存在理由
お医者さんが悪魔に見えたのは初めてだった。
わたしの持っていたカードは無くなり、ジョーカーだけになった手札。
そのジョーカーさえ、無くなった。
取り払ったのは、目の前にいる この人、
わたしの担当医を務める 若い男性。 わたしより少し年上なくらいだ。
その男性医師が、とても承服できないわたしの身の内を
わたしにゆっくりとした口調で語っていく。
わたしの身に起きた衝撃的な事故と、その原因に伴う
長期間に渡る意識不明の状況と環境について。
わたしは2度目の気絶の危機にさらされながらも
必死に目に力を入れ、口を精一杯に結び
とても重厚な説明を大人しく聞くより他なかった。
わたしは國北藍生、建築現場で働く作業員、年は26歳。 事故当時、25歳。
現場での崩落事故により意識不明の状態で、労災指定病院である
この病院に緊急搬送。
目立った外傷は無く、頭部強打の疑いあり。
幾つかの検査を行うも原因解明できず、以後10カ月に亘り昏睡状態が続く。
存命の家族は無く、会社社長が身元引受人。
後日、労働基準監督官と共に状況説明のため来院。
友人、恋人の有無は不明。 連絡のやり取り・未記載により不明。
完全看護・個室使用。
医療費等、労災申請により本人からの徴収無し。
※ 昨日の覚醒により、検査継続・食事制限・リハビリ開始の手続準備
併設別棟へのベッド移動は可能か? ( 個室解除の有無確認 )
箇条書きの項目を、わたしは箇条書きの経緯報告書ように受け取る。
まるで他人事のように聞き流すこともできたはずなのだが、
わたしには絶対的に見過ごせない項目があった。
( 存命の家族は無く・・・・って、なに? )
わたしには、家族がいないっていうことなのか?
そ、そんなバカな・・・・
でも・・・。 でも、なんか・・・お、おかしい。
なんでだろう・・・。 な、なまえが・・・親の名前が思い出せない。
ど、どうして? なんで!?
事故による後遺症? ま、まさかね・・・・。
でも・・・・。
事故当初のことも、まるで憶えていない。
そもそも作業員って?
わたしは、自身の両手を鏡のように差し出し
少し掲げて、注意深く見つめてみる。
爪が整えられ、とても穏やかそうな手をしている。
作業員・・・? 力仕事をしていたようには、とても思えない。
その後も続く医者からの詳細な症状説明。
それは、より具体性を持たせるためか、
まるで呪文を唱えるような専門用語と、脳が分断された白黒写真。
それらを交互に交え、わたしに話しかけられると
わたしは まるで異次元の世界に導かれていくような感覚に陥る。
加えて相手は笑っていない、いたって真剣だ。
それが、わたしの恐怖心をチクチクと高い方へと追いやっていく。
『 今の話で、わからなかったところはありませんか? 』
『 あ、あの・・・。 わたしの家族は・・・。 』
『 ご家族・・・・・。
資料には、両親ともに死亡。 親戚である父親の兄も死亡しているとあります。
母方の御親族は未確認ですが・・・、一度も見えられていないようです。 』
『 ・・・そうですか。 』
そうだ・・・・・。 わたしの両親は、頭の昔に・・・
わたしが小学生の時に交通事故で亡くなっている。
その後、父の兄である伯父さんに育てられたんだ。
どうして、すぐに思い出せなかったんだろう・・・
『 今日はゆっくり休んでください。
明日から少しリハビリを始めていきましょう。 』
生真面目そうだが、人当たりの良さそうな明るい声を掛けられる。
さきほど、先生が悪魔に見えたのは、勘違いだったのか。
少し混乱気味のわたしは、
ゆっくりと目元と口元の力を抜き、
言葉も出さず、ただ小さく頷いた。
~つづく~