千変万化
「ひぐらし」は刺繍と染めを生業とするふたりの職人の店だ。
刺繍を手がける職人、飯田橋彼方は「あの」と称される榎津の弟子で、その腕は師匠をも圧倒するといわれる反面、型破りにもほどがあると非難が上がる。
では、その相方。染めを手がける秋田玄一はどうかといえば、これもまた評判がいい。
「こんなに絶賛されてるしねえ」
染めに関する雑誌にて「出せない色のない」と煽りをつけられ紹介されている玄一の仏頂面を見ながら宗司は苦笑いする。
きっと雑誌取材など受けたくなかったのだろう。
しかし、少しでも、ほんの少しでもこれが切欠になるならば、という思いで挑んだに違いない。
彼方の個展の主役である丸帯は、それぞれ使われた千色の糸と色名とともに展示された。
それが全てひとりの職人が染めたというのだから、関係者や来賓たちは驚きの声を上げた。
これは西洋ならばできないことである。
濃淡の一つひとつ細かくに色名がある日本だからこそ、千という途方もない色を使うことができた。
実際見に行った宗司も駿も唖然としたものだ。
褪せていく色、鮮やかになっていく色、それらが蝶となって金糸銀糸に陰縫いされた帯の華美なこと。
いったい誰がこの帯を締められるというのだろう。誰もが負けてしまうに違いない。
彼方の性格を高校時代より知る宗司と駿は心配したが、結ばれた縁がその始末をつける。
悉皆屋ということでたくさんの少女童女を見てきた宗司でもお目にかかったことのない人形のように可愛らしく、美しい少女。彼女の保護者が法外な、いや、丸帯に相応しい金額と今後の支援を条件に譲って欲しいといってきたのだ。
これに最初玄一は反対していた。
彼方の嗜好を考えるならば渡りに船だと思った宗司がそれとなく尋ねれば、なるほど。彼らはあまり関わりたくない部類の人種であるらしい。
このように玄一は彼方大事に「ひぐらし」の相棒をやっている。
昔願った通り、彼方が欲しい色は全て玄一が染め出しているのだ。
悉皆屋としても難しい染めの注文は率先して玄一に回す宗司だが、水流柄の疋田絞りの仕事を持っていったときは殺されるかと思うほどの威圧感を放っていた。
それはそうである。
ちまちまと糸を巻いて染めるだけでも大変な仕事なのに、それが模様となるのだ。玄一はこの仕事を終えたあと体重が一気に落ちたらしい。二度とやるか、と吐き捨てていたが、彼方がやりたがれば恐らくはやる。そうでなければ他の染色職人が手がけてしまう。それだけは許せないのだ。
ふふ、と笑って宗司は雑誌のページを進める。するとそこには「ひぐらし」の由来がぶっきらぼうな玄一の口調で説明されていた。
記者(以下記)
秋田先生(以下秋)
記:ひぐらしのお二人が出会ったのは冬と覗いましたが、なぜひぐらしという晩夏のものに?
秋:単純すぎて話すのが恥ずかしいんだが……
記:是非お願いします(笑)
秋:俺が『秋田』で相棒が『彼方』だからっすよ
宗司は吹き出した。
つまり「秋」と「カナ」からの連想で「ひぐらし」と決まったのだ。
なんて単純。それなのにその仕事にはいい加減なところなど欠片もない。
なにしろ、さらにページを捲れば玄一が染めた優美な着物や光沢美しい絹糸がカラーで掲載されていて、眺めているだけでもため息が出てしまいそうなのだ。
玄一の染める糸はそのまま房飾りや組紐細工として使いたいという客も多い。彼方のように大きな仕事はしょっちゅう来るわけではないが、安定した収入を得ているらしい。
宗司はうれしかった。
どちらかが傾くことなく彼方と玄一がともに歩いていることが。
取り残すことも、取り残されることもなく並んで往くふたりの背中に時折こみ上げるものがあるのは宗司の内緒だが、敏い駿には知られているかもしれない。
けれど、あの玄一とは違った意味でぶっきらぼうな友人はそのやさしさでもって指摘しはしないのだろう。
宗司は最後のページを捲り、玄一の言葉を声に出して読む。
「少しでもいい。興味を持ってくれ。欲しいと思ったとき、必要になったとき、それはもうないかもしれないということを忘れないでくれ」
――そして、できるならばこの文化を受け継いで欲しい。
宗司は微笑み雑誌を閉じた。
なんだか久しぶりに友人達に会いたい気分だ。
電話をかければいつもの高いテンションとそれを諌めるべしっと頭を叩く音、びゃあびゃあ騒ぐ声が聞こえて宗司はにっこりと笑う。
ふたりを結ぶ鮮やかな色をした縁の糸は、未だ固くふたりを結んでいるようだった。




