哀れな私の前世と今世
新連載、よろしくお願いします。
しばらくは定期更新です!
びしょ濡れのまま街を徘徊する、みすぼらしい少女が立ち止まったのは、塩がこびり付いて変色した壁に貼られた、一ヶ月前の新聞だった。
恐らく、記事の内容に興奮した誰かが、お金を払えず新聞も読めない人のために貼り付けたものだろう。ぱたぱたと海風を受けて四隅が捲れる。
内容は、凱旋記事―――先の戦で勝利の立役者となった人物の姿絵が、記事の真ん中にでかでかと載っていた。
色付きだったために、髪の色と目の色が分かる。金髪碧眼の美男子だ。不機嫌な仏頂面だが、そんな顔を絵姿にしても許されるのだから、美形とはいろいろと得だな、と思う。
その名は、『ナギ・ファルマータ』。王の覚えめでたき帝国陸軍大佐。独身の26歳―――とかいういらない情報も添えて。
ずぶ濡れのみすぼらしい少女は、それを長い間呆然と見つめていると、突然、喉を震わせて叫んだ。
「はああああああ!? なんでこいつこんなところにいんのおおぉぉぉおお!?」
少女の海のように蒼い髪から、大量の水滴が辺りに飛び散った。
◆◇◆◇◆
憮然として椅子にどかりと座り込んだ私に、ベラクローフさんは苦笑を零しながらも何も言わなかった。
布製の椅子なら苦言を呈しただろうが、これは安っぽい木製のものだ。もう一人くらい座ったら壊れそうなくらいの。
苛々と踵を鳴らす。先程から収まらないこの苛立ちの原因はわかっている。というか、あれしかない。
不機嫌を隠そうともしない私に、ベラクローフさんは無言でタオルを差し出してきた。これで拭けと言う意味らしい。感謝して受け取り、それでもやはり苛々は収まらず、がしがしと乱暴に髪を掻き回す。
無駄に長く伸ばされた髪は邪魔でしかなく、同時にもう馴染んだ塩くささも改めて意識させられるようで、今はそれが酷く不快だ。
その乱暴な様子にため息を吐いた彼は、私の手からタオルを奪い取り、丁寧に拭い始めた。優しい手付きには労りを感じられて、なんだか心が凪いでいくような気がする。
「ありがとう」
「いや。しかし、女の子なんだから髪は大事にしろよ。折角こんな綺麗な色なんだし」
ベラクローフさんの心からの賛辞に苦笑する。最近、その言葉をよく聞いたな、と。
しかし、前に何度も聞かされた心にもないお世辞とは違い、彼の台詞には本心が籠っているからか、不快な気持ちにはならない。むしろくすぐったい。
「本当に綺麗だ。今まで一番綺麗だと思っていたものより格段に。今は、お前の髪と瞳が独走状態だな」
「何そのランキング。どうせその今まで一番だと思っていたのは海なんでしょ。本当に青が好きだよね」
「否定はしないが…」
分かりやすい男代表、ベラクローフ・マゼレルダ。海を渡る貿易船の副船長として働く、日に焼けた金茶の髪と灰色がかった青い瞳が印象的な色黒の、なかなかの美青年である。
彼は海を漂っていた私を引き揚げて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたらしい。元来世話好きな彼は、気が付けば船内で迷子になっている私をよく見つけては助けてくれる。いいお兄さん的な存在で、私の保護者的立ち位置にいる。
こんな身元不明な、髪の色も目の色も気味の悪い怪しい私を拾ってくれたことに、心から感謝している。それを本人に伝えても、やりたくてやったことだから気にするな、と大変広い器で受け入れてくれた。
そう、私は自分で言うのもなんだが、怪しい。
身元を証明する証もなく、海のど真ん中に漂っていたというし、そして何より、蒼い髪に碧い瞳という、常人では有り得ない色を持っている。
しかもやせ衰えており、体力も筋力もほとんどない。階段は10段が限界で、常に揺れる船の中では命の危機に晒されるほどにバランス力も踏ん張る力もないから、常に何かに掴まっているしかない状態だ。肌も日に当たっているのに青白く、残念ながら死顔に近い。
だから、どんなに私がこのおんぼろ椅子に体重をかけて座っても、こいつは壊れたりしないのである。
そのあまりにも不健康そうな少女にまさか絆されてしまったのか、今のところ警戒心を持って私を見てくる人はいない。
―――これで私がスパイとかだったらどうするんだろう、この人たち。
「なあ、そろそろ機嫌直ったか?」
「ちょっとは。それよりも、今日は叫んだから顎が痛いんだよね」
「おお、大変だなあ。明日はどこが筋肉痛だろうな」
「多分、ふくらはぎ」
予想がつく自分が嫌だ。いっぱいマッサージしておこう。三分と持たないだろうが。
「じゃあ、明日は朝一番で出航だから、しっかり眠っておけよ」
髪を拭いきって満足したのか、ベラクローフさんは上機嫌で部屋を出ていった。出航と聞いて、一気に胃が重たくなる気がした。この調子ではまた酔いそうだ。
そして、いつの間にか先程まで感じていた苛々が収まっていたことに驚いた。
◆◇◆◇◆
さて、考えてみよう。
そう思い立ったのは、すでに出港し揺れる船の中、酔いそうになりながら甲板で海風に当たっていたときのことだ。
船員にはそれぞれ仕事があるが、飛び入り参加で見るからに死にかけの私に何かさせようとかする人はいない。むしろ、目を瞑って風を感じていただけで水葬の計画が立てられたくらいだから、自主的に何かしようとしても止められるのだ。
ならば私は、次の港まで死にかけずに元気になることが、今やるべきことだろう。
しかし、いきなり動き回るのにも無理があるので、まずはこうして頭を働かせてみることにした。
―――そして冒頭に戻る。
あの凱旋記事の『ナギ・ファルマータ』という輩、実は私にはとっても見覚えがあった。
というのも私、前世は日本という国でごく普通の女子中学生だったのである。
この記憶が目覚めたのは10年前、まだ4歳の頃のこと。初めての死際で、三途の川の船を漕いでくれる人との会話によってだった。
『こりゃまあ、ちっさい子が来たねェ』
『ここはどこですか? さっきまであんなに苦しかったのに……』
『ここは三途。あちら側に渡れば戻ることはできないけんど、あんたは行くかい』
『う~ん』
悩むなよ、帰りなよ。と、今なら即決できるだろうが、あの頃の現世では楽しみなんか全くなくて、戻ったところでまたここに来てしまうことは明白だったからだ。
悩む私に、男女もわからない船漕ぎは言った。
『あんたは前世でも恵まれなかったが、今世はもっと酷いようだねエ』
『前世?』
『知りたいかい? 知ってもいいが、知ると戻るしかなくなるよ』
いっそ哀れむように告げる船漕ぎに私は頷き、前世の話を聞いたのだった。
このときは現世に戻れたのだが、ここには何度も来るようになった。見るたびにやせ衰え、髪だけが異様に長い私に、船漕ぎはいつも最後に、本当の死のときは、苦しまない死に方になるといいね、と言ってくれた。苦しまない死に方って、ギロチンとかでしょうか、船漕ぎさん。
そんなこんなで前世を聞かされ思い出した私は、この世の理不尽を呪った。
ではでは、私の前世をおはなししましょう。
気分が悪くなったらplease back!
前述の通り、私はごく普通の女子中学生だった。今世みたいな珍しい髪色でも美人でもなかったし、突出して頭がいいわけでもなかった。
普通じゃなかったことといえば、幼馴染の存在。
この幼馴染というのが、春俣凪だ。私より一つ年上の中学三年生だったが、こいつがあまりにも普通じゃなかった。
とんでもなく頭が良く、とんでもなく美男子だった。そこらへんの芸能人より遥かに爽やかで、優しくて人気者だった。
そんなやつが幼馴染ってだけで比べられて大変だったのに、こいつはいつもいつも私にくっついて来て、私がやる事成す事手は出さずにいられないみたいで、先回りされたりするととてもイライラした。
こいつといると自分がとんでもなく駄目な人間になる気がして絶望的な気分になったりしたし、母親からはあんまり凪くんを頼りにするなとか(手出してくるのはあっちだわ!!)言われるし、本当にいいことなかった。
しかし、これはまだ序の口。
本当に怖いのは凪でも母でもなく、女子たちである。
裏に呼び出されること数百回、水をぶっかけられたり教科書を捨てられたり靴を隠されたり給食で私だけ食中りを起こしたり。
そしてそのいじめは全て私のドジということにされた。水たまりに滑り込んで水浸しになって、教科書は間違ってゴミ箱に捨てちゃったことになり、靴は無くしたことになり、給食は食べ過ぎということにされた。
あの、私が笑われる度に裏で嗤っていた彼女たちの根性には感心するが、これらのことが起こる度にどんどん過保護になっていく凪を見てみろよ。本末転倒だろうが。
嬉嬉として私の世話をしてくる凪に、遂に不満が爆発したのは、凪が中学を卒業する日の前日。変わらず過保護な凪は、本番の合唱で私が失敗しないように練習しようとか言い出して、私は遂にブチ切れた。
これまでの不平不満を凪に当り散らし、いじめのことも言った。私の凪への本当の思いも、すべてぶつけた。
凪は信じられないと何度も零し、もう関わらないでと告げると、泣きそうに顔を歪めながら、ごめん、と一つ謝った。
喧嘩別れみたいになったその日、私は夜に彼女たちに呼び出された。彼女たちも卒業するので、私に今までのことを謝罪したいと言い出したのだ。苦々しく電話口でそう言ったことから、ああ凪がまた何かしたんだろうな、と気付いた。
謝罪してくれるならそれでもいいか、と私は安易に承諾して、テトラポットへ向かった。
そこで待っていたのは、やっぱり怒りに燃える彼女たちで。なんで信じちゃったのかなあって後悔した。
呼び出される度に言われていた文句に、「凪にチクった」という項目が加わった。本当に、あいつに関わるとろくなことがない。
自嘲する私に何を思ったのか、彼女は目を吊り上げて、私を向こう側へ突き落としたのでした。
テトラポットで頭を強打し、海水で溺れ死んだ。苦しむ中で思ったのは、この死さえ、私のドジとして片付けられるのか、という理不尽な結末に対する怨嗟だった。
その後のことは知る由もないが、どうなったんだろう。
さて、そろそろお気づきかもしれないが、この春俣凪という人間、私は確実にあの凱旋記事の主役として絵姿に書かれていた『ナギ・ファルマータ』であると確信している。
だって名前とか見た目とかそっくりだし、あの卒のない結果を出したことから見ても確信している。
なぜか、彼もこの世界に生まれ変わっていたらしい。どこまでも、私についてくるやつだ。
前世でも今世でも恵まれない私に比べて、なんだあの活躍ぶり。私に与えられた活躍の場なんて、殺されるときだけだったんだからな!
ああそうだ。今世の理不尽さについても話して置かなければわからないのか。
末端貧乏貴族の家に生まれた私は、この髪と眼の色から気味悪がられ、生きるのに必要最低限な世話しかされなかった。死にかけたことも何度もあるが、体力をつけるために運動することもできず、与えられる食べ物だけじゃ満足に動く事も出来なかった。
その結果、この貧相貧弱ボディが生まれたわけだが、突然、14歳になったその日、初めて外に出された。驚いたがそれ以上に初めて目にした世界に目を奪われていて、戸籍上の母親の様子に目が向かなかった。
訳もわからず連れてこられたのは、崖。小さな祭壇が建てられていて、崖の先端に立つことを私は強要された。教えられなくてもわかった。これは儀式なのだと。
見知らぬ人間ばかりの中、肉親のはずの母親は素知らぬ顔で私を見ていた。
事情を察することが出来たのは、お祈りをする誰かの言葉でだった。
『蒼い髪、碧い瞳、海の化身のこの娘を今お返し致します。我らに海の安寧を与え給え!!』
なるほど、と呟く。またしても私は海で死ぬのか。私が何かしただろうか。知らない内に海の神を怒らせたりしたのだろうか。ああもう本当に、世界というのは理不尽だ。
強い風に背中を押され、海へと身を投げ出された。
そして幾ばくか海を漂っていたところを、この船に救い出されたという経緯である。
お分かり頂けただろうか、私の哀れな略すところも殆どない略歴を。
この理不尽な人生は、前世から続く呪いのようなものだ。その全ては、あいつと関わってしまったことから始まった。
だから、長年の理不尽はまたあいつにぶつけるべきである!
いざ行かん、王都。
これこそが理不尽だとも、わかっていたけれど。
あわれなり……




