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絲し心を染めて  作者: ちか
仕立て
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四十四



 経が済めばいよいよ花を棺のなかに納めて火葬場へと送られる。

 彼方は赤い蘭の花を手にじっと絹子の顔を見つめた。

 変わり果てた顔もエンバーミングを施されれば生前の面影を残す。

 最後まで彼方を認めなかったひと。

 最期でようやく自らの息子を認めたひと。

 まだ若いといってもいい絹子は花に飾られ、まさしく花嫁のようにうつくしかった。


「いいの」

「なにが」

「頑張って刺繍したんでしょう」


 今更なことをいう秀次に苦笑いして、彼方は首を振る。


「祖母ちゃんだっけ。舟遊びしてるとき町が火事で、燃えた着物が空を舞うのがきれいだったって言ったの。

 俺たちは見れないけど、きっと誰よりきれいだよ。俺のお母さんは、誰よりもきれいなお嫁さんとして逝くんだよ」


 言い聞かせるように静かな声で落とされた言葉に、秀次はそれ以上の言葉を失い、先ほどよりも愛惜を湛えた瞳で自らの喪服の胸をなでた。


「あれだけ望んだ息子に仕立ててもらって、これ以上ないくらい幸せな花嫁御陵だね……」


 彼方は微笑を返し、蘭の花を絹子の顔のそばへそっと添えて玄一のそばへと小走りにやってきた。


「玄ちゃん」

「ああ」

「親孝行なんてできる隙ないと思ってたんだけどさあ……」

「ああ」

「少しはできたんかなあ……!」


 ぼろり、ぼろりと大きな涙粒を零す彼方をぐっと引き寄せ、肩口に頭を押さえつける。彼方は逆らわずにぎゅっと背中へ腕を回した。

 聞こえる嗚咽にぐっと瞑った目を開けば、秀次が深謝の目で玄一に一礼した。


「では、これより火葬場へと移動します」




 最期の別れは花を添えるときにすませたとばかりに彼方は玄一とともにすぐ棺から離れた。

 係員が帽子をとって頭を下げ、絹子をのせた棺は重たい扉の向こうへ消えていく。

 あとは茶を飲み、骨を拾って、精進落としとして食事をすれば終わり。こんなにも呆気なく、彼方と絹子の確執は一方的な終わりを強いられた。

 けれども、いまはすでに燃え失せているだろう装束、あれだけが彼方にとっては慰めだった。

 母と呼べなかったひとの最期の衣装を手がけた。将来進むと決めた道の一旦として手がけることができた。

 もしも天国なんていうものが、根の国などというものがあるなら伝えて欲しい。

 彼方は間違いなく仕事を果たしました、と。

 玄一はわけもなく泣きたくなりながら、斎場独特の不味い茶を啜る。


「お前が淹れるやつのが美味い」

「そりゃ玄ちゃん、茶葉が違うんだから酷ってもんだよ」


 備え付けの菓子は甘ったるく、出された茶はくどく苦い。

 そんな感想を抱いた玄一は、ふと死んだって寺にはやらないで焼いた骨を酒で飲むという都都逸を思い出した。

 果たしてそこまでの熱情を人間は抱けるだろうか。

 考えて、玄一ははむはむとチョコレート風味の菓子を食べる彼方を見て呟く。


「お前が死んだら、全部の作品燃やしていいか」


 その火にくべられながら自分も死にたい。そうすれば、どれだけ幸せだろうか。

 思春期の熱病と理解しながらも幸福そうな玄一に彼方はらしくなく呆れた声を出す。


「じゃあ俺は玄ちゃんが死んだら両手をあっつい染料液にぶちこめばいいわけ?」

「却下だな」

「でしょ」


 我ながらばかなことを言ったものだと玄一は「悪い」と軽く彼方に謝って、不味すぎていっそ甘い茶を飲み干した。

 火葬が終わる直前のことだった。




 四十九日はなんの因果か卒業式の日だったが、彼方は迷いなく卒業式への参加を希望した。予想していたのだろう、秀次は頷いただけだった。心無い親族の言葉に彼方を晒したくない親心もあったのだろう。

 まるで糸きりのようにふつりと彼方は絹子との間にあった強固ななにかが途切れたように感じ、大きな開放感と小さな静寂感にひとつ息を吐いた。


「はい、玄ちゃん」


 卒業式前日、手渡された制服を玄一は広げて目を丸くする。

 そこには桜はなかった。

 袖にも襟にも裏地にも、どこにも桜はなかった。

 ただ、鉄線花の唐草とつぼみがあるだけで――


「俺たちはまだ花にもなれない、色もない。でも、必ず開いて色付こう。

 待ってるよ、玄ちゃん。ずっと、ずっとずっと待ってるから、玄ちゃんの隣にいてもへっちゃらなくらいになって待ってるから、だから、玄ちゃんもきっときてね」


 ほろほろと涙を流しながら彼方は言う。

 鉄線花はその繋がりから絆等を示唆する。

 制服と同じ色の糸で刺されたつぼみの鉄線唐草を、玄一は皺にならないように抱きしめる。


「ああ。きっと、きっと戻ってくる。お前の使う糸は全部ぜんぶ、きっと俺が染めてみせる」


 最初は言えた。途中からはいうのに躊躇した言葉を約束として玄一は差し出す。受け取った彼方は鼻の頭を赤くしていて、これからの十年が心配になるほどだった。それは玄一も同じだとは彼方だけが知る秘密である。


「なんかうちのごたごたで受験合格とか忘れてたね」

「そうだな。おめでとさん」

「ありがとう。玄ちゃんもいってらっしゃい。明日、その足ででしょ?」

「ああ」


 彼方の笑みが歪む。


「行っちゃやだっていわないようにがんばってるんだよ」

「知ってる」

「いってらっしゃいっていうのに一所懸命なんだよ」

「知ってる」

「心配でしようがないんでしょう」

「知られてたか」

「大丈夫」


 彼方は頷く。


「玄ちゃんが全部整えてくれたから、俺はもう大丈夫。玄ちゃんが戻ってくれば、十全、十二分だよ」


 言葉もなくふたりは抱き合う。

 涙は流れたけれど、不思議と嗚咽はなかった。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 こうして、ふたりの少年はそれぞれの道を往くために歩き出す。



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