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絲し心を染めて  作者: ちか
染め
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 玄一がスケッチブックを見る傍ら、彼方はむしゃむしゃと購買で買ったパンを主食に、玄一の弁当からおかずを失敬する。


「お前、割と古典柄好きだよな」

「ん?」


 ぱらぱらとページを捲りながら呟いた玄一に、彼方は顔を上げてスケッチブックを覗き込む。

 延々と描かれた菊の大きさにグラデーションをつけるという注釈のついたページが目に付いて、自分の案ながら気が遠くなりそうだ、と彼方は首を揉み解した。


「んー、やっぱ祖母ちゃんの影響かなあ……俺が見てきたのって、古典柄ばっかりで、モダン柄少なかったんだよねえ。きらいじゃないけどね。大正浪漫とか面白いと思うよ。

 あ、でも現代着物は好きじゃないかも。柄とかラメだのの改造はいいけど、素材悪すぎて安っぽいのが最悪」

「お前うるせえな」

「だってさあ、ぺらっぺらな着物とか、プリント柄見てるとため息吐きたくならね? あと、着付けとか、動作もねえ……まあ、いまは着物着るにはつまんない時代だと思うよ。昔と違って着物は日常的に着るものじゃないから、着付けにアレンジ利かせられないんだよね。洋服と同じようにあれこれやれば『なってない』って見られるっしょ? そういう奴らにはお前ちょっと昔の資料漁って来いって言いたくなるんだよね。とんでもない着方してんのわんさかあるから!!」


 ばんばん机を叩きだした彼方に、玄一は面倒くさいスイッチを押したことを悟る。


「着付けで一番きれいなのは、日舞やってるひとかなあ。あ、新の方じゃないよ。着崩れ起こすなんて最悪でしょ? だから、あのひとたちって動きに無駄がないんだよねえ。急ぎ足しててもね、曲がり角で袖が壁に当たることって絶対にないんだよ」

「お前、そういうのはどこで……ああ、祖母さんがお茶の先生だったか」

「そうそう、お弟子さんっていうの? 生徒さん? 芸者さんもいたよー。踊りやってるひととは違う意味で、あのひとたちも素敵だったなあ」

「芸者?」

「深川芸者っつってたかな。着物の組み合わせがちょっと意外だけど合うんだあ……季節の変わり目とかには根付も変えてて、銀で出来たやかんとかあったかな。珊瑚の金魚もかわいかった」

「お前の目が肥えてるのはよく分かった……」


 一流のもので目を養い続け、若者特有の「やってみたら楽しそう」を躊躇なく実行してきた彼方は、すでに根本ができあがっているのだろう。

 そうやって、好きなものを追い続けられたなら、と玄一は思う。

 時間が経てば経つほど、成長すればするほど難しいことだけれど、彼方にはそういう意味で「大人」になってほしくないと、玄一は願ってしまうのだ。


「――ところで」


 玄一はスケッチブックから目を外し、彼方の頭に手を伸ばす。


「ん?」

「俺のおかずが既に沢庵しかないってのは、どういう了見だクソカナッ!!」


 昼休み、賑やかな教室に彼方の悲痛な叫び声が響いた。




 玄一に飛びついては頭を引っ叩かれたが、ぐい、と押し付けたスケッチブックを賄賂に玄一の肩へのしかかる権利を得た彼方はご機嫌だった。

 自分の好きなことを認めてくれて、好きだと言ってくれるひとがいる。それはとても幸せなことだ。

 ふんふん鼻歌を唄いながら今日も玄一の家へ向かえば、庭の鉢植えに水をやっている文江がふたりを見つけ、軽く手を振ってくれた。


「おかえりなさい」

「おう」

「ただいまー!」


 ぱっと玄一から離れて文江に挨拶すれば、文江はにっこり笑って「おかえり、かなちゃん」と幼い子にするように彼方の頭を撫でた。

 玄一が愛想のない分、無邪気に懐く彼方を文江はよくかわいがってくれた。


「文江さん、これなんの花?」


 文江が水をやっていた鉢植えには、先端に向かって細くなっていく鮮やかな色をした花がぴん、と上に伸びていた。


「これはね、昇藤」

「のぼり藤?」

「そう、藤の花が上に昇っているみたいでしょう? ルピナスとも云うわ」

「へえ! かわいーね」


 鉢植えのそばにしゃがみこんで、彼方はじっと昇藤を見つめる。

 彼方の観察癖をよく知る玄一は、鞄を肩に引っ掛けながら急かすでもなく彼方の後ろに立っていた。短気なところがある玄一だが、こと彼方の刺繍絡みであれば驚くほど寛容だ。

 それをべた惚れというのだろう、と彼方がふふん、と得意気な顔をして言えば、玄一の拳骨が頭に降ってくるのだが。


「そういや、刺繍のモチーフでしょっちゅう使われてるよな」


 珍しいことに、玄一からもたらされた話に彼方は顔を上げた。

 玄一は大抵まくしたてる彼方の話を聞き、相槌を打ち、疑問を投げかけて、彼方がぽこぽこ重ねる言葉の重さを支えることが多いので、こうして彼から話題を持ち出すというのは稀なのだ。


「刺繍?」

「ステッチ刺繍辺りで見かけねえか?」


 彼方が傾倒する刺繍は日本刺繍であり、ステッチ刺繍は「ああ、そんなのあるね。手慰みにはいいんじゃない?」と殆ど興味がない有様だ。

 なので、実際に目にしていたとしても、脳がさっさとどうでもいい情報として処理している可能性が高く、彼方は難しい顔をして思い返そうとするものの、それらしいものがぼやっと浮かんではうやむやに消えてしまうばかりだ。ステッチ刺繍のモチーフがどうのよりも、まだ絹織物のあれこれの方に興味が向くかもしれない。


「お前の趣味は広いんだか狭いんだか分かんねえな」

「玄ちゃんより広いよ! 玄ちゃんが好きなのは俺の刺繍だけでしょ!!」


 ふふん、と胸を張れば、玄一は嫌そうな顔をしたが否定の言葉は吐かず、ただため息を一つ落として「部屋行ってる」と呟き足を動かした。

 彼方はもう少し昇藤を観察しようか悩んだが、結局玄一を追いかけることにする。


「文江さん、お邪魔しまーす」

「あとで苺持っていくわね」


 にこにこふたりを見送った文江の声を背中に、彼方は勝手知ったる秋田家の玄関をくぐった。


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