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絲し心を染めて  作者: ちか
番外編
46/49

それは私の宝物です




 つくづくこの野郎は、と玄一は呆れながら彼方の作業を見ていた。

 先日、よっぽどのお嬢様なのだろう。七五三の着物として疋田鹿の子というひたすら糸を巻いて染める絞りを流水に、折鶴の刺繍という仕事を終わらせた。鹿の子に関しては玄一も終わったあとぐったりとしたのだが、彼方は倒れることなく求められていない作業を続けている。

 今回の仕事をもってきたのは宗司なのだが、どうやらバッグや草履一式もという依頼だったらしい。そこで目を光らせたのが彼方だ。

 玄一が後ろから覗き込めば、こどもが持つには大人びた抱えバッグに相良縫いで流水に折鶴とこどもと同じ柄を刺している。現在はこどもらしく赤姫の着物をまとっていた女の子だが、彼女は今回ビーズ刺繍の手提げと草履を履くはずだ。では、そのバッグは母親が持つのだろうか。

 疋田絞りに刺すだけでも大変な作業だというのに、続けてひとつ失敗すればするすると糸が抜けてしまう相良縫いを始めるとはもはや正気ではあるまい、と玄一はため息を吐く。

 大きめの粒にしたいらしく縒った糸は心持ち太く、ぷつり、ぷつりと刺していく針を刺しながら糸をくくった薬指の力も弱い。


「カナ、てきとうなところで休めよ」

「無理」

「だよなあ……」


 ここ十数年で彼方の仕事に対する強情さはよく分かっている。趣味だったら襟首掴んで引き摺れるが、仕事絡みであれば彼方は容赦なく玄一の腕に噛み付いて暴れるだろう。


「……それ、仕事じゃないだろ」

「……うん。でも喜んで欲しいじゃん」


 碓井が用意したバッグをひとつ、彼方は女の子の母親に贈るつもりなのだ。そして、それを将来女の子が持つようになればいいと思っている。

 それはいつまでも母子の仲が最良であるようにという願い。

 知っているからこそ玄一もあまり口うるさくいえない。

 ぷつり。


「あーっ」


 会話をしていたからだろうか、針にいれる力加減を間違えて彼方が刺した折鶴の一部がつーっと糸を抜けてしまった。ただでさえ時間がかかるのにやり直しとくればさすがの彼方も心が折れる。玄一は同情しながら「さてなんと声をかけようか」と腕を組む。


「玄ちゃんケーキ! ケーキ買ってきて!!」


 しかし、玄一が考えるより早く彼方から慰め所望依頼が飛んできた。


「なんでだよ」

「自棄食いすんの!! もう、もう、もおおおおおお!!」

「お前は牛か」


 いい年して地団駄踏みかねない彼方を見かね、玄一は腰を上げる。しゅ、と石摺りの着物が音をたてた。


「なにがいいんだ?」

「季節ものー」

「あいよ」

「待ってまって、やっぱ俺も行く」


 あまりにもあっさりと玄一が出かけようとするからか、彼方は転ぶように立ち上がる。玄一はその動作が妙におかしく思えて吹き出した。

 彼方は昔からこどもっぽさが抜けない。かと思えば歳相応に大人びた顔を見せて玄一を驚かせる。

 特に、刺繍をやっているときの顔は玄一でさえ気圧されるときがあるのだ。

 どちらが本物の彼方か。どちらも本物の彼方だ。

 馬鹿で、ドジで、向こう見ずで、どこまでも頑固な職人。

 今だって急ぎながらせっせと刺繍に使っていた道具を片付けている。玄一が待っていると当然のように思っているのだ。玄一も当然待つつもりなのだからこのふたりはまさにぴったりおみきどっくりだろう。


「お待たせ!」

「おう」

「あー、肩痛い」

「休憩挟めって言っても聞かねえからだ」

「だってさー、こういうサプライズってうれしいじゃん。金取るわけじゃないし、少しでも思い出になればいいよ」


 彼方は七五三を母親と祝えなかった。

 だからこそ、こういった節目の祝いは殊更丁寧に仕事をするし、ひとつ、なにか特別を添える。

 その姿勢は玄一にとっても好ましいが、そのせいで彼方がぼろぼろになっては、いかに彼方の刺繍を愛する玄一であってもいただけない。


「帰ったらとりあえず飯食え」

「あい」

「仮眠もな」

「……あい」

「見張ってるからな」

「あーい!」


 やけっぱちに叫ぶ彼方にからから笑い、玄一は準備を終えた彼方と並んで玄関へと向かう。玄一の千両の鼻緒には麻の葉の刺繍が、彼方の後丸には青海波の刺繍が施されている。ちなちまと鼻緒に刺繍するのは彼方の趣味になっている。

 趣味と仕事が同じなのは苦痛だというひともいるが、彼方はひたすら楽しそうで、そんな彼方の相棒である玄一も充足感がある。


「しかし、なんで相良縫いにしたんだ?」

「バッグの地とイメージからー。おんなし柄なのにまるで違うように見えるって面白いじゃん」


 面白い。

 それが全てなのだろう。

 楽しいからやっている。

 楽しいだけではないけど、刺繍をすることは彼方にとってとても楽しいことだからやっている。

 玄一は「そうか」と呟き、千両に足を突っ込みながら彼方に刺繍を残した彼の祖母へと何度目かの感謝を祈った。

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