窓辺の席で
時間を潰すのが下手な二人だからこそ、沈黙が平気なのだろうかと思いつつ二杯目の珈琲を注文する。同じタイミングで彼は、ショートケーキを注文した。
「甘いもの、好きね」
「ここのケーキは美味しい」
映画を見終えた帰りに、いつも立ち寄る喫茶店でこうして向かい合うのはもう何度目だろうか。私はその度に珈琲を、彼はケーキを沈黙の友にする。
「大声で話すのも目立つけど、あんまり黙っているのも目立つね」
「そうだな、なにか話して周囲に溶けこもうか」
ウェイターが運んできたケーキが私の前に置かれ、彼の前には珈琲が。私達は静かにそれを交換した。
「よくよく考えると、僕は君のことをほとんど知らないな」
咳払いをして、彼が切り出した。
「君の誕生日、血液型、出身地、普通は会話の弾まない初対面の頃に知るであろう事をあれもこれも知らない」
「確かに」
私と彼は、一年前にこの喫茶店で相席になり、知り合った。無言のまま、その日は別れた。それをきっかけによく二人で出かけている。お互いに気が合ったと感じていたからだ。二人して、あんなに心地良い無言の時間は初めてだった。
「君といると話さなくても居心地が悪いと感じることがないから」
「私も、だから質問してこなかったのね」
お互い頷いて、一息つく。
「そこで質問だ」
「はい」
「君の誕生日はいつだ」
彼は、真剣な面持ちで私を見つめる。私は、目を伏せ考えてから答えた。
「3月31日」
「なんで今少し考えたんだ」
彼は、おかしそうに目を細めて笑った。こんなに話すのも、笑顔を見るのも初めてだった。
「私からも質問していいかな」
「どうぞ」
「あなたの覚えている一番古い記憶って、あなたが何歳のときのもの?」
彼は、ショートケーキの苺をフォークで刺すと、そのまま固まった。
「あっ」
「思い出した?」
私が珈琲を飲み干し、身を乗り出すと彼は話し始めた。
「三歳の誕生日の朝だ、僕が布団に寝転がっていて、隣には母がいた。母が僕に聞くんだ、今日から何歳かなって」
私は、目の前にいる彼の幼い姿を思い浮かべた。
「すると僕が返事をする、今日から三歳って。」
彼は、指を三本立て数を示した。
「これが上手くできなくてね、母に指を抑えてもらって練習した。それが、僕の一番古い記憶だ」
ほう、と息をつく。おしゃべりというのも、案外悪くないなと思ってしまった。
「いつもと違うというのも、悪くないな」
彼は、満足そうにそう言った。私は、大げさに頷くとウェイターを呼び、ケーキを注文した。
「甘いもの苦手なんじゃなかったのか」
「なんとなくね」
そうか、と彼は少し考えてから、珈琲を注文する。
「苦いもの嫌いじゃないの」
「なんとなくさ」
相席になったあの日も、いつもと違い店が混んでいた。今ある自分にとってのお気に入りは、習慣から外れたところで見つけたものばかりだ。
新しい発見を期待して、私はケーキを、彼は珈琲を恐る恐る口にした。
「ああ」
彼が低く唸る。私はというと、甘さに脳を打たれて声も出ない。
「やっぱりこれはいつも通りがいいな」
彼は涙目で、そう呟くと私のケーキを一口食べた。私は、体を震わせながら珈琲を啜る。
「いつも通りがいいね」
窓辺の席で、二人してまたいつも通り静かになった。