つまり私は、
長らくお待たせしました
宴会の翌日の早朝。欠伸を殺しきれない若い海兵らとともに、船に乗り込む訓練兵を眺める男三人。
悪そうな見た目に、ティッシュ(煙草)を加える男。
ねむそうにうつむく坊主頭。
早朝の気だるさを忘れたように、にこにこと笑う少年。
彼らを後ろに従えながら、一人一人との別れを惜しむ小柄な少女。
同年代の少年達相手に敬意を払うように、彼女は最後まで泣かなかった。
そんな様子を窓から眺める青年の青い瞳には、揺れる心が映っているようだった。
◆◇◆◇◆
早起きして訓練兵たちを見送ったあとに、私は塔には戻らず、そのまま食堂へ向かった。ぞろぞろと移動する海兵に紛れ、席を取ってまっていたマーニャさんに感謝しつつ、さっと席の周りを固めた彼らに軽く引く。
ベラクローフさんはむしろ当然のように左隣に座り、反対側にはマーニャさんがいる。向かい側には年齢も階級もちぐはぐな男衆が歓談する。
最早緊張感すらなくした彼らに囲まれるのは、決して嫌ではない…………やっぱりちょっと嫌かもしれない。
まるでSPのように張り付かれ、緊張感はないが息苦しさを感じる。いやいや、感謝はしているよ? 話しかけようとしてくる海兵たちを軽くいなして、さりげなく守ってくれている。
わかっていても、守らなければならない人間だと思われていると考えると、なんだかなぁと思う。私は弱い。とても弱い。マーニャさんにだって勝てないだろう。
だから、守れているという事実が、悔しかったのだ。
「ユア、今日はどうする?」
「うーん、ここの探検したいかな」
ベラクローフさんが笑顔で尋ねてくるのににこやかに対応して、マーニャさんが「私もご一緒しますね」と名乗り出てくれたことに心の奥で拝み倒して感謝します。
「そうかー。じゃあ頑張って。ただし怪我をしないようにね。あと昼の前に集会があるから、そのときは広場においで」
既に食事をし終わっていたベラクローフさんはぽんぽんと頭を撫でて、迎えに来たらしい海兵とともに優雅に立ち去っていった。
その後ろ姿を見送って、マーニャさんが身を寄せて耳打ちする。
「……随分あっさりしていますね。坊ちゃま」
「うん、そうだね」
なぜかそんなベラクローフさんに僅かな不安を抱きつつ、一向に減らないパンを齧る。固いパンはまるで噛みちぎれない。というのもこれは、スープに漬けてから食べるものだったらしい。切れ目に沿って千切り、水分で柔らかくして、そこから口に運ぶ。
そんな方法なんて知らなかったわたしは、顎が痛くなるくらいまでガジガジして、それに気付いたマーレットさんの「お前スープは?」の一言でやっと正しい食べ方を知ったのだった。
「お嬢様、顎は大丈夫ですか?」
「……はい」
そんな台詞で心配される自分情けない。
所変わって塔の中。長いながーい階段の中腹にわたしたちはいる。
朝食が終わって、食堂を出て解散と同時に入れ替わりでナギ・ファルマータが入って来て目が合った。そこから何が起こるでもなく、すぐさま顔を逸らして駆け去った私に対して、マーニャさんが不思議そうな顔をしただけ。
でもなぁ、どうしてだろう。……ナギ・ファルマータに見られている気がして仕方ない。昨日やって来たばかりの私に、記憶のない彼が目を向けるのは何故か。
―――命を助けたから?
まあそれが一番有り得る。ってかそれ以外に理由があるか? ……まさか、一目惚れ!?
「なわけあるかい…」
痛ましい。ものすっごい痛ましい想像をしてしまった! うわああああああやばーい、自分がかわいそうううぅぅぅ!!
頭を抱えて悶える。
マーニャさんにいらない心配をかけるのも申し訳ないので、どんよりとしたオーラを漂わせながらも、杖をついてのろのろと階段を上る。壁と杖とに支えられながらなので、どうしてもスピードは遅くなってしまうのだが、そんなわたしを彼女は面倒くさがりもせず待っていてくれる。
やっと塔の上に辿り着き、窓際の安楽椅子に倒れ込むように腰掛ける。たっぷりのクッションで座り心地の柔らかいそれは、一度座ると病みつきになる心地良さだった。
腰を落ち着けることなく戸棚に向かったマーニャさんを横目に、上がった呼吸を整える。
「ユア様、お薬はどうしますか?」
「塗ります!」
昨日、医務室でもらった筋肉痛用の塗り薬を痛む筋肉に擦り込むように塗る。痛む筋肉とは言っても、ほぼ全身にあたるのだけど。軟膏を塗りたくって、それが肌に染み込んで乾くのを待つ。この世界では塗り薬はそうやって使うものらしい。その間は動けないから、マーニャさんとこれからの話をすることにした。
「思うんだけどさあ、私って何を求められてここにいるのかなあ」
「深海の女神の半身としてではないのですか?」
椅子に背中からもたれかかって足をぶらぶらさせながら、私の髪を梳いてくれている彼女に愚痴のようなことを漏らす。愚痴というか文句というか……とりあえず不平不満ではあるのでそこの細かいニュアンスを伝えることは諦める。
「そう言われたけども。でもそれだけで何の役にも立たない私をここに置く意味がわからないんだよね。戦えるわけでもないし、大して働けもしないし、情報すら持ってないもん。絶対損しかないって」
「そうでしょうか? そう言われればそういう気もしますが……。つまりお嬢様はどうしたいのですか?」
サイドの髪を両側から編み込んで、合流地点で下ろしていた髪と一緒にまとめ上げると、前髪を右に流してピンでとめる。流れるような作業に感心しながら、彼女からの問いかけの答えを考える。
つまり私は何がしたいのか。もちろん復讐だ。凪への、哀れに死んだ“私”にせめての死後の安らぎを―――ちょっと大袈裟だけど―――けれども私は気付いてしまった。そんな方法はないことに。
だってその復讐をする相手すらここにはいないし、方法だって考えつかない。あいつに何をすれば復讐が果たせるのか、なんてこと考えついていたら前世でとっくにやっている! 凪は私に冷たくされる度に傷ついた顔をしていたけれど、それによって私の心がスカッと晴れたことはない。それに、今現世にいる前世の記憶のないナギ・ファルマータにそんなことをして何になる。ただの態度の悪い小娘じゃないか!!
ということで、復讐は一旦脇に置いたが、一応諦めた訳では無いということは宣言しておく。私はそんなに諦めのいい女じゃないのだ。
うーん、それにしても私は何がしたいのか。これまで流れに流れて生きていくしかなかった私が、自分の意思で何をするか考えるのはとても骨が折れる。14歳で死んだ前の私はそこまで具体的な夢は持っていなかった。小学生のときには「せんせいになりたーい」とか言っていた気がするが、同時に凪の「結愛は僕のお嫁さんになるんじゃないの?」という自意識過剰な台詞も思い出して擦れた気分になった。どの口が言うか。
「うーんと……」
いくら頭をひねっても答えの出ない私にマーニャさんは微笑んだ。
「急ぐ必要はないと思います。誰もお嬢様に責務を押し付けてこないということは、まだ何も求められていないということですから、お嬢様はいくらでも考えていいのですよ」
優しい言葉に胸を打たれる。さっき擦れた心が薬を塗られて癒されていく。なんて人だ貴方は! 女神よ!!
すっかり薬が染み込んで癒えた足と心。彼女から差し出された杖をお礼とともに受け取って、今日の予定を遂行すべく階段へと続く扉へと向かう。
「じゃあまずはハイレさんのところに行こう!!」
「はい、お嬢様」
◆◇◆◇◆
マーニャさんと連れ立って、ハイレさんがいると聞いていた北の訓練場へ行ってみると、そこにはマーレットさんもいて、彼らは兵士たちと剣を持って鍛錬していたから、これは邪魔できないとしばらく眺めてから立ち去ろうと、2階の観覧席から眺めていたら、仰向けに倒れ込んでいた兵士の一人に見つかった。
「女神様ー!!」とか言う黄色い歓声に驚いて、ひゅっとしゃがんで手すりの塀に身を隠す。どこだとこだと騒ぐ兵士たちの声。彼らの剣を持つ手を止めさせてしまったことはごめんなさいと謝るしかないけれど、そうっと覗いた時のあの二人の行動には驚いた。
兵士たちの手が止まったのをいいことに、胸元から煙草を取り出すマーレットさんと、剣を放り出して素手で格闘を始めてしまったのがハイレさんだ。
彼は一番近くに居て上を見上げてぼーっとしていた青年の腹に背後から腕を回し、そのままバックドロップしたのだ。ちなみにそのとき、「バックドロおおおおぉぉプッ!!!」と奇声をあげるのを忘れずに。
あの人、マーレットさんが煙草吸うのやめられないのと同じくらい格闘技好きだもんね。船の上でも暇があれば関節技開発してキメて楽しんでたし。餌食になる方にはご愁傷様としか言えない。
突如始まった格闘大会で兵士たちがもみくちゃになるのを見届けずに立ち去ろうと、煙草をふかしていたマーレットさんに手を振ってさよならする。ひらひらと力なくだが、一応返してくれたことに満足してそこは後にした。
そのまま当てもなくふらふらしていたら、角を曲がって反対側から現れたのはあの海軍総統のレグロスなんとか様だった。護衛も連れず一人でのんびりと歩いている。えっと、えー、どうするべきなんだろう。避ける! まず避けるよね…で、あいさつとかしてもいいの? っていうかするべき? 会釈くらいでいいかな。ああでもどうしよう!!
おろおろしていると、目尻に皺を寄せて柔らかく笑う総統様が片手をあげながら近付いてきた。
「おお、デラクール殿! 元気か?」
「ほはい! 元気です!!」
「そうかそうか。何よりじゃ」
鷹揚に頷き、はははははと笑いながら去って行く背中を見送る。親戚のおじいちゃんみたいな雰囲気だったな。
微妙な気分になりながらマーニャさんと顔を見合わせて、同じタイミングで前を向くとまた歩き出した。
意外な人物に出会してしまったけど、それによって予定が変わることはない。もともとあってないような予定だけれども。
通りすがりの人たちに目が合うと会釈しながら当てもなくふらふらしていたら、そりゃあ疲れる。そしてやっぱり珍しいものは珍しいのか、髪と瞳に強い視線を感じた。不審者としてとっつかまっても仕方ないよな、そうなったらベラクローフさんに助けてもらお〜とか考えていたのに、その気配すらないものだからここの警備体制はどうなっているのだろうと(私が暴れたところで大した被害も出せないとは知っているけれども)心配すらしている。
総統様が現れた角を曲がると、鼻先をかすめる香りがあった。
なんだろうこれは。とても懐かしいスパイシーな、けれど甘い香り。記憶の奥底にあるものをその香りが刺激する。
「マーニャさん、いい香りがする」
「そうですね、これはルーの香りでしょうか」
ルー? いや確かにこれはルーだけどでも絶対それだけじゃなくて……。
一瞬の瞬きの間、脳裏に蘇ったのは記憶だ。さらさらゆれる金の髪と微笑む口元。まだ幼さを残す手からスプーンに乗って、はいと差し出せれたのは―――
「カレーだああああああ!!」
そして私は、運命の出会いを果たす。




