番外)揺るぎないもの→
ここまで読んでくれての感謝を込めて、重たい愛を描きます。
生きていたくなかった。
あの子のいない世界で、生きる理由もない。
落ちて。落ちて、落ちて、もういない。
あの子はもう笑わない。怒りもしないし、泣きもしない。
僕に与えられた、あのただ一つの存在は、永遠に失われた。
ああ、あぁ。
なんて酷い様だ。
僕も君も、苦しみながら生きて、そして死ぬときすらも。
揺るぎないものはひとつ。
僕のこの歪んだ愛のみ。
◆◇◆◇◆
結愛が僕を置いて学校に行った。それは人生初めてのことで、衝撃を受けて彼女の家の玄関先で固まってしまった。
というのも、寝坊助な結愛を起こして学校へ一緒に行くという流れは幼稚園の頃から欠かしたことのない毎朝の習慣で、一度だってそれが途切れたことはなかった。それなのに、結愛が僕を置いて先に行ってしまったという。
今まで寝ていて先に出て行ったということにも気づいていなかったと言うおばさんに、一言の挨拶すらも忘れて通学路を急ぐ。もしかしたら、まだあの場所にいるかもしれないという期待を持って。
そして、結愛はやっぱりそこにいた。思った通り、怯えて縮こまって泣いていた。ほっとして、その小さな背中に息を切らしながら声をかける。
すると彼女は飛び上がるほど驚いて、僕の姿を目に移すと、どっと涙を溢れさせた。やっぱり、と思いながら結愛に駆け寄って、ランドセルから出したハンカチで涙を拭って、彼女が怯える猛犬から結愛を背に庇う。
首輪をして、リードも繋がれて、家の門扉に間を阻まれて、ろくに噛みつくこともできないのに、結愛はこの犬を酷く怖がる。確かによく吠えるが、襲ってくるわけでもないのだから、そんなに怯える必要もない。
けれど、結愛が僕を頼るから。それがうれしくて、吠えるだけの犬から僕は彼女を守る。
「なんで一人で行こうとしたの。怖いくせに」
「だって、おかあさんが凪に頼るのはやめなさいって…」
「そんなの気にしなくていいのに」
そんなこと言ったって、結愛にとって僕の言葉がおばさんより優先順位が低いっていうのはわかってる。それでも言わずにはいられなかった。だってそんなのは僕の本心じゃない。勝手に決めつけられて、行動が制限されるのはたまったものじゃない。それは結愛のことに限らず、だ。
いつも僕に世話を焼かれているからか、周りの人は結愛を一人では何もできない子だと思う人もいるかもしれないけど、実際の彼女はずっとしっかりした子だ。でも僕が結愛に頼られたいから、一人で頑張ろうとする彼女の邪魔をしてしまうんだ。
いつものように手をつないで、さっさと犬の前を通り過ぎる。ぐすぐす泣いていた結愛はもう泣き止んで、それでも手は繋がれたままで。その事実が撫でるように僕の心を穏やかにしてくれて、温かくなる。
僕には、ずっとそうなったらいいなって願っているけど、叶うはずのない夢がある。結愛が僕以外の誰とも仲良くなくて、僕以外の誰も頼らなくなってしまえばいい。僕だけが結愛に優しくて、僕だけを結愛が頼るようになればいいっていう夢。
けど、そんなのは難しいから諦めて、結局諦めきれなくて、こんな風に無理やり頼られるように仕向けて。おもちゃの取り合いをする小さい子たちを見て、これはきっと子どもながらのわがままなんだろうって思い込んで抑え込むけれど、その欲求は膨れるばかりで全く終わりが見えないんだ。
「凪、ゆあ早起きできるようになったから、もう朝来なくてもいいよ。早起きできるから」
「わかった。起こしには行かない。でも迎えには行くから」
いらないと言われてしまう前に、強く手を引いて信号を渡った。
「凪?」
「なに?」
おかしいのかもしれない。ううん、きっと普通じゃない。どうしても、欲しいものが手に入らない。いつになれば、叶うんだろう。もしかして、一生叶わないんだろうか。そして、結愛はどんどん大人になって、僕の手なんて取らなくなってしまうんだ。無理だ、きっと耐えられないよ。悲しくて、悲しくて、きっと僕は壊れてしまう。
まだ振り払われない手のぬくもりが消えないように願うんだ。




