表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生者の理不尽な義務  作者: あかねあかり
白塔の女神
9/29

私は再会を喜べない

 私を抱きかかえ、船の上に戻ろうとした彼は、私にくくりつけられた足かせの重さに眉をひそめた。


「もう少し我慢してくれ」


 無言でひとつ頷く。


 彼は間違いなく、先の凱旋の立役者、ナギ・ファルマータだ。金髪碧眼の整った顔立ちと不機嫌を地で行く顔は見間違えようがない。それに何より、凪にそっくりだ。あのままともに大きくなっていたら、凪がこんなふうに逞しくなることも知っていたんだろうか。


 26歳だったかの今現在のナギ・ファルマータは、前世の15歳の笑顔を絶やさず愛想の良かった春俣凪とは全く違った。


 たくましい腕に抱えられ、船に引き上げられる。木の床に倒れ込んだ私は、盛大な脱力感に見舞われ、呼吸すらままならなくなった。

 何枚もタオルをかけられ、色んな言葉をかけられる。情報処理が上手く行かない頭では、彼ら一人一人が何を言っているのかもわからない。


「ユアっ!」


 聞き慣れた声が聞こえて、緩慢に顔を上げた。人の間を縫って駆け寄ってきたのは、会わなかった短い時間で既に懐かしくなっていたベラクローフさんだった。


 よかった、やっぱり生きていたんだ。安堵で涙が零れた。枷の痕が色濃く残る両手を伸ばす。びしょ濡れの私を抱き締めて、ベラクローフさんは耳元で何度も「ユア」と名前を呼んだ。


 その声に何度も返事を返しながら、その温もりに、自分が凍えていたんだと気付いた。


「よかった。ユア、よかった。死んでしまったかと思った」

「私も、みんな、死んじゃったかもって」

「ごめん。船、壊れちゃったけど。ユアのお気に入りだった椅子も壊れたけど、あれボロだったから買い換えような。ユアしか座れないものだったし」

「うん。ごめん、ベラクローフさん。私のせい?」

「違う。ユアのせいじゃないよ。だから気にしないでいい。海に飛び込んだ時はひやっとしたけど、無事ならいいよ。死なないでくれてありがとう」


 やっぱりベラクローフさんは優しくて、大きい懐の持ち主で、暖かかった。

 足元で枷の外れる音がして、その手をたどって顔を確認する。今ばかりは煙草を咥えていない、マーレットさんだった。

 マーレットさんと、その先にレストリックさんを見たらもう限界だった。完璧に涙腺が崩壊した。


「う、……うぁ…………うわあぁぁぁぁああああん」

「うお、なんだよ一体」

「わあああぁあ、ああああぁぁぁあ」

「ユア、ユア大丈夫だよ。もう大丈夫だから」

「ひっく、あああああぁあ」


 訳も分からず号泣する。こうなったらもう止まらなくて、ベラクローフさんのシャツの袖と、レストリックさんのズボンを掴んで泣き叫んだ。


 自分では制御できなくなった涙腺が、ぼだぼたと大量の水滴を瞳から零して留まるところを知らない。碧い瞳から出るくせに透明な水滴は、海水と混ざってしょっぱい。


 みんなが何を言っても泣き止まない私に、ついにマーレットさんが意識を落とそうと手刀を用意していたその横から、細身の影が手を伸ばしてくる。


 おでこに冷たい手が添えられ、そのままそれが目のところに降りてきて、瞼を下ろす。冷たい掌が熱を持った目元には気持ちよくて、思わず身を預けてしまう。


 もう大丈夫なんだという安堵と安心感で弛緩する体を支えたのは、さっき私をすくい上げてくれた逞しい腕で、もう大丈夫だから、と落ち着いた声で囁かれ、ゆっくりと意識を手放した。



 ◆◇◆◇◆



 松明の炎で照らされる彼女の寝顔は、哀れなほど憔悴しきっている。


 そんな彼女を腕の中に、ゆっくりと立ち上がった英雄は俺に顎をしゃくって付いて来るよう促した。抵抗せず後に続けば、歩く度に落ちる水滴が道標となって導く。


 彼に子どものように抱き上げられたユアは、安心した様子で脱力しきっていて、先ほどの様子を脳裏に思い浮かべて背筋が冷えた。


 海賊とともに海へ消えて行く彼女を、海軍の船から見ていた俺たちは、すぐには動けなくて、あとからマントや重そうな上着を脱ぎ捨てた彼が飛び込んでいくのを、呆然と見つめていた。


 やはり、彼女は海賊に捕まっていて、他の人質は逃がしておきながら自分が逃げ遅れる、という失態を演じていた。それはある意味彼女らしくてほのぼのとしたのだが、そんな余裕もあの瞬間で掻き消えたのだ。


 もっと早く動いていればよかった。出港してからなんて生半可なことはしないで、誘拐が発覚してからすぐに船に乗り込めばよかったんだと後悔した。


 あのまま彼女が死んでいたら、俺は処刑否定派なんて善良な立ち位置には立っていられなかったはずだ。それは今だって、その場所に居続けられるのかわからない。


 ユア・デラクールは、もう立派に俺たちの仲間だった。


「すぐ港に戻る。それまでここで寝かせておくといい。事後処理はお前にも手伝ってもらうからな」

「ああ。今回ばかりは仕方ない。船は沈めて構わない」

「わかった。ここは俺の部屋だから、何かあればそれを鳴らせ。すぐに誰かが来る」


 軽く頭を下げて感謝を示す。躊躇いなくびしょ濡れのままのユアを自分のベットに降ろした英雄は、最後に彼女の頬を一撫でして背を向け部屋を出ていった。


 酷く疲れた様子で眠る彼女の髪を、起こさないようにタオルで水気を拭き取ってやる。蒼い髪は相変わらず美しくて、酷く心を揺さぶった。


 彼女は、この色のせいで誘拐され、死にかけるまでになった。

 枷のあとが残る手足を痛ましい思いで撫でさする。早く消えろ、と願いながら。


 どうして、彼女は……。



 ◆◇◆◇◆



 目を覚ますと、そこは船の中ではなかった。


 窓がある部屋で寝たのなんて、今世では初めてのことだ。だから、咄嗟の違和感が拭えなくて眉をひそめた。

 窓の向こうに見える景色は、賑やかな街の風景。見れば、服装も変わっている。


 着られればいいというようなワンピースから一転、淡い水色の裾に行くにつれて色が薄くなるという、グラデーションがかった着心地のいいワンピースに変わっていた。

 そして体の首という首に残る、手枷足枷羽交い締めの鬱血痕。そこにもうあの重たい物はないというのに、その痕のせいでまだ囚われている気分になる。


 しばらく状況がわからなくて硬直していたが、立ち上がろうとして足を動かした瞬間、刺すような痛みに襲われて倒れ込んだ。……久しぶりだ、こんな盛大な筋肉痛。


 動くことは諦めて、部屋の中を見回してみる。物のない質素な部屋だけれど、豪華だ。具体的にはベットが。クローゼットや化粧台がある。燭台は変えたばかりなのか、ろうそくが少しも溶けていない新品だった。


 多分……だけど、ここはもしかして、ホテル? のような…。


 考えを巡らせていると、コンコンと控え目に扉がノックされて、開いた。そこにいたのは女性で、上品なお仕着せを身にまとい、控え目にほほえんでいる。


「お目覚めになられましたか。おはようございます、お嬢様。失礼ながら、ここに居られる間、お嬢様のお世話を任されましたマーニャと申します」

「ええと、ユア、です。あの、ここはどこですか?」

「海軍の街、スウェントのマゼレルダ伯爵邸でございます」


 海軍の街って聞こえた気がする。マゼレルダって、ベラクローフさんの名字だったような気がする。伯爵邸って聞こえた気がする。


 だめだ。もう、キャパオーバーです。


 海軍の街、スウェントというのは、文字通りの意味のようだ。マーニャさんに介助されながら窓辺に立って外を覗くと、下に見えるのは海兵海兵海兵海兵。


 紺碧を主とした白の制服を身にまとい、ぴんと伸びた背筋、腰元に携えられた剣。明らかな軍人だった。


「ここはお嬢様の来られたサースシーからはほど近い島です。外界から隔離されたこの街は、存在自体は知られていますがその場所までは知られていないのです」


 スウェントについてはわかったけれど、私がここに運ばれたのはなんでだろう。私はただの一般人なので、ここの存在すら知るはずのなかった人間だ。


 もしかして、事情聴取とかされるのだろうか。えーやだなー喋ることないんだけどー。


「お嬢様、よろしければこちらにお着替えしていただけませんか? 坊っちゃまがお待ちなのです」

「坊っちゃま? ははは、坊っちゃまって」


 呼称に笑う私に微笑んで、マーニャさんは遅ばせながらその人物の名を告げた。


「ベラクローフお坊ちゃまです」

「……ぶっ」


 からかってやろう。









 誰のセレクトなのか、差し出された着替えはまたしても青だった。今度は深い青のワンピースで、次いで差し出されたケープが白だったから、まるで海兵みたいなコントラストだなと思った。


 階段を手すりにすがりながら降りて、導かれたのは談話室のような部屋だった。中には煌々と燃える暖炉があって、その前のソファーには、ベラクローフさんが座っていた。


 彼は私を見るとぱっと笑顔になり、マーニャさんに捕まったまま動かない様子を見ると苦笑した。手を差し出して、力強く引っ張ってふわりと椅子に座らせてくれる。


「よかった。元気そうだ」

「筋肉痛さえなかったら、もっと気分も良かったんだけど」

「仕方ないよ。昨日は頑張ったみたいだし。本当ならもう少し休ませてあげたかったんだけど、さすがに報告に行かないと」

「報告?」


 そこで、ベラクローフさんの服装がいつもとは全く違うことに気付いた。


 紺碧の生地を白く縁取り、ボタンや飾り紐は金色。胸元には煌びやかなバッチが光り、裏地を青薔薇の刺繍された白いマントが背中を滑る。

 え、何この海兵仕様。それもただの海兵じゃなくて、お偉い身分の人が着るような煌びやかで上等な制服。


 ベラクローフさんを上から下まで眺め、その変わりように唖然とする。金茶の髪も梳ったのかさらさらで、傷んでいた後もない。


「ベラクローフさんって、海兵……だったの?」

「そうだよ。隠していてごめんね。ちなみに、マーレットもハイレも、新人だけどレストリックもだよ」

「じゃあ、あの商船、本当は海軍の船だった…?」

「まあ、名称的にはそうだけど、やってることは商船と変わらない。俺たちは秘密任務をさせられていて、それが解決したからここに戻ってきたって感じだな」

「えっ、え? もう訳わかんない。私昨日から頭悪くなっちゃって。理解が追いつかなくて」

「いいよ。今はとりあえず、上司を待たせてるから行こうか。移動中に、ユアの聞きたいこと何でも聞いていいよ」


 そう言われて、豪奢な馬車に乗せられ、発車した。馬車に乗るのって、あの生贄にされかけた日以来じゃないだろうか。


 馬車の中で聞いたのは、ベラクローフさんが実は伯爵家の次男で、海軍将校で、さらに中将ってことを聞かされた。


 中将ってどれくらい偉いの? って聞いて、海軍の中では3番目くらい? と軽いノリで答えられたから絶句した。


 ベラクローフさん、エリートじゃん。


 あの船は"海軍総統直属特務師団"という、いわゆるスパイのような役割を与えられた船で、貿易船の真似をしながら情報を集めていたらしい。


 その与えられた任務というのが、人身売買を行っている海賊の検挙。それと闇オークション会場と売人の特定。というものだったそうだ。


 この情報、私に与えていいものなのかと聞くと、もう済んだことだからといい笑顔で言われた。いいのならいいや。


 というか、その大事な任務の最中に、私を拾って住まわせたりして良かったのだろうか。だって思いっきり部外者の一般市民だし、更にはその人身売買の商品にされそうになってるし。


 思えば、約立たずな真似しかしていないような気がする。そう言って謝ると、ベラクローフさんは鷹揚に、むしろありがとうと笑った。


「ユアが連れ去られなきゃ、俺たち任務のこと忘れてたし。まさかあの海賊が本命の船だってわかったの、ユアのお陰だしな。それに、ユアが彼女たちを逃がしてくれなかったら、俺たちや海軍も気づかずにいただろうし」

「なら、良かったんだけど」


 結果的に私がいて良かったということになったのなら、もう何も言うまい。

 ガタゴト揺れる馬車のカーテンは閉まっていて、開けたら移動どころじゃなくなるから、というベラクローフさんの忠告に従って開けない。


「……ベラクローフさん、私、朝から聞こう聞こうと思ってて聞けなかったことがあるんだけど、今聞いていい?」

「いいよ」


 快く承諾してくれた彼の言葉に甘えて、ずっと思っていた疑問を吐き出す。


「何であの人、海軍にいるの?」

「…わからない」


「あの人、陸軍だったよね?」

「そのはずだったんだけどね」


「私、王都でしか会えないものだと思ってた」

「俺もそう思ってたよ」


「よくわからないんですけど、偉そうだったよね」

「そうだな。中将だし」


 うわ、エリートだ。


 なぜ陸軍兵士なはずのあの男が、今では海軍にいて中将なのか。王都で英雄として悠々自適に暮らしているはずのあの男が、海軍の街にいるのか。


 ベラクローフさんでも知りえない答えは、本人に聞くしかないのだろうけど…。


 馬車が停まって、着いたみたいだ、とベラクローフさんが言う。先に降りた彼の手を借りて降りて、そのまま介助してもらう。


 小鹿のようにぷるぷるする足を引きずるようにして進み、その豪華な門に迎えられた。毅然として前を向くベラクローフさんとは真逆に、おろおろしてぷるぷるする私。


 下っ端が出向くのは当たり前だと分かっているけれども、満身創痍の私を労わって数日後でも良かったんじゃないかとも思う。ああ、どうしよう。リハーサルもなしにいきなり本番はきつい。それに、一体誰に報告しに行くんだろう。


 事情聴取の方が、まだマシだったと思うような目に遭うのは、これから30分後の話。







次回は登場します!汗

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ