情報屋の少年
ケカルノの中心部から北西に2区画ほど進んだ、一般労働者が主に居住拠点としている『宿舎街』。
ケカルノの中では、最も繁華している区域であると同時に、物々交換が主流という珍しい区域でもある。
活発な商売活動とは裏腹に流動する通貨の量はどこよりも小さく、寧ろこの物々交換を目当てで寄る者すら居る。
ここが宿舎街と呼ばれるようになった経緯はごく単純で、ケカルノには定住者が殆ど居ないからだ。
勝手を知らない大小様々な国から出稼ぎに来た人々に向けた宿が立ち並び、その宿を取り巻くように店が軒を連ねている。
ここ一帯は穀類独特の甘い香りや、小麦を焦がす匂いが絶えず漂い、日々労働者たちの食欲をそそり立てている。
更に悩ましい事に今日は週の始まりであり、使い続けた重たい油の匂いが消え、新鮮な油のはじける音が人々の食欲をより一層煽る数少ない日だ。
こんな日はどの財布も紐が緩み、彼方此方で人と美味いものが立ち並び、忙しく雑多な声も何時もより明るく思わせる。
「速報速報ー!どいてどいてー!!」
陽射しが真上に差し掛ろうとしていた頃、昼食を取るために戻ってきた労働者達を掻き分け、一人の少年がひた走っている。
年齢は10代中ほどであろうか、少年の被る鍔つき帽は彼が報道者たる資格を持つ事を意味している。
彼が人を押し退け走る度、大陸共通言語である『A』の刺繍文字は陽射しでその威厳を主張する。
頭がすっぽりと入る程の金属製の箱を肩から引っ下げ、宿舎街の中心部である唯一の公園へと向かう。
公園といっても何がある訳ではない。
地面は同じ色があるのかも怪しい赤茶色の正方形のタイルで舗装され、目を引く物といえば公園端の1本の老木と広場の隅に簡易的な椅子や机として使われている大量の木箱が山積みにされているといった殺風景な公園である。
その日も変わる事無く、炊き出しの食事や弁当を持った労働者達が木箱を椅子代わりに公園に集まっている。
ある者は一人黙々と持参した書物に耽り、またある者は座りながら何人かで他愛もない雑談等をして、休息を取っていた。
そんなのどかな雰囲気の中その少年は、残り半分ほどになった木箱の山から1つを担いで公園の中央へ足を運ぶ。
そして持っていた木箱と金属製の集金箱を置くと、その上に乗って息を整え、さらに深呼吸を1度すると、少年は大きな声で叫び始めた。
「速報だよー!今話題のルガー・デスペラード、賞金がまた上がったって話だ!」
少年の年齢と小柄な体格に反し、とても大きな響き渡る声で公園の真ん中から叫ぶ青い服の少年。
その声は公園内に居る人々の目を確実に引いていた。
これが彼の得意の一つでもあった。
「詳しい話が知りたかったら一人100Bt!100Btだよー!」
少年はしきりに叫ぶが、いつもと違ってなかなか客が来ない。
すると常連らしき腰の曲がった老人が寄って来てそっと少年を呼び止める。
「アルキス、ちと遅かったのぅ」
ゆっくりとした口調に加え、相応の年月を見届けて来た眼差しは落ち着いており、左手で長く伸びた白鬚を整える仕草はこの老人をいかにも仙人のような雰囲気に仕立て上げている。
だが色褪せたオーバーオールからは小さな工具がいくつか顔を覗かせており、仙人よりかは職人といった風貌である。
「あ、すみませんペレティさん。現地まで出掛けてて戻るのが遅れてしまって……。それで、どうです?ルガー・デスペラードについて、昨日の夜に仕入れたばかりの情報ですよ?」
自信ありげにペレティと呼んだ老人に自分の仕入れた情報をセールスするが、イマイチしっくり来ていない様子だ。
「いや、いやそうではなくてな……、何と言ったら良いか」
老人は何か言い辛そうにアルキスをなだめつつ言葉を考えていると、アルキスはばつが悪そうに恐る恐るペレティを見て呟く。
「ってことは、また……ですか?」
「そう言う事になるのぅ…」
ペレティは申し訳なさそうに答える。
ガックリと肩を落として落胆するアルキスに周囲から言葉が挙がる。
「ハハハ、そう気を落とすなよアルキス!次だ次!」
「またラウルにネタ食われちまったのか」
「いいかげん諦めろって、あそこの人員は他よりずっと多いんだぜ?」
ペレティはなんとか元気付けようと考える。
「次の特ダネを待っとるぞ?これは…そうだ、次の話の前払いとして取って置くと良い」
ペレティはアルキスに優しく笑いかけると、肩に下げてある集金箱に1枚の100Bt硬貨を入れ、公園の一番大きな木の下のベンチへと戻っていった。
「……また先越されたなぁ」
アルキスは深いため息を吐くと、立っていた木箱に座り頬杖をつく。
ラウル情報社改めラウル新聞社は、今までの大人数による口頭演説での情報商売を取りやめ、広く雑多したケカルノに確実かつ革新的な方法を講じて莫大な利益を上げていた。
その方法たるは、私たちが良く知る新聞と呼ばれる情報媒体の発明である。
魔術先進国であるバクラハと、ケカルノの技術協力によって生まれた術式機械をいち早く商売に取り込んだのだ。
原版に情報を書き写し、完成した原板を機械で複製して販売する方法だったが、術式における知識は勿論、技術者すら居なかったラウル社にとっては、1部の原版を作るために文字通りの手探り状態でもあった。
しかし、情報に統一性の無い口頭演説や噂が主な情報源だったケカルノにおいて、確実な情報源となった新聞の存在は瞬く間に受け入れられたのだった。
そんな会社を相手に、一人の少年がどう足掻いた所で叶うはずもなく、情報戦や販売戦略においても圧倒的な差を見せ付けられ続けているのが現状だった。
現に話題沸騰中の賞金首の情報でさえ、どの情報屋よりも早く仕入れる事が出来たアルキスだが、行きすがらの馬車に乗せてもらいながら戻る道中にラウル社の早馬に追い越されてしまっていた。
先手を以ってしてもここまで出遅れているのが何よりの証拠である。
悔しさよりも徒労感や虚無感の方が勝っていた。
こんな調子ではこの先その日の食い扶持すら心配しなくてはならないかもしれない。
「こんなんじゃフェルゴにどやされちゃうや……」
これからことを考えながら何をするわけでもなく独り公園の真ん中で座って惚けていた。
どうやら昼食時間はとうに過ぎているらしく、ほとんど山とは呼べなくなっていた木箱の山は、再び大きな山として公園の隅で存在感を放つようになっていた。
木箱の山がとうとうあと一つで完成となった頃、ようやくアルキスは公園の真ん中で一人ポツンと座っている事に気付いた。
「疲れたし、眠いや……帰ろう」
今回の情報を仕入れる為に多少なりとも無理をしていた為か、あれほど軽々しく持ってきた木箱がとても重く感じるのは疲労感のせいだけだろうかと頭を過ぎる。
そんなアルキスの背後から突如として公園に響く怒鳴り声がアルキスに注がれた。
「昼間っから死んだ魚みてぇな目ぇしやがって、子供と言えど立派な紳士、もっとしゃきーっとしやがれってんだ!」
突然のどやし声に思わずアルキスは飛び上がる。
「うわぁ!びっくりした、……あ、あなたは?」
アルキスは顔に水でも引っかけられたかのような顔で振り向くと、そこには着古し擦り切れた燕尾服を着た男がニヤつきながらこちらを見ている。
「まったく、通りすがりとはいえ余計なもん見かけちまったぜ。ん?俺の名前か?将来有望な若者に御見知り頂く様な大した者じゃあございませんよ」
ニヤリと笑いながら軽く挨拶をする男。
葉巻を吹かす男の目線は依然アルキスを捉えて続けている。
「は、はぁ……それで、もうに広まっちゃった情報になるんですけど、『ルガー・デスペラード』について聞きます?」
アルキスは立ち上がると男の方に向き直る。
「ルガー・デスペラードぉ?そんな名前は知らねぇな」
男は眉をしかめると首をかしげて考え込む。
「デスペラードって言うのは僕が付けたあだ名ですけど、本当に知らないんですか?」
「ああ、知らんな」
それを聞いたアルキスは、ようやく自分の仕入れたネタを披露する時が来たと喜々として語りだした。
「殺人の罪だかで負われ始めてから拘束されては逃走の繰り返し、その数6回、あ、今回の分で7回になりましたね。丁度その現場を見に行ってきたんですがとてもじゃありませんが言葉では伝え切れない惨状でして、その無秩序極まりない行いからルガー・デスペラードと名付けたんですよ。格好良い方が悪行に箔が掛かってイメージし易いですからね。結構前から街中の注目の的ですよ?」
「んー、もしかしてそのルガーってのは、あの『ルガー=デュイス』の事か?」
「なんだ、知ってるじゃないですか、えっ、ルガー=デュイス?そんな名前だったんですか?ルガーって…顔と名前と銃の腕前意外全然情報がなくて困ってたんですよ」
アルキスはすかさずポケットからメモとペンを取り出し書き込んでいく。
「あぁ!俺とした事が言うつもりは無かったんだがなぁ……悪い癖が出ちまった」
額に手を当てしくじったような素振りはしているものの、言葉に反して口元はいやらしく笑っている。
「それで……そのルガー=デュイスについて聞きます?」
「ぉ、おぉそうだったそうだった…。では、聞かせてもらおうか、そのルガー・デスぺラードについてを」
ヘラヘラとしていた男の態度が一変して引きしまった物に代わる。
「昨日の夕暮れ頃エリオス・ベルの街で法廷が開かれたんですけど、そこでルガーがまたひと暴れして逃げ出したんです」
手元のメモを忙しなく確認しながら話を続ける。
「警備は万全で、町の衛兵の半分近くを集めた厳戒態勢だったのにも関わらずです。聞く所ではどうやら稼ぎ屋が押しかけて来たらしく、その間にルガーが逃げようとしたので押さえつけたらルガーがまた暴れ始めて……」
「そんで法廷は血の海、鎮圧部隊が到着したときにはルガーの姿はあらず、手に負えなくなってきたのでさらに賞金額を上げたって所か?」
男は葉巻で撃つ真似をした後先に息を吹きかける仕草を見せる。
「やっぱり知ってましたか…、ならお代はいいです。わざわざ法廷まで見に行ったのになぁ……」
「はっはっは、そう落ち込んでちゃぁ、来るツキも逃げて行くぜ?少なくともあの紙っぺらよりはマトモな内容だ。こう見えても俺は立派な紳士でね、ちゃんと御代はお支払いいたしましょう?で、何をすればいいんだ?」
「何ってお代を払ってくれればいいですよ、既存の情報なんで半額の50Btでいいです」
「バーター?なんだそりゃ……パンに塗る奴か?」
「それは『バタン』です!まさか此処に居て大陸の共通通貨を知らないなんて言いませんよね?」
「はっはっは!……知らねぇな、俺はここの住まいじゃないんでね。さっぱりわからん」
煙をプーッと吹きながらあきれる様に言う男。
「はぁ……なら…やっぱりお金はいいですよ」
そういいながら集金箱の中から先ほど老人からもらった100Bt硬貨を箱から取り出すと男に見せる。
「ちなみにこれがバーターです、これは一番流通している100Bt銅貨で、他にも銅貨より価値の低い鉄貨、価値は銅貨の10~50倍くらいの銀貨、さらに高い金貨、それと扱う額が大きい特権商人用に流通するミスリル硬貨がありますよ」
「ほーぅ、これがバターって奴か」
アルキスの手からサッと取り上げ太陽に透かしたり指で弾いたりとなにやら色々と試している。
「バーターだし……あの、それ返して下さい、一応売り上げの一部なんですから」
「ここじゃこんなんで知識を得られるのか、俺ん所とは大違いだな、単純かつ賢明だ」
「あの、すみませんけど僕そろそろ戻らないといけないんで……」
「あぁ、そうだったな。戻るにしたって手持ち無沙汰じゃなんだろう。元アリーダの辺境の地、戦場跡オセドアって荒野地帯に行ってみな、特ダネが待ってるぜ?」
男は膨らみの無いポケットをあさり、小瓶を取り出すと中に吸っていた葉巻の灰を落とし入れ、栓をしてアルキスに渡した。
「ほれ、こいつは礼だ。遠慮なく受け取ってくれ」
「……なんですかこれ? ゴミなら自分で捨ててくださいよ」
男から手渡された灰の入った小瓶だが、どう考えてもからかわれているとしか思えない。
「ゴミじゃあないさ。何かあった時には瓶を割るか、栓を開けて息を吹き込んでみな。良い事が起きるぜ」
「はあ…?」
アルキスはしげしげと灰入りの小瓶を観察するが、何度か傾ける内に中身の灰で瓶が真っ黒になるだけだった。
「さて俺も時間に追われる身なんでね! 次は大分先になるかもしれないが、また会おうじゃないか、アルキス=セゾール!」
言うが早いか、男はすでに踵を返し背中越しに片手を上げている。
「その瓶はバターだかバーターだかの礼だと思ってくれー!」
彼はそう叫びながら角を曲がって行ってしまった。
「あーっ!そうだ!お金返せー!!」
ゴミもとい魔法?の小瓶にすっかり気を取られていたアルキスは男を慌てて追いかけるも、徒歩とは思えない速さでぐんぐんと遠ざかっていく。
「あのニセ紳士!……えっ?」
男が曲がったと思わしき角へと入ろうとするが、そこは建物同士が今にもくっ付きそうなほど狭くとてもではないが人の通れる場所ではなかった……
粗のご指摘や雑感等ございましたらお気軽にお寄せいただければと思います。
ごきげんようそれではまた。