」
「それは良かったです。ちなみにどうやって超えたんですか?」
レギンレイヴは既に気づいているとは思ったが、直人は素直に答える事にした。
「セラーに大き目の石を収納して、塀の前で出して踏み台にした」
やはり、といった様子のレギンレイヴに、こんどは直人が尋ね返す。
「レギンレイヴはどうやって超えたの?」
「棒高跳びの要領でぴょーんと、ですね」
それを聞いた直人は、先ほどの戦いの中で気づいた事を思い出し、レギンレイヴに疑問をぶつける。
「それってもしかして『恩寵』だったりする?その、つまり、思った通りに力を加減できるとか、狙った通りの『精度』で体を動かせるとか」
「ご明察です。『理想』と言います。別に隠していたわけではないのですが常時発動型の地味なスキルですから」
「いやいや、ソレとんでもないスキルだよ」
「そうなんですか?」
とばかりに小首をかしげるレギンレイヴに直人は思わず笑ってしまった。
それから、レギンレイヴは魔物討伐の決め手について尋ねてきた。
「セラーのあの使い方はいつ思いついたんですか?」
「昨日の夜。放り投げた小石を収納して、それを取り出したら動く力まで保存されてたのを見てかな。最初に『収納時の状態が変化しない』とも言ってたし、使えそうだなーって。まさか翌朝にいきなり実践で使う事になるとは思わなかったけどね……」
答えた直人が眠たそうにしているのを察したレギンレイヴは「最後にもう一つよろしいですか?」と言った。
直人が頷くと、レギンレイヴは興味深そうに質問を投げかけた。
「垂直方向以外の力を保存した石はどうやって運用しているんですか?」
すると、直人はその質問の意図を察して重たいまぶたを持ち上げてレギンレイヴを見上げた。
「その件で、ちょっと相談したい事があるんだけど……」
「相談ですか?」
レギンレイヴが尋ね返す。
「ああ、でも、今日はもうだめだ。体が言う事きかない。ごめん」
直人は目を閉じた。強い眠気があっという間に直人の意識を奪う。
レギンレイヴは優しく頷いた。
「今はゆっくり休んでください」