軍人らしくあれと(追加)
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「少将、確か彼は陸軍軍人ではなかったか? どうして海の上にいる?」
いち早く正気を取り戻した副船長が、代表して疑問を口にする。
そうだ。ナギ・ファルマータなら、救国の英雄として国中から讃えられ、陸軍大佐の地位に就き、王都で悠々自適に過ごしているはずだ。
彼がそうなったそもそもの原因は、半年前、3年の間長々と続いていた北方の国との戦争で、当時大層活躍したからである。
きっかけは、彼国に人質として送り込んでいた王姉殿下の突然死だった。あちらは自分たちには何の非もない、流行病だったのだ、と弁解したが、国王陛下が送り込んだ間者による情報はそのような甘いものではなかった。
幼少期から蝶よ花よと慈しまれ育った王姉殿下は、その美しさに陶酔した若き伯爵令息により誘拐され殺されたという。事の顛末を聞いた国王は怒り、彼国に伯爵令息の身柄引渡しを求めたが、既に彼の刑は密やかに執行され、その身はもうこの世にはなかった。
そうして起こったのが先の戦争である。しかし、軍事大国の北国に対し、この国が勝てるかどうかも怪しいものだった。初めこそいくつもの城を落とし人々を服従させていたが、その後2年は侵略一歩手前の状態でなんとか持ちこたえていただけ。
そんな膠着状態の中、現れたのがナギ・ファルマータである。彼は、死神の如く彼の前に立った人間の首を狩り、武器を奪い、逆らう意思も根こそぎ奪い去ったという。無表情で。
どんなことをしてそう言う話になったのか、詳しい話は聞けていない。何せ我々海軍は本国から軽んじられ、ほとんど見放されている状況だからだ。軍の規模は陸軍に遥かに劣り、優秀な人材は早々にあちら側に引き抜かれてしまう。それは何故か。深海の女神に対する畏敬の念が薄れているからだ。
王家は陽光の女神を第一の女神とし、陸軍は大地の女神を第一とする。そしてそれぞれ、女神の化身として金髪の乙女と茶髪の乙女をその頂点として崇める。人間とは不思議なもので、崇め奉る存在がいるというだけでその心持ちは全く違うものになってしまうのだ。真に心から女神を崇拝するものは、例え首を着られても痛みなどは感じず、笑って死んで行くそうだ。信じられない。
そして、我々海軍は深海の女神を第一の女神として崇める。しかし蒼髪の乙女などがこの世に存在するなどあるはずもない。何せ帝国が建国してから3000年、一度も現れてはいないのだから。実際に崇める対象が居るのと居ないのとでは、その影響力の差は歴然としている。故に海軍の統率力は足りない。今は強力な指導者の存在によって、辛うじて成り立っているような状態だ。
しかし、どうしたことだろう。蒼髪の乙女は現れてしまった。深海のように美しい碧の瞳をも持って。
「彼は陸軍で女神の伴侶になりそうだったのが嫌でこちらに逃げてきたのだ」
「ぶっ」
「少将…」
大口を開けてそう告げたディモニー少将の台詞に、マーレット先輩は吹き出し、英雄は迷惑そうにジト目で少将を見て、なぜか副船長は納得したように頷いた。
「わかるわかる。そう言うのあるよな。俺も昔痛い目を見た。それ以来必要以上に女には近寄らないようにしている。特に純情を装う女には要注意だ」
「あの英雄がなぜだと疑ったが。なるほどな、それなら俺も納得出来る。縁談は逃げるが勝ちだからな」
「……何なんですか」
一気に心の距離を縮めたらしい上司二人に内心呆れる。甲板の手すりに英雄を挟むようにもたれ、笑顔で女というものはあーだこーだと言い募る。曰く、良い思いをするためにはその前にありとあらゆる良い思いをしたその後を想像すべきだとか、一途は美だが入り込むのはまずいとか。そんな話を両側から語られるかの英雄の心境やいかに。麗しい顔は、相変わらず仏頂面のままだ。
「わかったぞ、英雄。さてはこの船も貢物だな? 真面目一辺倒の質実剛健と聞いていたから、この船は華美すぎて不思議だったんだ。今の海軍にそんな金も見栄も不必要だからな」
「スウェントに向かう途中に頂いたんです。断ることもできず」
「いやいや、貰って正解だ。ところどころ改造すれば、いい船になるぞ。宝石は売り捌いていいか?」
無礼千万の副船長の提案に、英雄は「どうぞご自由に」と答えただけだった。押し付けられた船に、愛着も未練もないのだろう。彼の淡白さに驚いた。
「それで、特務師団の方々が何の用なんです。持論を繰り広げに来ただけですか」
「ああ、そうだった。すっかり忘れていた。実は相談があるんだ」
やっとのことで本題に話を持ち込んでくれた。心の中で盛大に気を揉んでいたので、この話題転換は嬉しい。まだ夜には時間があって、副船長達がいくら強いと言っても、彼女が無事であるとは限らない。何せ海賊だ。それも人身売買を行う海賊。捕まえれば縛り首にできるほどの悪党。彼女は連れ去られてしまったのだ。紛れもない自分の油断によって。
「俺たちの任務は人身売買と違法薬物売買の元凶を掴むこと。そして、先ほど街で俺たちが保護していた少女が誘拐された。犯人は十中八九海賊だと思われる」
「ほぅ、なぜだ?」
「単純に、彼女を狙うなら深海の女神に対する敬意を持っていないということが一番の理由に挙げられるからだ」
「…おい、いいのか?」
「仕方ないだろう。いずれ知られる。今まで隠し通せていたことが不思議なくらいだ」
「どういうことだ?」
ディモニー少将が訝しげに二人を見る。
できることなら、隠し通したかった。あの船で彼女とともに居た者ならみんなそう思う。明るく無邪気で、まるで晴れた日の青空のように清々しく笑う少女。痩せ細ってか弱くて、けれど強かさを忘れない、逞しい少女。
守りたくて、隠したくて、できることなら閉じ込めて悪意なんか知らずに生きてほしいとも思う。これが崇めるという思いなら、とっくに僕は心酔している。
「蒼髪碧眼の女の子なんだ。守りたかったのに、奪われてしまった」
「……まことか」
「俺は嘘は吐かない。知っているだろう」
「真なら何故報告しなかった! それは我らがずっと求めていたものだろう!!」
「あの子は、陽光や大地の乙女のようには生きられないと思ったからだ。あの子は乙女たちのように幸せに生きてきた訳じゃない。崇められて喜びを感じるような子じゃない。そんなことを望んじゃいないんだよ、絶対に」
硬い声で、怒りに唾を散らした少将を押し退ける。言わば、副船長を筆頭として、僕らはあの子を海軍にくれてやる気にならなかったのだ。
女神の化身に自由はない。四六時中誰かに見張られ、護衛なしに日常生活も送れない。その行動、所作のひとつひとつは監視され、女神の化身らしからぬことでもしようものなら鞭が飛ぶ。そんな縛られた生活を彼女には与えたくない。
「俺たちが頼むのは、海賊の確保の手伝いだけだ。今あの子のことを打ち明けたのは、二人のことを信用しているからだ。頼むから、俺をがっかりさせないでくれ」
少将がごくりと唾を嚥下する音が聞こえた。英雄は鋭い目付きで副船長を見つめ、その心の奥底を図ろうとする。
”海賊もどき”と笑われている副船長だが、その前の二つ名は”歩く処刑台”だった。それほど彼は残酷で強い。底の見えない腹黒さを隙のない笑顔で隠しているが、その内彼は真っ黒だ。
「協力は願ってもないことですが、報告はします。私は軍人です」
副船長の口から苦笑が漏れた。
「生真面目だな。俺は報告書すら書く気が起こらないのに」
「あなた方が少女を守りたいと言うのなら、止めはしません。それが保護した者の勤めでしょう。しかし、海賊を共に討ってくれるというのなら願ったり叶ったりです。既に私は手の者を忍び込ませています。人身売買の商品となる者の安全確保も命じています。その子の安全は保証しましょう」
「なら話は早い。俺は海賊船に怪しまれず近付く方法を思いついた。多少の犠牲はやむを得ないが、海賊を捕まえてしまえば仕事も終わるし問題ないか」
「かの有名なベラクローフ中将の考える作戦は興味深い。指揮を」
そして腹黒副船長が語った作戦は、その日の夜に実行に移された。
しかし、交わした約束を他所に、間もなくユアの存在は帝国中に知れ渡ってしまうことになる。止める間も、守ることもできないまま。




