私は女神ですか
その香りのする場所を探して匂いを辿る。ベラクローフさんに見られでもしたらお前は犬かと笑われていただろうが、ここに居るのはマーニャさんだ。何の問題もないかと言われたらいささか微妙だが、頭を叩かれたりはしない。
そうして辿りついたのは、やっぱりっていうか厨房だった。何十人というコックさんがせかせか動き回って働いている。扉の影から覗き込むこちらの視線には気付く暇もないようで、叱咤と情報が飛び交う様子は先程見た訓練にも劣らない戦場だ。
そんな中漂う、この鼻を擽る懐かしい香り。ああカレー!! 日本のカレーッ!!
本場のカレーは終ぞ食べることは出来なかったが、私は前世、よく電車の旅をして、都会にある本場の人が開いた本格派カレーをよく食べに行ったのだ。それくらいカレーが大好きなのだ。
よくよく嗅いでみると、ここで調理されているカレーはそんなスパイシー強めなカレーではなくて、日本人向けの少々甘い風味のそれらしい。
大丈夫。私はカレーならば選り好みしない。ただ欲を言えばパンよりも米! 米よりもナン! しかし今回のような香りのカレーならば米が……
「お嬢様!」
「邪魔!!」
思う存分香りを堪能していたら、横殴りの衝撃によって私の体は真横に吹っ飛ばされた。
焦って駆け寄って来るマーニャさんに抱き起こされて、よろよろと衝撃のもとを辿ると、そこには私よりも衝撃的な顔をして自分の手と私を交互に見やる女の子が居た。
ここではごく一般的なボブの茶髪と薄い茶のつり目気味な瞳。そして身に纏うのはエプロン。もしや彼女はここで働く女の子なのではなかろうか。このむさ苦しい男所帯の中で女の子がいるじゃないか!
奇跡を見た気がして呆然としていたら、彼女は叫んだ。
「あたしそんなに強く押してないわよ!?」
「あ、大丈夫です。私が踏ん張ってなかっただけです」
逆にショックを与えてしまったみたいで申し訳ない。賭けてもいい。彼女は悪くない。
少女は気丈に取り繕って鼻を鳴らす。
「そこに居られると邪魔なんだから、さっさと退きなさいよね!」
と、開けっ放しにしていた観音開きの扉をバンバンと固く閉じた。誰の目にも明らかな強い拒絶を受けて、私の顎は落ちたままになる。
思えばこの色を持って14年、このようなあからさまな拒絶を受けたことは無かった。父母は私を受け入れはしなかったけど、面として拒否したことはなかったし、家を出てからもこんな攻撃を受けたこともない。
普通なら傷付いて落ち込むか怒ったりするのだろうが、何故だか私は奇妙な懐かしさを覚えてしまった。
ああそうだ! 過去だ! 前世だ! 結愛の記憶だ!!
そうだったそうだった。結愛は凪のせいで罵詈雑言を浴びるのは日常茶飯事、容姿否定・人格否定・存在否定は当たり前だったのだ。そのおかげで私はメンタルと聞き流し力が鍛えられたわけだが、感謝なんかしてやるか。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うん、全然大丈夫。どこも怪我してないよ」
杖をついて立ち上がって見せると、マーニャさんはほっと息を吐き、顔を緩ませた。
「突然走っていなくなるので驚きました。まだ万全ではないのですから、無理なさらないでください」
素直にはぁいと返事をして、閉じられた扉に背を向ける。できればもう少しだけでもカレーの香りを堪能したかったけど、迷惑なものは仕方ない。もしかしたらあれがお昼ご飯なのかも知れないし、期待して待っていよう。
お昼といえば、朝にベラクローフさんがお昼の前になったら集会があるって言ってたよね。今の時刻は日本の11時あたりだから、今向かうのがちょうどいいのかな。
いや待て。私たちは広場への向かい方を知らない。更に言えば人が圧倒的にいない。辛い。困り過ぎる。一応、ダメもとで聞いてみるか。
「広場ってどこかわかる? マーニャさん」
「申し訳ありません」
だよねー! 大丈夫お互い様だから落ち込まないで!
さっき来た道を指差して提案すると、マーニャさんはすぐさま首を横に振った。
「とりあえずあっちに行ってみようか」
「お待ちください。動き回るのは危険です。人に聞きましょう」
「でも、誰もいないし…。それにこの間道を尋ねたらナンパされてたし」
私はあの一件を未だに根に持っている。あの後のことは知る由もない。知りたくもないわ。
それもそうですね、と頭を悩ませる彼女が、口を開こうとしたとき、よく知った人が回廊から現れた。
「レストリックさん!」
「ユア! ちょうど探してたんだ。よかったすれ違わなくて」
遠くから目が合うと、ふわふわの茶髪を揺らしながら駆け寄って来た彼に、すれ違いざま右手を取られる。なぜ手を取られたのかわからなくて突っ立っていたら、「行こう」と焦った様子で引っ張られるから思わず足が出た。
こんな強引なレストリックさんは初めてだ。彼はいつもおっとりしていて、にこにこ顔が常で、マーレットさんとハイレさんに絡まれると困った顔をしていた。彼は間違いなく引っ張るより引っ張られるタイプだ。いやそんなことはどうでもいいのだが、何がそんなに彼を焦らせるのかわからない。
振り返ると、付いて来てると思っていたマーニャさんがいなかった。驚き過ぎて足が絡まって転んでしまった。いきなり過ぎて手も離せなかったレストリックさんが繋がれたままの手を引っ張って助け起こしてくれる。その力が強くて、ああ男だ、なんて思った。
「マーニャさんがいないんだけど!」
「目で断ったから大丈夫だよ」
目で断るってなんだそれは、テレパシーか。だから心配しないで、と微笑む彼に一応私はほっとした。私が転んだせいで勢いを失った彼に訊ねる。
「どうしたの、何かあった?」
「今日これから1週間に1度の集会なんだけど、今回はユアのことを皆に紹介する予定だったから探してたんだ。それで、実はあと3分しかない」
「えええええぇぇぇ」
あと3分!? これって遅刻かな!? 遅刻だよね!
「ここからそこって遠いの!?」
「俺が走って3分かな」
なら私が私が走ってその倍くらいかな。遅刻確定だ。
「ごめんね、俺が抱えて走れたらいいんだけど」
「そんなことはしなくていいから」
むしろ断固拒否だ。
抱っこされるのは楽でいいけれど、私は一応花も恥じらう14歳の乙女である。荷物よろしく俵担ぎとか、一本の腕に乗って座るのとか恥ずかしいんだから。やめてほしいよね、あのエリート二人組。
苦しい。息切れがやばい。足が重い。軽い捻挫はもうほとんど治っていてそこに痛みはない。だがしかし、船で鍛えていた頃とも火事場の馬鹿力とも違って、かつての力は今の私にはない。あの頃の自分って神がかってたんだ、と改めて思う。
何度かあった曲がり角を全部左に曲がると、だだっ広い広場に赫々たる様子で並ぶ海兵の海があった。白と青が一寸の狂いもなく列になって並んでいる。
集会はもう既に始まっていて、海兵たちが一心に見つめる先では白ひげを蓄えたおじさんが、巻物みたいなのを高らかに読み上げていた。この広い空間に響き渡るのだからなんて声の大きさだ。このおじさん、もしやオペラ歌手になれるんじゃないだろうか。
レストリックさんがしーっと口元に人差し指を当てるのに頷く。心配しなくても、この状況でうるさくする精神力はないから大丈夫だよ。疲れ切って力尽きてるも同然だし。
壇上の横に一列で並ぶのはマントを羽織った偉そうな人達だ。何だか運動会の開会式を思い出す。そうなると海兵たちは児童で、偉そうな人達は先生になるのか。それで私たちは遅刻してきたお間抜けか。
そーっと連れて来られたのは、先生…じゃなくて偉い人達の列の後ろだった。みんな総じてでかく、マントが風に翻るお陰で私の姿は傍から見えないだろう。そこでレストリックさんが手を離して居なくなろうとするものだから、私は焦って離された手をまた掴んだ。
どうしてこんなところに置いていこうとするのだ、裏切りか!? と思ったら、彼は苦笑して私の真ん前に立つ人を指差した。見ると、既に私たちに気付いていたらしい彼と目が合って、にこっと微笑まれた。
「遅刻しちゃったな、ユア」
「ご、ごめんなさい」
「いいや、俺もうっかりしてたからお互い様だ」
そういえばエリート組の偉い人だったベラクローフさんは、左足を一歩引いて私の隣に並んだ。ありがとうレストリック、と手を振ると、彼は軽く頭を下げて海兵たちの中に消えて行く。
その背中を追うと、見知った顔がたくさんあって安心した。それにしても、丸坊主とヤクザがとてつもなく浮いている。爽やかさしかない制服は、あの二人には似合わないようだ。いや、決して彼らが汚いとかそういう意味じゃなくて、浮いているのだ。
「ちょうど良かった。これから海賊の件の報告だから。ユアも気になってただろ?」
「うん」
部外者の私が聞いちゃダメだろうなぁと思っていたから、気になっていてもあえて聞かないでいたのだが、説明するのが面倒だっただけらしい。なんともすっきりしない理由である。
おじさんの報告は長ったらしくかたっくるしかったので割愛するが、簡単に言うと、ベラクローフさん率いる特殊部隊が中心となって人身売買をしていた海賊を捕らえ、麻薬密売組織との繋がりも見つけ万々歳だったそうだ。
てっきり褒められてみんな喜んでいるだろうなと思ったら、みんながみんなどうでもよさそうな顔をしていた。関係ないって顔してないで喜びなよ、と肘でベラクローフさんをつついたが、不思議そうに見られただけで思いは全く伝わらなかった。
彼らがそうなのは、この拍手さえも許さない厳格な雰囲気のせいだろうと結論づけた。じゃなかったら感情の有無を疑う。
報告は全て終わったらしく、おじさんは一礼すると壇上を降りた。そして次にそこに登ったのは総統様だった。見上げると、白い口髭が光を透かして眩しい。
目を細めながらぼうっと見つめていたら、目が合って手招きされた。ばっちり目が合った気はしたけど、あれ呼んでるのまさか私じゃないよね。否定して欲しくて隣のベラクローフさんを見上げたら、彼は当たり前みたいに「行っておいで」と私の背中を押した。
「ちょっと待って助けてくれないの!?」
「ユアが嫌なのもわかるけど、俺はそうなって欲しいから、ごめんな」
「意味がわからない!」
何を考えているのかわからないベラクローフさんに押され負けて呆気なく壇上へと登る階段まで来てしまった。上から優しく差し伸べられる大きな手を拒否することもできず、嫌々なのが顔に出ないように階段を登る。
上に立って目に飛び込んできた光景に息を呑む。ずらりと並ぶ海兵たちの向こう側には、陽の光を反射してキラキラと輝き波打つ広大な青い海があった。高い所から見下ろす海は、こんなにも美しかったのだと初めて知る。船に乗る前まで、私は水平線の向こうは海と空が繋がっていると思っていた。けれど空と海は全く違った色を持つ。それを実感するたび、私は自分の髪を見て、私は海の一部だと思うのだ。
ベラクローフさんの瞳もそう。けれど、ナギの瞳は海ではなく空の色だ。私とは違う色。だからきっと溶け合えない。
海に見とれていて、突き刺さる視線から逃避できていたのは良かったかもしれない。しかし、逃避し続けるにはあまりに衝撃的過ぎる台詞が横からどかんと勢いを持って飛び込んできた。
「喜べ、我らの女神が降臨なされた!!」
「おおおおおぉぉおおおー!!!!」
「ええぇぇーー!?」
現在、アルファポリスさんで結構な加筆修正をしながら投稿中です。
誤字脱字多過ぎだし展開訳分からんしで皆さんに御迷惑おかけしまくっていたんだなぁと死んでます。
あっちの方が正しいのですが、こちらを修正するのにはまだまだ時間がかかりそうです。
ちゃんとしたのを読んで欲しいので、時間がありましたらばそちらの方をよろしくお願いします。
大丈夫、修正するつもりはあります!
https://www.alphapolis.co.jp/novel/43157025/896167322




