女神の化身こと私
ソファにでも降ろしてくれるのかと思ったら、抱き上げられたまま眼下で二人の会話が始まってしまった。
「今日のユアのやることはなんだ? 神官殿」
「貴方に説明する義務はないのですが……いいでしょう。ただの護衛ですからね、英雄様は」
ティノエはナギに対して随分攻撃的だ。どうしてなのかは何となくわかるが、ティノエは私より少し背が高いくらいだから、ナギの更に頭上から彼を見下ろす私からしても子犬が精一杯威嚇してるようにしか見えない。高みから見下ろすと、どんなものも威力が半減してしまうらしい。
気を取り直して咳払いをすると、胸元から紙を取り出して読み上げる。
「ユア様にはまず、都島に渡って深海神殿で女神の化身就任の儀式をーー」
「却下だ」
「なっ」
「ユア・デラクールは海軍の島から出ない。神殿へは行かない。理由は神殿は我々から彼女を奪おうとするからだ」
言い切る前にすげなく断ったナギに驚く。取り付く島もなく、反論も遮って強行するナギなんて初めて見た。彼は前も今も変わらず平和主義で、無表情と笑顔で標準装備に違いはあれど根本的なところは変わらないと思っていたから。
基本的に無駄な争いはしないし、口論も文句も言わない。だからびっくりしたんだけど。…ああでもそうだ。凪は反論も文句も言いくるめて自分の意見を通すっていう技も持っていて、私はそれに勝てた試しがない。無駄に頭が良いから波風立てないだけで、凪は結構自分勝手だった。
正面切って却下するあたり違うけど、今回もやっぱりその通りで、ちょっとした応酬ののち、弁舌に自信があるはずのティノエは簡単に言い負かされた。
「〜ユア様は良いのですか!? 彼らは貴女をこの島の中だけに閉じ込めようと言うのですよ!!」
矛先を向けられたが、私に聞かれても困るというものだ。返事はとっくに決まっている。私は私で自分勝手だから、あなたの望む答えは出せない。
「私は、みんながいる所に居たい」
「…神殿へは行かないと?」
「外を見てみたいとは思うけど…。でも、一人だったら何の意味もないよ」
例え籠の鳥だとしても、この白塔から地上を見下ろしたとき、目が合うと手を振ってくれる彼らが好きだ。私がつまらない思いをしてないか心配して来てくれる人もいるし、ここの人たちは、間違いなく優しい。怖いくらいに居心地が良くて、私はいつこの幸せが崩れるのかと内心ビクビクしながら過ごしてる。
長く居られるのなら、その方を望むに決まっている。それが甘えた考えだとしても、私はもう少し、この幸せを味わっていたい。すぐに泡になって消えてしまう束の間の時だったとしても、だ。
「わかりました。ですが私は諦めませんからね!」
いやいや諦めてくれ、と心の中では口を挟んだ。実際声に出さないあたり意気地がない。
「それで、予定は?」
◆◇◆◇◆
ティノエを通して、神殿から与えられた私のお仕事は複数あったが、特に重きが置かれたのが勉強だった。どうやら彼は私が隣国の人間だと知らなかったようで、読み書きから教えなければならないことに驚いていた。
ということはつまり、私の14年間も知らないということだ。知ったところで気分の悪い話なので、聞かれない限り語らないことにする。
文字の練習には自分でも意外だったんだけど苦労しなかった。前世から物覚えはいい方だが、英語はとにかく苦手だったからだ。それでなぜなのかよく考えたのだけど、私は英語の発音が苦手だったんだと思い出した。この世界の公用語は日本語じゃないけれど、私はそれを話せる。だから読み書きもできる。何てことだ、私実は優秀かもしれない。
読み書きと同様、ティノエが力を注いだのがこの国の宗教についてだった。彼は女神や神話の話になると熱くなって、それ以外のこととなると鉄壁な笑顔で、興味のなさを隠そうとする。
初めはベラクローフさんに似ていると思っていたけど、どちらかと言えばレストリックさんに近い。笑顔が仮面なところとかが。
ティノエの話はとても勉強になる。だけど、事あるごとにナギを敵視するから面倒くさい。仲裁する身にもなってくれ。
「この国には三人の女神がいます。言うまでもないですが、陽光、大地、深海ですね。そして彼の女神たちの化身として、それぞれ乙女を立てます。これらはそれぞれ独立した宗教ですが、大体の教えは似通っているので、大きな違いはありませんが、深海神殿の立場は圧倒的に弱いのです」
理由は言わなくてもわかりますよね、と確認をとってくるティノエに頷く。象徴となる存在がいなかったからだったはずだ。
「では、ここで一つ秘密の話をしましょうか」
いたずらっぽく人差し指を唇に押し当てて、内緒話をするように顔を寄せる。視界の端でナギが動いたが、ティノエは無視して話を続けた。小さな声で、ナギには聞こえないように。
「なぜ蒼髪の娘は存在しないのにも関わらず、深海神殿は長らく代わりにでも乙女を立てなかったのかわかります? もう神話の域のことですが、地上に実際に女神がいたからです。2000年以上も前、まだ国王が二代目だったときのこと。公にはされていませんが、確かに女神はいました。あの柱に描かれたように、彼女は蒼い髪と碧い瞳で、美しいひれを持ち、一人の人間の男を愛した。彼女はひれを奪われ、国に囚われ、彼の男を愛し、その手を借りて海へ還った。そして50年後、年老いた彼を迎えに来て海の底へと連れて行ったのです」
それは少女的な夢に溢れたおとぎ話。前世で言うところのデ○ズニーとか『人魚姫』みたいだ。深海の女神は、物語のように、窮地を救ってくれた人間の男に恋をしたらしい。とても普通のことなのだけど、何とも言えない違和感に襲われて微妙な顔をしてしまった。
理由がわからないけれど、もしかして私は女神に夢を見ていたのだろうか。彼女は恋なんてしないとか、理想を押し付けてたのかな。無意識に私と同じもので、彼女も恋なんかしないと考えて、勝手に裏切られた気分になっているのかもしれない。
「彼女が囚われていたのが、今貴女がここに囚われているように、この白塔なのですよ」
その台詞は、あなたも深海の女神のようになりつつあるのだ、と言外に言われている気にさせた。考え過ぎと思うのには無理があるくらい、ティノエは女神の化身を海軍から引き離したいと考えているはずだ。
深海神殿と海軍は敵対している訳では無いらしいが、私の処遇については別なようだ。つまり私の処遇を自分の自由にする権限はないということなのか、と頭を悩ませている。
あまりにも場違いが過ぎて他人事のようだけど、これは私自身のこれからに関する問題だから、こればかりは流されずにいたいとも思った。
ここでティノエはやっと内緒話を終えて、背中を椅子の背もたれに預ける。相変わらず表情はいたずらっ子のままで、扉の側に立つナギを見る。
「これは深海神殿の禁断書にしか載っていない真実です。この話が広まってしまえば、女神教に影響が出るのみならず、理由は言えませんが王家の威信も揺らぎかけません。内緒ですよ」
「なら、どうして私に話したの?」
訊ねると、ティノエは視線を私に戻し、口を引き結んで表情を引き締めた。真剣な顔は見慣れなくて驚いたのだが、私のそんな顔は気にならないらしい。
「神殿は実際に蒼髪が存在することを知り、いつか現れると信じ、いくら力が弱まろうとも貶されようとも代わりを立てることはありませんでした。海軍もそうです。ユア様、貴女は確かに我々に望まれてここに居るのです。それを忘れないでください」
あなたを待っていた、なんて言われたら嬉しいに違いない。最近の自分は存在意義を見失ってばかりだ。目的も生きる意味もわからなくなりそうだったし、とりあえずこうするとは決めたけど、その決断にも迷いがある。
私は心すらも強くあれないし、髪色と目の色が独特ということ以外に何も持たず、ちょうど死に方以外に望みもなかったから、この道を選んでみただけだ。
何かをしたいという希望もないけれど、ただし縛られるのは嫌だ。自由が欲しい。なんだこれ。丸っきり引きこもりニートのわがままじゃないか。改めて自分を見直すと、自分がいかに中途半端なのかわかる。どうにかしたいとは思うけど、どうすべきなのか皆目見当もつかない。
いつか、将来の夢はなんだったっけと思い出そうとしたことがあった。苦い記憶が蘇ったけれど、結局結論は出せないまま、そんなことすらも中途半端だからダメなんだよなぁ。
求められている役割は、たぶん私が望む生き方と相反する。けれど、求められているのなら自分を投げ打ってでも役に立ちたいとも思う。それはいけないことだろうか。
「私は、貴女が現れてくれて嬉しい」
彼の言葉に救われる気分になるには、言外にかかるプレッシャーが重すぎた。
じっと身じろきもせず扉の横に居たナギが突然声をかけてきた。
「そろそろ夕食の時間だ。神官殿は食堂か?」
「ああ、もうそんな時間ですか。いえ、私はお世話になる屋敷の方で夕食の誘いを頂いていますので」
そう言って腰を上げたティノエは、机の上に置いていた教材の山から、絵本をひとつ引き抜いた。表紙をこちらに見せて「創世の女神たち」と題名を読み上げる。
「この国の誰もが知っている物語で、内容もおもしろいですよ。宿題はこれを読むことです」
「わかった」
深緑色の表紙のそれを受け取ると、彼は扉の方を振り返ってしかめっ面でナギを見た。さっきまで微笑みを浮かべていた顔が、一瞬の間で引きつるという高等技術が今日一日で惜しげも無く使われている。
「ユア様はどこでお食事なさるのですか? まさか食堂ではないでしょうね」
「いや、ここだ」
わかっていたことだが、ティノエは私が食堂で食事をすることを好まないようだ。みんなで顔を突き合わせてご飯を食べることの何がだめなのか自分ではよくわからないけれど、この三日で少しは慣れたから大丈夫だ。
それならよろしいと言うように頷いて、部屋を出て行こうとする彼のために扉を開けたナギに、またしても攻撃的に声をかける。
「もしかして、あなたもここに居るつもりですか?」
「ああ。俺の仕事はユアの警護だ。食事で離れる訳にはいかない」
「いけません! そのような大義名分に縋って食事中までユア様の側に侍ろうなどと…」
「いてくれるの?」
ティノエの罵倒を慣れたように無視していたナギに、驚きとともに微かな期待を投げると、彼は私にとっての特大ホームランを返してくれた。
喜びでぶるぶる震える私を見る彼の目は優しい。無表情なのに温もりを感じるのは、空色の瞳が眩しげに細まって柔らかいからだ。
しかし、それに反比例して悪くなったのはティノエの機嫌の方。
「ユア様、この男は地位のためにいとも簡単に改宗して、しれっと貴方の傍に侍ろうとする男なのですよ! 信用してはいけません!!」
「そうなんだ」
「ぐっ」
こだわりを持つ彼にとっては許せないことなのだろうけど、そんなヘッドハンティングはよくある事だと思うのだ。凪は野球チームにもサッカーチームにも将棋仲間にだって誘われていたし、より魅力的な方に人は靡くものだ。ナギにとっての海軍がそれだっただけだろう。
「ティノエはナギが嫌いなの?」
「……私は、そんな男が信用できないだけです」
何か言えた立場じゃないから、大丈夫だよ、とも確かにそうだよね! とも返せなかった。信用はナギに自力で高めていってもらうしかない。しかし、信用なんかなくてもどうでもいいと思っている節があるのが問題だ。
この二人、傍から見ると大型犬に必死にきゃんきゃん吠える小型犬を見ているような気分にさせられるなぁ。心配するのと癒されるのが同時に来るからままならない。
精一杯、満足するまで吠えたティノエは、乱れた髪を整えて改めてこちらに向き直った。
「それでは、ユア様、くれぐれもお気をつけて」
「はあい。また明日」
「また明日」
手を振る私に、にこりと笑んで、振り返りざまに扉を押さえてくれるナギを睨み、彼はさよならをした。扉はゆっくりと閉じて、黒と白の背中を追い出した。
小さくため息を吐いたナギの横顔を見上げると、すぐに目が合って、無表情で見返される。なぜか、そのまま数秒間無言のまま見つめ合った。
「あのぅ…夕食はお二人分でよろいでしょうか?」
肩を縮こまらせて声をかけてきたのはマーニャさんだ。マーニャさんはティノエがいる間は席を外して、塔の中の掃除とかその他もろもろをしてもらっている。そうしたいと申し出てきたのは彼女の方で、もしや神殿と何かいわくでもあるのかと心配したが、それはいらないものだったようで、最初に挨拶を交わした二人はどちらも笑顔でごく普通だった。
申し出た理由は単純に、総統様によってそれも彼女の仕事のうちになってしまったからだそうだ。ここには掃除婦も立ち入られないらしい。私も手伝うと申し出ようとしたら、その思考は読まれていたらしく、口を着く前にお流れになった。マーニャさんが優秀過ぎて、私のところにいてもらうのがもったいないと思うんだ。
「いや、俺は護衛だ。ここで食事はしない」
「え、た、食べないの?」
ショックを受ける私に、ナギは驚いた顔をした。目を見張って、引き結ばれていた口が緩く開く。あ、めずらしい顔を見た、と思った。
「そっか…食べないんだ」
自分でもそれとわかるくらい、肩が落ちて言葉が死んでいった自覚がある。まずい。こんなにあからさまにがっかりしたら、二人が気を遣ってしまう! 特にマーニャさんに迷惑がかかる!!
ぱっと顔を笑顔に戻して、明るい声を出そうとする。一瞬で表情を変えるなんていう高等技術は習得中なので上手くいかなくて、頬がひくひく引き攣ったが、そんな取り繕った顔は一瞬で緩んだ。ナギがいきなり抱き上げてきたからだ。
「泣くな、大丈夫だ。ごめんなユア」
「泣いてないから! からからに乾いてるから!」
まるで泣きわめく赤ちゃんをあやすみたいに、抱っこされて縦と横とに揺すられる。揺れが激しいものだから、反論の声もゆらゆら揺れて正しく伝わったのかどうか。しかし、眼下に見える彼が、無表情で困惑しているのはわかった。不思議と、私はとても冷静にそんなナギを見ていた。
「ユア、泣かないで」
だから泣いてないって言うのに。……いやちょっと待て。ここで泣いたら、ナギは折れて一緒にご飯を食べてくれるのではないか? これは名案だ、と目元に力を込めて瞬きを堪えて生理的な涙を流そうとしたら、涙が零れるのより、目元が赤くなった私を見て彼が折れる方が早かった。
勝利した私がお願いするより先に、マーニャさんが微笑ましそうに「お二人分、用意してきます」と気を利かせてくれた。
一日を離塔で過ごすことになってから知ったことだが、塔の中には3つ部屋があって、一番上を寝室、真ん中をリビングみたいなくつろぐところ、その下を来客をもてなす所兼食堂にしている。
ティノエとの勉強は真ん中の部屋でしていたから、階段を降りて食堂に向かった。なぜかナギは私を腕から降ろしてくれなくて、ここは仕方なく私の方から折れた。
マーニャさんたちが用意してくれた料理を挟んで、向かい合って座る。目の前に誰かがいるっていう状況が何だか嬉しくて、知らずハイテンションになる。そのせいでナギにどうでもいい話をしまくったんだけど、彼は迷惑そうな素振りも見せずに付き合ってくれた。
「神官殿には内緒だからな」
「秘密ね」
他愛のないやりとりにナギの頬が緩むたび、私は凪を思い出していた。
嫌いなのに、どうしても消えないから。




