決行は夜に
大半がレストリック視点。
彼女がいなくなったと気づいたのは、サースシーの名物であるお菓子を食べ歩きして、そのゴミを捨てに行って帰ってきたときだった。
絶対に動くなと約束した彼女は、まるで風景に溶け込んで消えてしまったかのように姿がなく、その痕跡すらなかった。
とっさに頭に浮かんだのは、『誘拐』の二文字。この街はいっそ不自然なくらい人身売買が盛んで、海賊をよく見かける港町として有名だ。
狼狽えて、つい胸元のポケットに忍び込ませたナイフに触れてしまう。もう直ったと思っていたこの癖が、未だ治っていなかったことにため息をつく暇もなく、急いで船へと戻った。
街の中心から港まで、ずっと休まず走り続けたせいで喉と体が悲鳴を上げるが、そんなこと気にしていられなかった。
副船長で彼女の保護者でもあるベラクローフに報告に行き、そこで当然のように罰せられた。拳一発、人体の急所である鳩尾に、思いっきり。
取り乱す副船長に代わってそれを実行したのはマーレット先輩だった。鬼気迫る表情でいつも咥えているティッシュ(煙草)を捨て、役に立たなくなってしまった副船長と俺を引きずって会議室に連れて行く。
そうして、即席対策班が結成された。主要メンバーは副船長、マーレット先輩、ハイレ先輩、そして俺、レストリックだ。
まずは状況を説明しろと言われて、なるべく詳細に、明確な事実を話す。
目を離したのはたった数秒。その素早さから、最初から彼女を狙っていたことがわかる。人混みが激しくてつけ狙う輩の気配がわからなかったと述べると、ハイレ先輩は仕方ない、と言う。
「サースシーの犯罪技術は一級品だ。証拠を見つけるのも難しい。それに、人混みの中で連れ去ったという大胆な手口も他では真似出来ないだろう。一人だけで探しに行かず、船に戻って来られただけでも上等だ」
「すみません…」
褒めたんだけどな、と苦笑する先輩を無視して、復活した副船長がサースシーの地図を丸テーブルに広げた。
「犯人は海賊で間違いないだろう。この街には港が二つあるが、俺達がいる港ではないことは確か。誰か、もう一つの港まで偵察に行かせてくれ」
「オレが指示だしてくる。人選は任せるんだな?」
「ああ。口が硬いやつにしろ」
「了解」
ハイレ先輩が出て行くと、地図を睨んでいた副船長は呟くようにとんでもないことを口にした。
「確か……、今ここの港には海軍がいたな」
「だから何だ」
「海軍が反対の港にいるって言うのに、ここに船を停める海賊なんて、討伐されても仕方ないよな」
何が言いたい、とマーレット先輩は訝しげに問い質す。
副船長の言う通り、海軍の船の目と鼻の先で停泊する海賊なんか、ただの馬鹿か海軍を馬鹿にしているかだ。犯行を実行しながら隠れて逃げるなんて難しい。
「なあマーレット。海軍に海賊を充てがうのは、別に悪いことじゃないよな」
「……何を言ってる」
「だからさ、海賊は軍に任せて、俺たちはユアを助けたら面倒な後処理はあっちに任せて、逃げようか」
爽やかな笑顔とともに語られた内容に瞠目する。彼は偶に、子どものように無邪気な顔でえげつないことを強いてくる。仲間の命が関わったときのそれは震えを覚えるほどの恐ろしさで、そのときの彼に逆らえるものは少ない。
だから、もちろんその提案を却下することなんてできなくて、マーレット先輩の判断を仰ぐことになったのだが。
「お前、珍しく冴えてるじゃねーか」
「だろう?」
正直、非道い。
海軍の船は、同じ港の真反対の隅の方に停められていた。その距離が意図的なのか偶然なのかはともかくとして、副船長とマーレット先輩は船の場所を聞いただけで、面倒くさがって作戦変更を考えようとした。
しかし、やはり海軍に海賊を宛てがうことが一番楽な方法だと言うことで納得し、わざわざ歩いてそこまで向かう。
楽な道を選んでも、結局こうして面倒くさいことになるのだから、人生ってやっぱり不思議だと思う。
ちなみに、なぜ俺たちがここまでのんびり出来ているのかというと、偵察班からもたらされた情報で、海賊の船の出港は夜だと聞いたからだ。今は昼の盛りで、まだ時間はある。
ダミーではないという保証はないが、今はそれを信じるしかない。
ハイレ先輩は早々に離脱したようで、甲板で欠伸を連発しながら報告を受けていた。
そのハイレ先輩に言われて思い出したのが、あの船の本来の目的だった。
そのときの副船長とマーレット先輩の「あ」という顔。上官から与えられた任務を忘れて本気で身をくらませようとしていた彼らには瞠目するが、その後に「それでも後始末は海軍に任せよう」という結論を出したのには流石に呆れた。
これが上官だと疲れる。
海軍の船を視界に捉え、その大きさと豪華さに驚いた。船員が多いため大きい船になるには仕方ないにしても、なぜところどころ、ぴかぴか光っているのだろう。
副船長に聞いてみると、見栄じゃないか、と適当な返事をされた。マーレット先輩は白けた顔でティッシュをふかしながら船を見上げている。
船の様子を見ても何の躊躇いもなく中に乗り込もうとする副船長とマーレット先輩を追いかけ、当然ながら番兵に止められる。
「これは海軍の船である! 用があれば事前申請を通り、翌日の朝までに…」
「知るか。責任者に『"海賊もどきのベラクローフ"が来た』ってでも伝えろ。すぐ来る」
「なっ……」
副船長の名乗りを聞いて絶句する相方を置いて、もう一人の見張りは慌てて船の中へ走っていく。
"海賊もどきのベラクローフ"というのは、副船長を嗤うときに海軍や海賊の中で使われる呼称で、れっきとした軍人である彼を見下す呼び名だ。しかし、副船長は特に気にした様子もなく、通り名のように使用する。これも結構頻繁に。
しばらくもしないうちに戻って来た先ほどの番兵が、海軍将校のマントをはためかせる奴を連れて来た。副船長を行かせるのではなく、将校が来たことに驚いた。
将校の胸元には、身分を証明するバッチが輝いている。肩書きは、恐らく少将。
「これはこれは、久しいなベラクローフ。少し見ないうちに髪が茶色になっておる」
「よりによってあんたか。一応まだ現役だったんだな、ディモニー少将」
気安いノリで会話する将校と副船長を見て目を向く兵と、面倒くさそうにティッシュを棄てるマーレット先輩。外野を気にした様子もなく、副船長は本題を進めようとする。
「じじぃ、この港町、人身売買が盛んだよな」
「む、だから何じゃ。まさか協力しようという訳ではあるまい?」
「いや、今回ばかりは協力してやる」
「ほぅ…」
海軍少将に恐れ知らずなこの発言。どこまでも上から目線をやめない副船長を見たら、彼女はどうなるんだろう。普段見ている彼とのギャップが激しい。
「理由は後で説明する。こっちが持っている情報も明かそう。悪くない話じゃないはずだ。今なら海軍総統直属特務師団がもれなく付いてくる」
「ほぉ。総統直属の特務師団か……。魅力的な提案じゃが、残念ながら今この船の責任者は儂ではないのじゃよ」
「は? 海軍少将より上の者がいるのか?」
少将はニヤリと笑って、俺たちを中へ導いた。番兵も、止めようとはしない。
船の中では、掃除をしていたり見回りをしていたり遊んでいたり寝ていたりと様々に時間を浪費しながら、多くの兵が生活していた。
綺麗な船で、見るからに新品だとわかる備品の数々。一人一人が持つ剣も上等で、出来合いのものとは格が違った。兵が身に付ける隊服も、普通の兵とは色も形も大きく違う。それに、一人一人の顔立ち。
それで知る、この船の本当の意味。副船長の言っていたことはあながち的外れではない。
「見事に、闘うことを想定していない船だ」
「そうですね。見たところ隠し武器庫もない。大砲の数も少ない。船の速度は速くなるように出来ていますが、この乗組員の数では大した速度も出せないでしょうね。それに、船員がなよなよしい」
恐らく、この船は貴族の手によって造られた船だろう。何のためにか想像もつかないが、一見して旅行船とほぼ同じような機能しかついていない。見栄と体裁ばかりを気にした船には、役に立たなそうな顔だけの兵しか乗っていない。
結論として、こんな船と船員で海賊とぶつかっても、勝てる訳がない。一応、海軍の船としているために少将を乗せているらしいが、これから紹介される責任者というのも、どうせ貴族なんだろう。それか、貴族に媚を売るのが上手い海兵なはずだ。
これは、海軍の船を頼りにするのはやめて自分たちで彼女を奪還した方が早いのではないか、という具合だ。副船長も内心呆れてものも言えないのか、ずっと無言で辺りを見回している。
やがて着いたのは、甲板の更に上、見張り台の真下の日向だった。そこに海を眺めて立ち尽くす影が一つ。後ろ姿では誰かわからないが、海軍将校のマントを羽織っている。
「おい」と少将が声を掛けるを、その影はこちらを振り向いた。
その顔を見て、副船長も俺も、マーレット先輩もその限りではなく、唖然として絶句した。いるはずのない人物がそこにいたからだ。
さらさらと風になびく金糸の髪、海のように真っ青な瞳。まるで女子どもが憧れとともに思い浮かべるような、理想の王子様のような整った顔立ち。
国を揺るがす2ヶ月前の凱旋記事で名実ともに名を知られた英雄が、なぜかここにいた。
「この船の責任者、海軍中将、ナギ・ファルマータくんだ」
彼は、不機嫌そうに目を細めた。
◆◇◆◇◆
ここが海の上でも、ましてや船の中でもないと告げても、彼女たちはやはり簡単には信じなかった。
そりゃまあ、こんなことを簡単に信じる人はいないだろうけど。それに事実確認も出来ていない不確かな情報だ。信じる方が難しい。
けれど、おねーさんはその限りじゃないようだ。驚くほどあっさりと納得した彼女は、あっけらかんとしてこう言った。
「私は逃げるつもりだったけど、いいこと聞いたわー。ならせめて、夜になるまで待とうか。夕食を届けたら見張りの交代時間だから、その隙にしよ」
「わかるんですか?」
「二日目からここに入れられてる私をナメないでよねー。夕食を届けに来る見張りの顔が、朝食の時見る顔と違うことくらいわかるって!」
それなら実行は夜にしようと示しあわせて、参加者を集った。もちろん、ここまで言われて残ると言う人はいなくて、全員での脱出を図る。
諦めた顔をしていても、本当は期待していたのか、彼女たちの表情は明るい。レオナールなんてぶっ飛ばしてやる、と拳を握りしめて語る人もいる。ともあれ、みんなが元気を出してくれてほっとした。
私は諦めるのが嫌いだから、もう十分、一生分の諦めを使い切ったから。
それに何より、王都に行って奴に再会し復讐を果たすまで、遠回りも停滞もしたくない。
ベラクローフさんは、3日はここに滞在すると言っていたから、一応まだ時間はある。助けは期待してはいけない。自力で、どうやっても逃げないと。
結局、頼れる人を見つけても、頼ろうとはしないのだ。私は。
出て来たよー 出て来たよー!




