【三題噺】鍋焼うどん・こうもり・歯磨き粉
或る文芸評論家「作者の、"とにかくカタカナの言葉だけは使いたくなかった"という今どき需要のない意味不明な信念が伝わってくるすばらしい!」
唐突に妻が傘を振り上げてくるものだから困ったものだ。背中を曲げて座っていた布団に、歯磨き粉を吹き出してしまった。
「お前もまた何をし出すか分からんね。」
「ほっとけ。」
そう言いながら妻は、右足の裏を見せながら、私の左肩を蹴った。服を介して足裏の湿気が自分の肩に移る。日にちも回ろうとしているこの時間に、なぜ妻が傘を振り上げたのかは、目の前に蜘蛛の死体が転がっているのを見ただけで分かった。
「また、夜蜘蛛を殺したのか。」
先週の夜も、この部屋の床に蜘蛛の死体がコロンと転がっていたのを思い出した。
「夜も朝も関係はない。我々の目の前に出て来たのが、彼の運の尽きというものである。我々は常日頃、運命に従順でなければならない。すなわち人間の天敵である蜘蛛を見かければ、粛々とそれを殺すことが最も人類的で合理的で賢明な判断であり、こればかりは他の選択肢が与えられる余地すら残されないのである。すなわちこれ運命なり。人間と蜘蛛の運命が合一となり、ここにまた新たな自然が出来上がる。人間が殺して蜘蛛は死ぬ。然るにこれ運命なり。自然なり。ネイチャアとはこういうことを言うのだ。」
八本の足を器用に折りたたんで床に転がっている蜘蛛は、あたかも傘そのものに叩き潰されたのではなく、振り下ろされた鉄槌の余波で死んだかのように静かであった。つまり、まだ彼は生きている。殺されかけても、間一髪の奇跡で、妻の振り下ろした傘には触れなかったのだろう。
妻は、蜘蛛の体液が傘に付着したと思い、居間にある鼻紙箱を取りに行った。そのまま居間で拭えばいいものを、わざわざ寝室へ戻ってきて作業をするのだから、これもまた困ったものである。寝る前に傘をバサバサ広げられちゃあ、どうもいけない。それでいて、つい妻のその作業を見てしまうのだから、これは自分も共犯者であるということを、無意識にも認めているのだろう。妻は傘をバサッと広げた。広げられた傘には、とても綺麗に規則性を持った八本の骨が通されていた。なるほど、妻はこれを楽しみにしているのかもしれない。
「昔は洋傘のことを蝙蝠と言ったそうじゃないか。今はもう聞かないのかね。」
「分からない。」と妻は特に関心のなさそうな言葉を投げてから、「蝙蝠というより、これは蜘蛛だろうね。」と付け足してきた。
「そうだろうね。」とだけ自分は返しておいた。というのも、妻が返答している間、視界の隅に動く一点を確認したからである。言うまでもなく、それは先ほどまで足を折りたたんでいた蜘蛛であったのだが、妻の目に捕らえられる前に、そそくさと場から退いていった。やがて蜘蛛は、襖の隙間から隣室へと移ろうとし、その際に、こちらに向かって、八本のうち一つの足をチョンと差し出したようだった。また来週ここに現れることを予期させる動作で、自分は今晩おこなわれた茶番のような劇をまた見せられるのかと苦笑しながら、「蜘蛛は逃げちまったようだ」と妻の背中に言ってやった。
「なに?」
「蜘蛛だよ蜘蛛。お前の持っている蜘蛛じゃないぜ。」
妻は傘を拭っている動作をやめるやいなや、すぐにもう一枚の鼻紙を取り出して、床に這いつくばった。しかし当然のことながら、そこに丸っこくて黒い物体はコロンとも落ちていない。
「また来週も現れるのだろう。お前、そんときは見逃してやるんだな。」
「自然を無視せよとでも言うのか。」
「この部屋以外で見かけたら、好きに殺すがいいさ。」
妻の表情は不満げであった。
「台所に出たら、鍋焼きうどんにでも入れてやる。」
自分は、熱で八本の足のふやけた蜘蛛が、鍋焼きうどんに入れられるのを想像して寒気がした。茶色いつゆに浸った白いうどんに、一箇所だけ真っ黒なひびが八本刻まれているのだろう。そうなると一緒に入っているであろうシイタケも、なんだか大きい蜘蛛に見えてくる。シイタケを箸の先で引っくり返すと、やはり八本の足があるのだろうか。
「それはいいが、どうか日の丸弁当だけはよしてくれよ。」
我が家の食をつかさどる妻に対して、そう伝えるのが精一杯であった。